空の王子と鬼将軍 | ナノ
空の王子と末の弟

「おにいさま、お兄様!!」

 ぐい、と袖を引かれて、はっと我に返った。
 視線を下に向ければ、今年で8歳になった末の弟が、じとりとシャルティーダを見上げていた。

「お兄様、ぼうっとし過ぎです!」
「あ……すまなかった、クリオラ。そう拗ねるな」
「すねてませんー!」

 ぐりぐりとその柔らかな茶色い髪を撫でてやれば、拗ねてないと唇を尖らせている割には気持ち良さそうにすり寄ってきた。
 可愛らしいその様には頬を緩めてしまう。

「うぐぐ……王道攻め要員な男前王子のでろ甘笑顔ずるい」
「何か言ったか?」
「なんでもありません、お兄様」

 奇妙な顔をして何か呟いた弟に聞き返せば、けろりとした様子で首を振る。それでもシャルティーダが気になっているのに気付いたのか、クリオラは話をそらすように「それよりも」と鈴の音を転がすような声で言った。

「なぜ、そうもぼうっとされているのですか?」

 くり、と首を傾げて見上げてくる弟に、何と告げて良いものかと思案し、苦笑した。クリオラはシャルティーダの言葉を待っている。

「あの鬼将軍の嫁に行くことになったのだ、戸惑いもするだろうさ」

 突然かけられた言葉と、突然現れた魔力の塊に、シャルティーダは内心ひやりと肝を冷やした。
 未だ慣れぬ存在が、いつのまにやらクリオラの傍らに立っていた。

「精霊王様……」
「リュカ!」

 なぜつい1時間ほど前に決まったことを知っているのだ、と思ったが、今呼び掛けた通り相手は精霊王であるので、知ってて不思議ではないのかもしれない。
 クリオラはと言うと、その愛らしい容貌に驚きを浮かべクリオラだけが呼ぶのを許されている精霊王の名を呼んだ。
 驚きと多大なショックを受けているらしいクリオラは、どういうこと、と精霊王の服の裾を掴んでいる。
 精霊王は、特に鬱陶しがることなく、乏しい表情ながらもどこか穏やかな目でクリオラを見下ろしているような気がして、少しだけシャルティーダの気持ちが和んだ。

「お兄様が嫁入り?!あの強面鬼将軍に?!フォーレルン王国の儚げ美人王子に婿入りという話は何処へ行ったのですか!」

 聞いていませんよ!とそのふんわりとした茶色の髪をかきむしり、クリオラが高い声で憤慨している。それを見てシャルティーダは戸惑い、精霊王が一つ溜め息をついた。

「まあ、100歩譲ってフォーレルン王国への婿入りが無くなったことは良いとしましょう。儚げ美人のお嫁さんをもらうお兄様が見られないのは残念ですが、僕だってスタンウィーグとあの国との関係くらい分かっているつもりです。元敵国の王子同士という涎ものの設定は非常に惜しいですが、現実問題元敵国に婿入りとか人質みたいなものですし。ですが、なぜ!あの鬼将軍?!見た目は俺様攻めなくせに中身は穏和で受けには絶対スパダリ確定の世界で一番格好良いお兄様には、絶対にお似合いの受けがいるはずなのに!」

 殆んど息継ぎもせずぺらぺらと喋るクリオラの言葉は、シャルティーダには半分も理解できなかった。シャルティーダの知らない単語が出てくる上に、クリオラのあまりの早口に驚いてろくに聞けなかったのだ。

「落ち着けクリオラ。おまえの兄が戸惑っているぞ」
「戸惑いしょんぼり顔プライスレス!」

「く、クリオラ……いったいどうしてしまったんだ?」

 年の割にはしっかりした性格で、口も達者なのは気付いていたが、もう少し舌ったらずでゆっくりとした口調であったはずだ。にも関わらず、今のクリオラは流暢で早口だ。
 目を白黒させ自分の弟を見下ろす兄を見かねたのか、精霊王は言った。

「腐男子という生き物なのだ」
「ふだんし?」

 初めて聞く単語を聞き返せば、精霊王は表情の乏しい顔でこくりと頷いた。

「ああ、なんでもあの世界では」
「リュカ!」

 ごすり、とクリオラの小さな拳が精霊王の鳩尾に当たった。一見すればじゃれあいにも見えるそれだが、その瞬間精霊王が崩れ落ちたのを見れば、それがじゃれあいではないことは分かる。
 魔力の込められた小さな拳をそっと掴み、クリオラ、と名を呼べば、自分と同じ太陽の色の目がシャルティーダを見上げた。

「クリオラ、精霊王様に何てことを……」
「良いのです、お兄様。あれで案外喜んでいますから」

 にこりと微笑む末弟の後ろに、同じように微笑むもう一人の弟を見た気がして、シャルティーダは思わず遠い目をした。
 可愛らしい顔が似るのはともかく、嗜虐的で腹の底が黒そうな部分も似てきているのは気のせいか。気のせいだと思いたい。
 気のせいにしたいので、シャルティーダは結局、そうか、とぽつりと呟いてクリオラの手を離した。

「それよりも!いったいこの数時間で何が起こってあの鬼将軍にお兄様が嫁入りなんてことになるんですか!」
「実は俺にもよく分からない。気付いたらそうなっていたんだ……」
「一から詳しく話を聞くので僕の部屋にいきますよ!」

 小さな手に引っ張られ、よろめいた瞬間、そこは今までいた王宮の廊下ではなく、クリオラの自室だった。詠唱なしでの移動魔術にシャルティーダは感嘆するも、クリオラは至って普通だった。
 ぐいぐいとクリオラは兄を引っ張り、シャルティーダはそれに引っ張られていく。その力はか弱く、踏ん張れば引っ張られることもないのだが、シャルティーダは大人しくそれについていった。
 天蓋つきの大きなベッドまで連れていかれ、座るよう促される。それに従い座れば、クリオラはその隣にぽすんと腰掛け、その小さな体をずいと近付け言った。

「一から全部、あますことなく喋ってください」

 シャルティーダは曖昧に笑ったが、クリオラの視線に話す他ないと早々に察し、玉座の間での出来事を語った。



「強面推定サド鬼将軍に手込めにされる男前王子……くっ、いやいや、僕の趣味じゃない。お兄様はお嫁さんをもらってラブラブいちゃいちゃ夫婦生活を送るのがお似合いなんだ……!」

 後日、そう嘆く幼い王子の顔には、少しばかりの好奇心が覗いていたのを知るのは彼の伴侶となる精霊王のみだ。

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2016.10.18〜2017.2.7