空の王子と鬼将軍 | ナノ
空の王子と傾国の兄

「で、新婚生活はどうだ?」

 ガリオスの執事に呼ばれ、客間に入ったシャルティーダは、そこにいる人物とかけられた言葉に、何ともいえない顔をした。

 会って開口一番そう尋ねた兄であるルドガーは、シャルティーダがそれに返答するより前に「ああ、ああ、すまない、まだ結婚していなかったな?」とにこやかに笑う。
 ひくりと頬をひきつらせる弟を見て、ルドガーは実に興味深そうな顔をしていた。

「あ、兄上、いったいどういう」
「うん?なに、可愛い弟とあの鬼将軍の同棲生活がどんなものか気になってな。絶対にないとは思うが、手酷く扱われている、ということはないな?」
「それはありません。ありません、が、あの、兄上」
「なんだ?」
「なぜ、ここに?」

 ぱちくり、とシャルティーダの兄であるルドガーは目を瞬かせた。麗しい顔に不思議そうな色を浮かべて、ルドガーは首を傾げた。
 26歳になるシャルティーダ、の兄は2歳年上である。つまり、28歳。にもかかわらず、首を傾げるその様が随分と似合っていた。
 自分がやったら絶対に似合わないな、とシャルティーダはしみじみと思ったが、すぐに我に返って顔を引き締める。

「兄が弟に会いに来るのに理由が必要か?」

 シャルティーダの向かいのソファーに座るルドガーは、足を組み、片手をソファーの背にかけて優雅に珈琲をすすった。
 まるで我が家だと言わんばかりのくつろぎようだが、ここはガリオス・ヴィランの屋敷である。
 そして、兄にはお付きの者が一人もいなかった。

「兄上、ここはヴィラン将軍の家です。くつろぎすぎでは」
「奴の未来の嫁はおまえで、おまえは私の弟だ。つまりここは私のくつろぎスペースだ」
「そんな横暴な!」
「可愛い弟があの鬼将軍に酷い目に遭わされていないか、ぐちゃぐちゃのどろどろにされて啼き喚かされてないか心配で会いに来た兄だぞ、私は」

 カップを置き、腕を組みとても偉そうにそうのたまうルドガーに、シャルティーダは頭が痛くなる思いだ。

「そんな目に遭ってるなど露ほども思っていないでしょうが。それに、お付きはどうしたのです」
「撒いた」

 けろり、と何の反省もなく言い放ったルドガーはどこ吹く風だ。

「次期国王の自覚を持ってください、兄上……」
「持ってる持ってる」
「軽い……」
「で、それより、どうなんだ?」
「どうとは……」
「だから、同棲生活だ。数日経つだろう」

 シャルティーダは、苦虫を噛み潰したかのような顔で、そっと視線を反らした。
 その反応に、ルドガーは眉間に皺を寄せて「なんだ、困りごとでもあるか」と低い声で尋ねる。

「鬼将軍に望まない無体でも働かれたか?それならば私も考えがある。可愛い弟の為だ、いくら我が国の英雄だからと言って好き勝手はさせないぞ。どうする、切り取るか」
「そんな綺麗な顔で恐ろしいことを言わないでください」

 どこが、とは言わないが大事な部分に痛みが走ったような気がしてシャルティーダは震えた。

「そうではありません、そうではなく。ガリオス、いや、ヴィラン将軍には本当に良くして貰っています」
「兄の前でも、未来の旦那を呼び捨てにして良いんだぞ?」

 シャルティーダがじとりと兄を見れば、彼は肩をすくめて首を振った。

「まあ、冗談は置いておこう。ところで、おまえの未来の旦那の将軍閣下はいないようだが?」
「仕事で、王城に出向いていますよ」
「なんと。すれ違いか、残念だ」
「ヴィラン将軍に何か用でも?」
「いや、居たら少しちょっかいをかけようと思っただけだ」

 しれっと悪気無く答える兄に、シャルティーダは疲れたように笑った。その笑みをどう受け取ったのかは分からないが、ルドガーはニッと唇の端を上げた。

「ああ、もちろん、ちょっかいというのは色っぽい意味ではないぞ?奴も私なぞ興味もないだろうしな」
「……それは、どうでしょうか」

 シャルティーダは、改めて兄を見る。
 肩胛骨まで伸ばされた金糸のような美しい髪。シャルティーダよりも、円やかな色合いのオレンジと赤が混じり合った瞳。
 性別を感じさせない、麗しい容姿は見る者を魅了する。
 幼い頃とはいえ、半分血の繋がる兄に対してドギマギとしてしまったことが何度かあるシャルティーダは、彼に迫られれば誰だって喜んで受け入れるだろうと思っている。たとえ、あの鬼と称される英雄であっても。

「おい、シャルティーダ。……何を考えてるかは何となく分かるが、あの鬼将軍は私でも無理だぞ」
「分かりませんよ」
「いいや、絶対無理だ。だいたい、私が嫌だ。奴は絶対面倒臭いタイプだ。鬱屈としたどろどろとした感情を煮えたぎらせてるような奴だぞ、きっと。それに自分が地獄に堕ちるとしたら相手も一緒に引きずり落とす死なば諸共精神の持ち主だ、きっと。あの年齢にまで達していたらもう矯正もできんぞ、きっと」
「全部、兄上の予想ではないですか」
「私の予想が外れたことがあったか?」
「………いや、でもそうは見えませんでしたが」
「ふん?」

 疑わしそうな目で見られても、シャルティーダから見た数日のガリオスは至って普通だった。
 困った顔をするシャルティーダに、ルドガーは顎に手を当て問いかけた。

「さっきも聞いたが、この数日の同棲生活はどうなんだ?まだ結婚していないから部屋は別々のようだが、寝る前は?」
「いや、普通に挨拶をしてそのまま部屋に行くだけです」


 シャルティーダはここ数日の夜を思い出す。
 ガリオスは戦場から戻ったばかりだと言うのに、いや、だからこそなのか、書類仕事が多いようだった。
 毎夜就寝の挨拶にガリオスを探せば、必ず書斎にいて、忙しそうに手を動かしていた。そんな彼を置いて先に寝てしまうのは忍びなかったが、手伝えることなどないシャルティーダは、結局彼の邪魔にならないようにするのが精一杯だ。
 本当は書斎に出向くのも邪魔になるのではと思ったのだが、かと言って就寝の挨拶をしないのも礼儀に反する。なので、最初の夜に就寝の挨拶と共に、邪魔になるなら来ない方が良いか、とガリオスに尋ねたのだが。
 「邪魔などとんでもない。こうしてお話しするだけでも、気が紛れますので、気兼ねなくいらっしゃってください」と、真顔で返された。
 確かにちらりと見えた、彼の背後のデスクには沢山の書類が積み上げられていた。おそらく、王城から持ってきても良い書類がそこにはあるのだろう。そして、王城には外に持ち出せない書類が沢山あるのだ。
 ガリオスを待っている書類の山を見れば、たまには手を止めて誰かと話して気を紛らわすことも必要だろうと感じたシャルティーダは、それから毎夜、彼とは就寝の挨拶と少しの立ち話を交わしている。
 その立ち話の中身はと言うと、そう大した話でもない。
 日中、何をしていたかというシャルティーダの報告が主だ。いずれ、今まで通り兄の仕事を手伝う為に王城へ出向くことになろうが、ガリオスの屋敷に来てから数日、シャルティーダは屋敷から外に出ていない。
 なので、話すことも限られてくるし、内容も薄っぺらいものとなり、話の上手い他の兄弟がその時だけは羨ましかった。
 しかし、ガリオスはそんなシャルティーダのつまらない話をじっと聞いていた。時折、二、三質問してくることもあり、シャルティーダの話をきちんと聞いているのが分かって、優しい男だとしみじみ思ったものだ。 


 そして、そんな穏やかで優しいやり取りを掻い摘まんで兄に話せば、兄は何とも言えない顔をしていた。
 おそらく、ガリオスが自分の予想していた面を見せていないからだろう。
 しかし、はっとシャルティーダはあることに気がついた。

「もしかしたら、本命には兄上の言うような、そのような一面を見せるのかもしれませんね」
「私は、おまえは昔から鋭い子だと思っていたんだがなあ」

 呆れた顔で、美しい金髪をかきあげる兄のなんと麗しいことか。思わず見惚れるが、シャルティーダは咳き込み目を逸らした。

「ところで、屋敷から出ていないのか?」
「ええ」
「……一歩も?」
「はあ。特に出歩く用事もないので」

 何せ、シャルティーダが必要とするものは全て用意されている。
 この屋敷に住むことになった一日目には、もう王城からシャルティーダの荷物は持ち込まれており、日常生活に必要なものはあった。
 翌日以降、暇だろうからとガリオスがくれたシャルティーダ好みの本はまだ全て読み切っていない。
 それに、シャルティーダに課せられた仕事は、この数日ガリオスが王城から帰ってくる際についでに持ち帰ってくれているので、取りに行くこともないのだ。出来上がった書類も、ガリオスが今朝、王城に行くついでに持って行ってくれている。

「ただ、持ち出し禁止の書類もありますから、いつまでもヴィラン将軍に使い走りのようなことはさせられません」
「あー、うーん、そうか、うん。いや……えぇ……」
「兄上?」

 唸る兄を見ていれば、彼はふと顔を上げて輝かんばかりの笑顔を浮かべた。

「ああ、やはり私は奴は絶対無理だ」

 その言葉の意味を計りかねて怪訝な顔をする空と称される弟を尻目に、傾国の兄はすっと立ち上がった。

「私はそろそろ帰るとするぞ」
「では、見送りを」
「ああ、ありがとう」

 シャルティーダは、自分よりも少しばかり華奢なルドガーの背を追う。
 ルドガーはちらりとシャルティーダを見上げて、そして空色の髪を優しく撫でた。

「面倒臭い男の嫁に行かせることになるが、まあ、おまえが幸せになれるのなら私は何も言うまい」
「……ヴィラン将軍の幸せはどこにあるのでしょうか」
「奴も幸せだろう。なにせ、自分が欲しがったものが手に入るのだから。フォーレルンに関しては、心配するな。此方の事情も話して穏便にお引き取り願った。向こうからの文句もないだろう。おまえが向こうに行く話は綺麗さっぱり無くなった」

 さらりと、あっさりと告げられた言葉に、シャルティーダの太陽の目が見開かれた。ルドガーは悪戯っぽく笑う。

「さあ、晴れておまえと鬼将軍は何の心配もなく結婚できるぞ」

 国の為、シャルティーダを欲しがらざるを得なかった彼から、いよいよ幸せを奪ってしまったような気がして、シャルティーダはルドガーに笑い返すことができなかった。


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2016.10.18〜2017.2.7