ドラゴン、ペットとのんびりする

 ぱしゃん、と水しぶきの跳ねる音は、その音を発生させた本人の機嫌を語るかのように力強かった。

「冷たくて気持ち良いな」

 湖の畔にある岩に座り、ズボンをまくった足を水に浸したヒムロは、気持ちよさそうにその足を意味なく動かしている。
 ぱしゃぱしゃと水が飛び、木々の間から差す木漏れ日に反射してきらりと光った。それが笑うヒムロの側で光るものだから、ヴァイツには何だかヒムロ自身が光っているように見えた。

「ヴァイツは入らないのか?」

 ヒムロの側で寝そべっていたヴァイツは、否の返事として尾で地面を叩く。
 水は嫌いなのだ。長く浸かると体温がどんどんと下がっていき、感覚が鈍るし、眠くなる。
 普段、いくら寝ていたとしても、気配を感じたらすぐに目を覚ますし、強襲されてもすぐさま迎撃することなど余裕だ。
しかし、体温が下がることでもたらされる眠りは、常のものとは違い、周囲の警戒が薄れる、いわばヴァイツの弱点だった。

 ヒムロは、ヴァイツの拒否を読み取ったのか「冷たくて気持ち良いのに勿体ないな」とぼやいたが、ヴァイツを無理に誘うことはなかった。
 また、湖の水を足で無意味にかき混ぜ始めたヒムロを、ヴァイツは前足に顎を乗せ、じっと見ていた。
 とても穏やかな時間だった。時折、その巨体の側の大木の下に置いた、ヴァイツの身体の半分はあろうかという角獣の死体に大きな虫が寄ってきたが、それもあえなくヴァイツの尾で潰される。
 少し眠気を誘われて、ヴァイツはその金色の目をしばし閉じる。側にあるヒムロの気配ははっきりと感じ取れている。また寄ってきた虫の駆除は、最早作業だ。
 はは、とヒムロの笑い声が響いた。その笑いに誘われて目を開ければ、ヒムロがヴァイツを見て笑っていた。黒く長い前髪の隙間から見える、真っ黒い目が細まり、その口元はふわりと緩んでいた。

「かわいいな」

 ドラゴンである自分に向けられた言葉とは、到底思えなかった。ミルドレークたちはヴァイツを可愛いと言うが、あれは身内だからこその言葉だ。自分は凶悪な外見をしていると、ヴァイツは他人事のように理解している。
 だからこそ、ヒムロの言葉を訝しく思ったが、鼻先でピチチ、と高く愛らしいとも思える囀りが聞こえ、なるほど、と納得した。
 ヴァイツの鼻先、そして頭や背中には、何羽かの小鳥が遠慮なしに鎮座していた。それらはヴァイツの爪ほども大きさはない、小さな小さな存在だった。
 それらを見て、ヒムロは可愛いと思ったのだろう。ヴァイツとしては少々煩わしい小鳥どもだが、害はないし、腹も膨れないので好きにさせている。
 少しそれらと似ているな、と思った。湖から足をあげこちらへ向かってくるヒムロと、ヴァイツの上で昼寝をしたり食事をする小鳥。

 小鳥。魔物ですらないそれは、ヴァイツの爪の大きさもない小さな存在だ。ピチピチとさえずり、何も考えてなさそうな顔で生きているそれは、ヴァイツがうとうとと居眠りをしているところに高確率で現れる。
 最初は、ヴァイツから少し離れた木の枝に止まりびくびくしながらヴァイツを見ている。しばらくして、少しずつ近づいてくる。小鳥は小さすぎて飯にもならないので放置しているが、戯れに咆哮をあげてみるとすぐに飛び去ってしまう。
 しかししばらくすると何故かまた戻ってくる。やはり飯になるような大きさでもないそれを無視していれば、それはヴァイツが自分たちを食べるつもりが無いと悟るのか、大胆にもヴァイツの背中や鼻先に飛び乗り、あまつ共に昼寝さえし始めるのだ。
 ドラゴンが自分たちを襲ってこないと分かった瞬間、それまでの恐怖を忘れ暢気にその傍らでのんびりとする小鳥の姿が、目の前の人間と重なった。

 そう思われているとは知らないヒムロは、無警戒でヴァイツの側に行き、ヴァイツの鼻先にいた小鳥が飛び去ってしまったことに残念な顔をしている。
 濡れたズボンの裾と足を乾かしてやれば、ヒムロは「ありがとう」とヴァイツの鼻を撫でた。
 そして、ヴァイツの腹辺りに回り込み、そこに座るとヴァイツの巨体に身を寄せた。
 そして、木々の間から見える空をヒムロはぼんやりと見上げた。

「……長い夢を見ているんじゃないかって、ずっと願ってたんだ。来たくもないこの世界に勝手に連れてこられた上に、何も出来ないと出来損ないの失敗だって責められて。元いた世界に帰してくれるわけでもない。その上、あいつらは俺を……」

 ぐ、と唇を噛み、ヒムロは両耳を塞いで俯いた。まるで自分を守るための殻に閉じ籠るかのように。

「……悪い夢なんだ、って信じたかった。夢から覚めたら、いつも通りの日常が始まるんだと思いたかったッ……!」

 ヴァイツは、前足に乗せていた顎をあげ、腹辺りに座るヒムロを囲うように身体を丸めた。ヒムロは、ぼろぼろとその目から大粒の水を止めどなく流していた。

 あの日から毎夜、ヒムロはヴァイツに寄り添って眠る。そして、今のように目から水を流し、話し出す。
 その内容に関してヴァイツは興味はない。しかし、ヴァイツの興味の無さを見ても、ヒムロは何も言わなかった。
 ヒムロはただただ、過去を語った。それを、ヴァイツはうとうとしながら聞いていた。鳴き喚かれるより、よほどましだった。

 語り疲れたのか、ヒムロが寝入って少し経った頃、ヴァイツは意識の端に引っ掛かる煩わしさに、ついに顔をあげた。

ーーー視られている。

 不快で不躾な視線に、ヴァイツの尾がしなる。地面を抉る音に、ヒムロは飛び起きた。
 そんなヒムロの様子など歯牙にもかけず、ヴァイツはのそりと起き上がる。

「どうし、たっ……?!」

 掬い取るようにヒムロを尾で持ち上げ、間髪入れずに背に放った。ゴン、と何かがぶつかる音がしたがどうでも良かった。
 仕留めた獲物に近付き、また寄ってきていた虫を叩き潰すと、大きく羽ばたいた。獲物の首根っこを後ろ足で引っ掴み、そのまま飛翔する。
 視線はしばらく着いてきていたが、ある程度上空まで飛び上がると、感じなくなった。

「どうしたんだ?」

 赤くなった額を押さえて問うヒムロに返事を返すことなく、ヴァイツは帰路につくのだった。




 森の中、呪文を唱えつつ目を凝らしていた男が、疲れたように溜め息をついた。彼の周りには、4人の装備を整えた男がいた。

「……駄目だ、これ以上は追えない」
「どっちの方向に飛んで行った?」
「北だ」

 男が指差す方向を他の4人が目で追った。
 リーダー格と思われる男がにやりと笑う。

「ようやく見つけたぜ、異世界の勇者の成り損ない」
「あんたももの好きだよなあ。お綺麗な顔立ちとはいえ、野郎だぜ」
「こいつは、暴れて抵抗されるほど燃えるんだとさ。奴も可哀想にな」

 言葉のわりに、弓持ちの男は下卑た笑いを浮かべた。彼だけでなく、それまで目の魔術を行使していた男以外の4人が、同じような笑みを浮かべている。

「……俺はおりるぞ」
「はあ?なに言ってんだ」

 目を解すように揉んでいる男は首を降り、「ドラゴンの獲物をかっさらうなんて、俺はごめんだ。ドラゴンは自分の獲物を盗られることを一番嫌う」と吐き捨てた。

「馬鹿野郎。かっさらうんじゃねぇ。ドラゴン殺して奪い取るんだ。理由は知らんが、あの勇者の成り損ないをまだ食うつもりじゃなさそうだろ。食われる前にぶっ殺して手に入れる。あんなのただのでかい蜥蜴だ。ろくな魔法も使えない単細胞さ」
「……何にせよ、俺はおりる」

 臆病者め!と罵る4人の言葉を無視して、男は踵を返した。臆病者と罵られる方が、あのドラゴンと対峙するより余程ましだった。




「あら。あらあらあら、やぁだ」

 森の中、大木の枝に腰掛けた男が、その美しく滑らかな手を頬にあて、赤い目を丸くしていた。真っ黒に染められた長く鋭利な爪がぎらりと光る。

「馬鹿な人間ども、発見しちゃったわァ。て言うか、覗き見なんて良い趣味してるわねぇ〜。アタシと趣味合いそう」

 うふ、と笑う男だが、その赤い目は獲物を見つけた蛇のように鋭い。

「せっかくアタシ好みの美青年と白銀のドラゴンっていうサイコーの絡みだったのに、邪魔しちゃって、もう。むかつくから、兄様に告げ口しちゃおーっと」

 よいしょ、とそれまで腰かけていた枝から立ち上がると、彼は大きく背伸びをした。ぐ、と反り返る身体は、隆々として逞しい。男らしい外見の彼だが、その口調と仕草は外見とはちぐはぐな印象を与える。

「久しぶりに、お兄様と会いたいわ。それで、いーっぱいお話しするの。お花畑に行って、追いかけっこするのも良いわね!今度お願いしてみようかしら!」

 うっとりと恍惚の笑みを浮かべていた男は、しばらくウフフと笑い声を漏らしていたが、遥か遠くに見える5人の人間の内、1人が離れていくのを見て「あらまあ」と声をあげる。

「一応、全員がお馬鹿ちゃんでは無かったのね。命拾いしたわね、あの子。て言うか、あらやだ!声もイケメンだとは思ってたけど、顔もわりとイケメンじゃな〜い!」

 きゃあ、と低めの歓声をあげた彼は、にんまりと笑う。
 遥か遠くで馬鹿なことを言い、行動に移そうとしている人間の姿と声を、まるで隣にいるかのように見て聞き取った彼は、ぱん、と手を合わせた。

「まーずーは、兄様に報告ね!」

 そう告げると、何事か呪文を呟き、彼はその場からかき消えた。


prev next


[11]
ドラゴンのペット

Back

2016.10.31〜