空の王子と鬼将軍 | ナノ
拗らせる一端

「シャルティーダ様」

 名前を呼ぶ声は低く落ち着いている。その声は、戦場では仲間を鼓舞するために張り上げられているのだろうと思うと、頭が下がる一方だった。そして、同時に申し訳なさがこみ上げてくる。
 真正面からシャルティーダを見下ろすガリオスは、間近で見れば見るほど巨躯で逞しい男だった。40も近いというのに、その身体は衰えを知らぬと見えた。銀髪は後ろに撫でつけられており、顔には傷が目立った。ひとつの鋭い眼光から、彼が何を考えているかなど察することなどシャルティーダには出来なかった。

「シャルティーダ様、此方へ」
「……ああ」

 少しばかり間を置いてしまったのは、一瞬敬語にすべきか迷ったからだ。国の英雄だ、敬語を使うことも吝かではなかったが、この男はおそらく王族に敬語は使わせまい。それを思い、結局の返事がぶっきらぼうなものとなってしまった。
 それをガリオスがどう捉えたかは分からないが、少しばかり目が細くなったので、何か思うところがあったのは確かだろう。失敗したか、と内心で呻くシャルティーダをよそに、す、と無骨な手が差し出された。

「ここは段差がありますので」

 まるで貴婦人をエスコートするかのように差し出された手を、シャルティーダは神妙な面持ちで握った。剣を握るごつごつとした手は、壊れ物を扱うような繊細な力加減でシャルティーダの手を握り返す。
 そして、手を引き歩き始めた男の背を見て、何だかな、とシャルティーダはため息をつきそうになって飲み込んだ。

 自分が、国の英雄に嫁ぐと決まったのは昨日のことだ。そして今日、自分はその英雄の住まう屋敷に訪れていた。何もかもが予想外の急展開。しかし、昨日と比べて自分が思った以上に冷静でいるのは、昨夜、色々と事情を察したからである。



「これでフォーレルンに行かなくてもすむぞ、シャルティーダ」

 急展開に頭が着いていけずとも、末の弟にせがまれ改めて出来事を語れば、その出来事は自分の中で嫌でも整理される。そして、色々と思うことはあれど最終的に求める答えを握っているのは、こんな状況にした元凶たる自分の父親だろうと思い至った。
 思い至った瞬間、早々に父である国王に目通りを願えば、それはあっさりと許可された。シャルティーダが来ると予想されていたのだろう。
 そして、常より些か足音荒く入ってきた息子に向かっての開口一番がそれだった。シャルティーダは文句とも詰問ともつかないことを言おうとしたのだが、先に話をされてしまえば黙るしかない。親とはいえ、相手は王だった。

「フォーレルンに行きたくなかったのだろう?」

 そう言って首を傾げる王の顔は、至って真面目だった。シャルティーダは狼狽える。言葉にはしなかったが、フォーレルンに行くのが嫌だったのは否定できなかったからだ。そして、シャルティーダの賢い頭は答えをはじき出した。

「まさか、それを狙っての今日のあれですか?」
「うむ。我が国の誉れである英雄が求めた人間を、まさか他国に送り出しは出来まい。そんなことをすれば国民は怒り、諸外国も我が国を侮るであろう。フォーレルンも、分かってくれるはずだ。歴戦の英雄のものになってしまっては、くれてやれんということを」

 ぱかり、とシャルティーダの口が開く。あまり動じない第2王子の間の抜けた顔は珍しいものだったが、それも仕方ないことだろうな、と国王以外が王子に同情した。

「そ、それでは、おれ、私をフォーレルンにやらぬ為に、将軍には一芝居打っていただいたということですか」
「芝居ではないぞ。おまえはもうガリオス・ヴィランのものだ」
「は、いや、しかし、それだと将軍のお気持ちはどうなりますか。私のようなものを娶るより、相応しい者はいますでしょう。俺がフォーレルンに行きたくないという我が儘に巻き込むなど!」
「む。だが、奴は自分の口からおまえが欲しいと言ったのだぞ」
「言わせたの間違いでしょう!」

 その言葉に、国王が少しばかり眉を潜めた。

「私は奴に無理矢理言わせた記憶はない。なあ、ルード」

 話を振られた正妃は、曖昧な笑みを浮かべて「ええ、まあ」と濁した後、ぽつりと「ある意味誘導したとは言えますが」と呟いた。

「そう、誘導したでしょう!」

 国王は、むむむ、と顔をしかめ、持っていたワイングラスを少し粗雑にテーブルに置いた。カンッと甲高い音が響く。

「誘導したにせよ、奴が自分の意志で言ったのは確かだ!そして、王たる私はその願いを聞き入れた。その判断を不服というか?」

 誘導したことを否定せず開き直った国王は、自分の息子をぎらりと睨みつけた。その睨みと言葉に、シャルティーダは、ぐ、と言葉を飲み込んだ。基本的に、シャルティーダは国王に逆らえない。賢王と名高い父を尊敬している上に、そもそも人に噛みつく性格をしていないからだ。
 これが他の3人の王子だったら、それぞれ国王と舌戦を繰り広げるのだろうな、と正妃は思って遠い目をしている。4人の王子のうち自分の子である3人が、それぞれ一筋縄で行かない性格をしていることが少しばかり嘆かわしい。3人とも可愛い我が子だが一人くらいシャルティーダのように素直な子が欲しかったと思うが、口にはしない。じゃあもう一人作るかと頑張られても困るからだ。正妃ルード、御年45才。身体の衰えを感じる今日この頃である。

 さて、シャルティーダであるが、黙ってはいるものの素直にはいそうですかと引き下がるつもりはないらしい。必死に言葉を探しているのを見て取って、国王は少し声音を和らげ言った。

「しかし、まあ、おまえの気持ちを考えずガリオスにくれてやったのはすまないと思っている。おまえは、奴に嫁ぐのは嫌か?確かにあの年で結婚していないのを考えると何かあるのではないかとも思うのは仕方ない」
「いや、俺は別にそう思っているわけでは」
「ふむ?そうなのか。では、何が不満だ?顔は恐ろしいが、誰彼構わず暴力を振るう男ではないはずだ」
「それを疑っているわけではありません」
「浮気をするほど愚か者ではないし、そもそも相手もいまい」
「父上、それは大変失礼な気が……」
「金も名誉も地位もある。何が不満だ?」

 心の底から不思議そうに問う父に、シャルティーダは口を開こうにも言葉が上手く出てこない。

「不満だとか、そういう話ではなく、」
「では、なんだ?ガリオスが嫌いか?」

 迷子になった子供のような顔をして視線を彷徨かせる王子を見て、国王以外が心中でほろりと涙をこぼした。何ともまあ、意地悪な父親であると思うが口にはしない。親子の語らいに口を挟むほど野暮ではないのだ。たとえ、王子が困り果てていたとしても。

「いえ、嫌いというわけではありません。ですが、その、俺、いや私が彼に嫁ぐなど予想外も甚だしいといいますか。そもそも、彼も心から望んではいないでしょう、それが申し訳ないのです」
「だが、奴はおまえが欲しいと言っていた。少なくとも、奴はおまえを娶るのに不服はないのだろう」

 シャルティーダはそこでようやく悟った。この話に関して、おそらく父とは平行線を辿るだろうと。
 シャルティーダは疲れたように片手で顔を覆い、それからその美しい青髪をかきむしった。

「ああ、くそ!父上!ひとつ、良いですか」
「言ってみよ」
「もし、将軍がこの婚姻を取りやめたいと言えば、許可していただけますか?」
「つまり、褒美として得たおまえを返還したい、と言い出したらということか?」
「はい」
「うむ。別に私としては構わぬ。くれてやったものを無くすならともかく、返すというなら拒否せず受け取ろう」
「その言葉、覚えておいてください。……それでは、長々と失礼いたしました」
「もう部屋に戻るか」
「はい」
「そうか。では、おやすみ」


 国王に続き正妃も言葉をかければ、シャルティーダも同じく言葉を返し、その美しい青い髪を揺らして部屋を出ていった。
 それを見送り、国王は顎を撫で目を細めた。

「しかし、奴がシャルティーダを返すとは到底思えんのだが。むしろ、外に出してやるかも怪しいぞ。そもそも、奴が望んであれを欲しがったというのに、あれはなにを世迷い事を言っておるのか」

 先ほどから何度か見せている、心底不思議そうな顔で国王は首を傾げている。それを見て、もしや、とルードは一つの可能性を見出した。妙に噛み合っていない親子の会話、父の方がからかいを込めていたのだと思っていたが、もしかして。

「……陛下」
「なんだ、ルード」
「シャルティーダは、どうやらガリオス様が陛下の命令で、義務感で自分を娶ったと思っているようですね」

 国王は、目を丸くした。
 この場にいた全員が、シャルティーダがそう考えていると察していた。国王も察していて、しかし、わざと決定的なことを言わず言葉遊びのようなことをしていると思ったのだが。

「奴があれを好いているのは、一目瞭然だろう!」
「私も今日の場で、彼の熱のこもった目を見て知りましたが、シャルティーダは気付いていませんでした」

 国王は頬をかいてぼやく。

「奴はおまえが好きだから娶りたいのだ、と言ってやれば良かったというのか」
「今更ですけれどね。……拗れなければ良いのですが」

 正妃の心配が当たるのは、そう遠い未来の話ではない。


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2016.10.18〜2017.2.7