空の王子と鬼将軍 | ナノ
王子と将軍の話し合い

 応接室に一度戻り、シャルティーダはガリオスの入れた紅茶をすする。色々とありすぎてすっかり忘れていたことがあった。 
 今日、シャルティーダがガリオスの屋敷に来たのには理由がある。本当は最初に応接室に通されたときにその用事を済ませるはずだったが、ガリオスが屋敷を案内すると言いだしたので断るのもどうかとついて行けば、今日からここに住むことになっていたという事実に驚きすっかり忘れてしまっていた。シャルティーダは別にこの屋敷遊びに来たのではないのだ。

「本題に入ろうか、ガリオス」
「本題、ですか」
「ああ。俺が昨日の今日でここに来た理由は他でもない、国王陛下から、今後について話し合うようにと早朝に命を受けたからだ」

 いくら国の英雄がシャルティーダを欲し、国がそれを許したとはいえ、外交上問題がないわけがない。このままだとフォーレルンに行くことになるだろうと、シャルティーダだけではなく、周囲の者たち、そして国民さえも予想していた。そして、フォーレルンもそう予想していたに違いない。フォーレルン王国の使者もそのつもり、というかそれが本題で2日後にこの国を訪れるのだ。
 外交官や、時期国王である兄は何とかすると息巻いていたが、そう簡単には行かないだろう。だからこそ、父は、ガリオスと今後の身の振り方を相談するようにと言う意味でガリオスに早々に会うよう命令してきたのだ。そう、思っていたのだが。

「ええ、私も今後を話し合うよう言われました」

 ガリオスは、ほんの少し頬を緩めて、言った。

「私はシャルティーダ様のことをより知りたいですし、貴方にも私をよく知って頂きたい。これから、夫婦になるのですからな」
「……ん?」
「私は見た通り無骨者で、尊き血をひくわけでもなく、図体がでかいだけのつまらん男です。顔も傷だらけで醜いでしょう。国の英雄などと呼ばれておりますが、それは私一人の力ではないし、皆が思っているほど高潔な精神を持っているわけでもありません。むしろ、知れば皆が唾棄するような醜い思いも持ち合わせております。……貴方と釣り合うなどとは思っておりません」
「ちょ、」
「ですが、釣り合う釣り合わない関係なく貴方を夫として支え、尽くし、守ることを誓いましょう」
「……ちょっと、待て」

 これは、勘違いしそうになる。まるで愛の告白だ、とシャルティーダは額を押さえ俯いた。赤くなる頬を冷ますべく、震える呼吸を何とか平常に保とうと目を瞑り大きく呼吸をした。

「待て、待て ……フォーレルンは、どうした。身の振り方は?」
「フォーレルン、が、なぜここで出るのですか?」

 忌々しげに隣国の名を口にするガリオスに、シャルティーダは困惑する。

「いや、今後について話し合うとのことだろう」
「ええ。ですから、今後近い内に夫婦となる私たちには結婚前に色々と話し合いが必要だ、と陛下が仰り、シャルティーダ様もこちらへ来たのでしょう」
「そういう意味だったのか……」

 頭を抱えるシャルティーダだったが、その手にそっと触れられて頭を上げた。太く逞しいが少し歪に曲がった指が、シャルティーダの形の良い指を撫でる。人差し指の付け根から、指先にかけて、つう、と撫でられて、思わず肩を揺らしてしまう。
 その反応に、唇の端をそっと持ち上げたガリオスは、じっとシャルティーダを真正面から見据えた。その鋭い隻眼に射抜かれ、シャルティーダは息を止めた。

「シャルティーダ様」

 名を紡ぐその厚い唇に、薄く傷が走っているのに気付いてしまった。シャルティーダはガリオスから目が離せなかった。まるで、捕食者に睨まれた憐れな獲物のような気にさえなっていた。

「案ずることはありません。フォーレルン王国に関しては、陛下も、兄君であるルドガー殿下も全力を尽くすと仰っておりました。貴方はただ、英雄である私に嫁いでくだされば宜しい。あの国に、行きたくはなかったのでしょう?」

 ああ、と、シャルティーダは密やかに溜息をついた。ガリオスの赤銅の目がなぜだか恐ろしく感じて、その目から逃げるように目を伏せた。シャルティーダ様、と低い声で囁くように名前を呼ばれて、一度堅く目を閉じた。
 そして、ゆるゆると顔を上げると、微笑み、言った。

「……ああ、ありがとう、ガリオス。父と兄上のことだ、確かにフォーレルン王国に対しては問題なく対処するだろう。これから、よろしく」

 触れていたガリオスの手をそっと取り、引き寄せ、額に押し当てた。

「おまえは、恩人だ。だから、俺に遠慮はいらない。国を揺るがすようなことはできんが、俺にできそうなことがあれば言ってくれ」

 視界の端に映った、シャルティーダに握られていないガリオスの右手が、ぐ、と握られたのが見えた。しかし、ガリオスの左手に額を押しつけたままのシャルティーダは、ガリオスがどんな顔をして彼を見下ろしているのか、ついぞ知ることはなかった。


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2016.10.18〜2017.2.7