上ったばかりの太陽が眩しい、さわやかな朝。
目覚めると見知らぬ部屋の、見知らぬベットの上に転がっていた。
私はぼんやりした眼で辺りを見回す。
広く豪奢な作りの室内だが生活感がなく、どこかの高級ホテルのようだ。
ちなみに今いるベットはふかふかのダブルベット。
そして、隣には誰かがシーツにくるまって就寝中。
寝ぼけ気味だった私の脳みそは、一気に覚醒した。
――マジ、ですか?
二日酔いで痛む頭を抱えながら、私はガバリと起きあがる。
どうしよう。何も覚えてないんだけど。もしかして、私、とんでもないことをやらかしてしまったんじゃ……。
最悪の予想にサァッと血の気が引くの感じつつ、私はおずおずとそのシーツをめくる。
「……!」
その瞬間、私はつい声にならない声を上げてしまう。
同時に、昨晩のことを思い出すためにボスッボスッ! と何度も枕で頭を殴る。
――そうだ。
私は昨日、ビアガーデンで合コンしてたんだった。
ふと甦る記憶の断片。
それを頼りに、何故こうなったのかを必死に思い出すことにした。
* * * * * * * *
――人々の喧騒が激しい、夜のグルメビアガーデン。
ビールのグラスを片手に乾杯を上げる音や、楽しそうな笑い声が響く。
その喧騒から逃れるように、私は同僚を連れて化粧室に立てこんでいた。
「騙したな」
私が苦々しく呟くと、化粧直しをしていた会社の同僚は振り返ってニッコリと笑った。
「人聞きの悪いこと言わないでよ、ワカメ」
「……今日は、ただのアフターで飲みに行くって聞いたんだけど?」
「飲み会には変わりないでしょ」
いつもより濃いメイクの同僚の言い分に私は溜息をつく。
彼女の唇の赤いリップが色っぽく艶やかに輝いている。
素っ気ない仕事のメイクとは違い、まさに戦闘モードといった彼女は美しい。
――しかし、だ。
私は聞いていない。
美しく着飾った理由が、まさか「合コン」だったなんて。
どうりで、『今日はいつもよりお洒落して行こうね』等と言われたわけだ。
女同士で、しかもビアガーデンなのにお洒落なんて変なの……と思ったけれど、私はそれに素直に従った。
夏場に合わせ、ブルーを基調にした爽やかな花柄のマキシ丈ワンピースに、エスニック調のトングサンダルを合わせている。
ファッションに関していつもサニーさんになじられている私にしては、お洒落にした方だ。
だって同僚と久しぶりのアフターだったし、それなりに楽しみだったからね。
……ところがである。
実際ビアガーデンに行ってみると、見知らぬ男性たちが待機していて――そこで今回の飲み会が「合コン」であると知ったのだ。
「ホントのこと言うと、ワカメ来ないじゃん」
「だって疲れるし」
「あんたはもう少し、色恋にも探究心を発揮しなさいよ」
同僚はそう言いながらポーチに化粧品をしまう。
私はそれをやる気のない顔で見ながら、どうにかして帰る事ばかりを考える。
すると、同僚は突然私に近づき、肩をポンッと叩いてきた。
同僚の表情は笑顔だったが、目は笑っていない。
「とりあえず、ご飯食べてお酒でも飲んでなさいよ。――だだ、途中で勝手に帰るのは許さないからね?」
「……はぁい」
同僚に凄まれて、私は情けない声を出す。
私の返事に満足した同僚は、「気に入った男性が居たから、お先に!」と言って化粧室を後にした。
アクティブなその姿に女性の力強さを感じつつ、私はまたもや溜息を漏らす。
――確かに同僚が言うように、人数を合わせた合コンで、勝手に一人で抜ける訳にはいかないだろう。
興味はない事柄でも、社会人としてマナーは守るべきである。
幸いなことに、私は合コンにノリを合わせれるほど大人ではないが、自分勝手になれるほど子どもでもない。
「仕方ない……とりあえず、精一杯食べて、飲むか」
あの同僚のことだ。恐らく男性陣がおごる方向に持っていくことだろう。実にたくましい。
……ふむ。
せっかくのおごりならば、その波にはのっておいて損はないな。
そうポジティブに考えると、途端にテンションが上がってくる。
「良いお酒頼んじゃお」
私は頼みたいお酒を指折り数えながら、自身も化粧室を後にし、飲み会という名の合コンの席へと戻った。
そして、目の前で繰り広げられる男女の取引合戦を横目にしながら、一人好きなようにお酒を頼み、飲みまくったのである。
――その飲み会から数時間後。
「あー、ちょっと飲み過ぎたかな。わはは」
私は程良くフラフラする頭を持て余しながら、駅を目指して一人歩いていた。
何故一人なのかと言うと、飲み会が終わったと同時に同僚は皆それぞれお目当ての人物と、何処かへ消えて行ってしまったからだ。
まぁ、無心に飲み食いをしていただけの女である私は、当然誰にも相手にされなかったが。
ただ酒のせいもあってか、さほど寂しくは無い。ひたすら帰路につこうと奮闘している。
しかし、ここで非常にまずいことが一つあった。
実は先程から、一向に駅が見えてこないのだ。
「あちゃー……」
私は間抜けな声を上げて、ぐるりと辺りを見回した。
ビアガーデンがあった繁華街の喧騒は影を潜め、落ち着いた雰囲気が漂っている町並みだ。
ハイセンスなビルや高級ホテルが立ち並び、お洒落なバーも点在している。
――ありゃま。私ってば、普段全然立ち入らない方向に歩いてきちゃったっぽいな。
どう見ても上流階級の方たち御用達の空間に、私は軽く頬を掻いた。
「とにかく、駅を……駅を探さないと」
ヒック、と酔っ払い特有のしゃくり上げをしながら、私は適当に歩きはじめる。
しかし、どうしても駅に行きつかない。
何故だ。
それどころか、同じ道をグルグルしている気さえする。
「あれ……?」
その途中で、私は見覚えのあるものを視界に捉えた。
いや、視界に入らないほうが無理ってもんだ。
――美しい夜の街に揺れる、極彩色の煌めき。
目がチカチカするほど美麗な輝きを放つ人……あれはサニーさんだ。
ちょうど彼は、見上げれば眩暈がしそうなほど高層な造りのホテルから出てきた所だった。
パーティスーツをすらりと着こなした彼は、格好に似合わないひどい仏頂面をしている。
私はそんなサニーさんをぼーっと見つめていたが、次第にじわじわと胸に悪戯めいた気持ちが湧きあがってくるのを感じた。
普段ならサニーさんの不穏な空気を避けるだろうが、今はただの酔っぱらい。
怖いものなんか、なくなるのである。
そうと決まれば、私はサニーさんに向かって駆け出す。
途中、私の気配に気が付いたサニーさんがこちらを向いて、目を丸くしたのが見えた。
「ワカメ!?」
「あははは、サニーさん、奇遇ですねぇ」
酔っぱらいのくせして、走ったせいで全身に酔いが回る。
クラクラする頭が、妙に心地よくて私は上機嫌で彼に話しかけた。
しかし、サニーさんはそんな私に訝しげな表情を浮かべている。
「前、んな所で何してんだし」
「道に迷っちゃって。サニーさんこそ、どーしたんですか?」
「別に」
「えー! 秘密ですか!? それってスクープ的な何かですか!?」
「ちげーし! 俺プロデュースの商品を出す会社の記念パーティだ!」
突然、ベシッと叩かれる感覚が後頭部に走る。恐らくサニーさんの髪の毛だ。
私はむーっと唇を尖らせながら、自分の頭をさすった。
「違うんですか、意外とお仕事熱心なんですね」
残念、と私が漏らすとサニーさんは眉間に深い皺を作る。今日の彼はかなりご機嫌斜めのようだ。
「サニーさん、なんか機嫌悪いっすねー。つくしー顔が台無しですよー。」
からかいを含んだ言葉が、私の口からペロリと吐き出される。
サニーさんは眉間に皺を寄せたまま、私に詰め寄ってきた。
「……前、相当酔ってね?」
「あははは」
「あははは、じゃねーし! しかも、やっぱ酒くさっ!」
「あははは、だって」
私は声を出して笑ってしまう。
酔っているのもあるが、何より先程から頬がくすぐったいせいだ。多分、サニーさんの毛先だろう。
私の様子に呆れたのか、サニーさんの毛先がふとを離れる。
そして、下から上へと、まじまじ私を見つめる視線とかち合った。
「にしても、前、んな格好すんのな」
マキシ丈のワンピースの裾が、風もないのに微かに揺れる。
「……えっと、飲み会と言う名の合コンに行ってきたんです」
私がサニーさんの質問に答えた瞬間、喉の奥から“ヒクッ”としゃっくりが出た。
同時に、サニーさんの表情も“ヒクッ”と動いた気がする。
再び彼の眉間に皺が出来る。
――美容に良くないですよ、そう言おうと思ったが、寸前で私は口を噤んだ。
僅かに広がったサニーさんの髪の毛が、機嫌の急降下を告げるサインだ。
「……ねーし」
「はい?」
「それ、似合ってねーし」
プイッと顔を逸らして、サニーさんがつっけんどんに吐き出した言葉に、私はポカンとした。
「サニーさんひどい」
「だって事実だろ」
「私にしてはがんばったんですよ!」
「調和してなきゃ意味ねーしっ」
「そりゃ、そうですけど!」
きーっ! と、私は両手を振り上げる。
しかし、美のカリスマでもある彼に上手な反論など出来ず、私はブーブーと言うしかない。
「……前は、つくしさの欠片も無っ!」
「うっ!!」
トドメの一言が酔っぱらいの胸を刺す。
私はまるで漫画のように、胸を押さえて数歩後ろに後ずさりした。
大げさに悲しそうな演技をしながら、チラッとサニーさんを盗み見る。
しかし彼は、そんな芝居がかった私の行動を横目に、不満そうな顔を続けている。
――なんだよぉ。今日のサニーさん、ホントに機嫌悪いなぁ。
私はふざけるのを止めて、サニーさんに向き直った。
「今日のサニーさんは、本当につれないですねぇ」
「…………」
サニーさんははしばらく黙ってそっぽを向いていたが――突然、サァッと顔色が青く変わる。
その瞬間、彼は私に完全に背を向け、速足でどこかへと歩き出した。
そのまま、フィッと裏路地に入っていってしまう。
――どうしたんだろう?
「サニーさん?」
そうとう怒っているんだろうか。
しかし、そんなことは私だってもう慣れっこになっていた。
そして何度も言うが、私は今「酔っぱらい」だ。
“酒”を免罪符に使うなんていう行動は最低である上に、後悔が付きまとうものだが、酔っぱらってる本人にとってはそれが解らない。
私はそのままサニーさんの後を追いかけ出した。
「サニーさん」
声をかけても無視を決め込むサニーさんはズンズン進んでいく。
私はそのまま言葉を続けた。
「ねぇ、サニーさん。飲みに行きましょうよ」
「……はぁ!?」
突然の私の提案に、サニーさんは怪訝な顔をして、怒気を含んだ声で返事をする。
「最初、飲み会って聞いてたものが、合コンに化けたんです。赤い唇は魔性でした」
「……前、分かるように喋れ」
「騙されました。その上、合コンはつまんなかったんです」
「ふーん……」
サニーさんは素っ気なく呆れた声を出す。
同時に歩くスピードが落ちたのを見計らい、私は彼の前に立ちはだかった。
裏路地に入ったせいで、よく見えないが、サニーさんの顔色は相変わらず悪い。
「でもね、いいことがあったんですよ」
「……」
「さっき、サニーさんに会いました」
そう言うと、サニーさんは少しだけ目を見張った。
「つまり、今日は今が一番楽しいんです」
私がそう言って能天気に笑うと、サニーさんは青かった顔を真っ赤に染めた。
そして困ったような怒ったような変な顔をする。
それに連動するかのように、彼の髪の毛先が、クルクル巻いたり、ぐにゃぐにゃと弱ったように動いたりと、複雑な動きをはじめた。
「サニーさん?」
不思議な彼の様子に、声をかける。
だが、いくら待ってもサニーさんは喋りだすことはなく、次第に冷や汗を流しはじめているのが見えた。
私はそんなサニーさんに首を傾げる。
「やっぱりダメですか? つくしくないですもんねぇ、私」
「……っ、違うし……」
絞るように出したサニーさんの声は、ひどく苦しそうに聞こえた。
「……サニーさん?」
――もしかして。
私は慌てて、サニーさんに近づくと、彼の顔に目を凝らす。
すると、赤くなっていた顔は、またもや青くなっていた。
そこでようやく私は一つの答えに行き着いた。
「……もしかして、サニーさん、体調悪いですか?」