どうか、もう一度 2

「困りました」

「何に困ってるんだ?」

「私、いつも成り行き任せの所があって……こんなに沢山のことを自ら決めたのは初めてで……まだ、頭がついていかないんです」

私が苦笑いを零すと、キッスが弱弱しく喉を鳴らした。

それが申し訳なくて、私は頭を少し横にしてキッスのくちばしに頬を寄せる。

「まぁ、言い訳なんですけどね」

……私は考えなしに感情で行動することに、少し怖気づいているのだ。

本当は怖いだけ――その言葉を飲み込んだ。

そんな私に、鉄平さんは顎に手を置いて空を見上げる。

そのとき、風が私の髪を流し、頬へと張り付いた。

それが少し鬱陶しくて、頭を振る。

しかし風は容赦なく、私の髪を顔へと流し続けた。

――なんだか、なぁ。

払ってはかかり、払っては……なんて、まるで今の私の思考のようだ。

私が何度か頭を振ると、突然キッスが片羽根を上げた。

「キッス?」

驚いて視線を上げる。

キッスはその片羽根で、私を風から守るように包んだ。

その行動に私は目を見張る。

あぁ、もう。

どうして。


「……キッス、ありがとう」


どうして。

そんなに、優しいんだろう。

この世界に来て、私は優しさばかりを受け取っている。


「鉄平、さん」

堪らなくなった私は、俯いて鉄平さんに声をかけた。

その声はどこか震えていて、ひどく細かったが鉄平さんが「ん?」と返事をくれたのが聞こえる。

「……私、その、本当にどうしたらいいのか」

「……うん」

「こんなにも皆優しいのに、私は何も返せていないんです」

本当ならば、こんな風に幸せなことばかり起きるはずもない。


――死んでもおかしくは無かった。

不審がられ、放り出されてもおかしくは無かった。

なのに。


「……私は、自分に甘いんです。いつも、いつも自分の好きなことしかしない」

「ワカメちゃん……」

「それが、どれだけ迷惑か解っているのにです」

「じゃあ、ここに残る?」

私の弱音に対して、鉄平さんはやけにあっさりとした声で提案を出した。

「え?」

「――君が、自分の望み通りに動かないなら、って話しだけど」

「……望み通りに、動かないなら?」

「ああ。ただ、俺は歓迎するけど、おススメとは言えない」

何度も目をパチクリする私に、鉄平さんは飄々とした笑みを浮かべた。

「――自分に甘いのは当たり前だ。人間、誰しも幸せなほうがいいに決まってる」

月明かりの下で見る彼は、ますます不思議な雰囲気を纏っている。

それでも、おどけたような言い方は変わらない。

「……正直、好きなようにすればいいと思う。それに救われるやつだっているだろう」

「救われる? 私の行動でですか?」

私の声は、自分でもわかるほどに、疑問や疑心が色濃く出ていた。

「そんな力、私にはありませんよ」

自分でも、何故こうもネガティブな発言をしているのだろうと思う。

弱い。やはり、弱い。

自分でも嫌になる。


しかし、私の後ろでキッスが大きく喉を鳴らすのが聞こえて、ハッとする。

キッスを見上げると、切なげに目を細めていた。


「自分をどう評価するのかは勝手だけど――捨てる神あれば拾う神もいる」


鉄平さんは言葉を続ける。


「それでも、自分を捨てるのか?」


夜風が、私の心を煽るように強く吹く。

草木のざわめきが聞こえて、落ちた葉が舞い上がる。

……望みを捨てるということは、私を捨てるということ?

私の望んだ行動で、救われる人なんて本当に居るんだろうか。


――頬に、ぴしりと飛んできた葉が当たる。

それに僅かに顔をしかめると、キッスが身を屈めて、風と葉から私を庇うようにさらに包み込んだ。

「……キッス」

キッスが、喉を鳴らす。

同時に、鉄平さんの笑う声が聞こえた。


「そこのエンペラークロウの望みは、多分ワカメちゃんと同じだ」

その言葉に、私は目を見開いてキッスを見る。

キッスは、肯定するように、くちばしでまた私の頬を撫でた。

それはひどく優しい。

同情でもなく、慈愛を感じるキッスの行動に、私は目元が濡れそうになる。


――望まれる。

それが本当なら、どれだけ素晴らしいだろう。

私の心に思い浮かぶあの人にも、そんな風に思ってもらえるだろうか。


微かに零れそうな水滴を、私は頭を振って耐えた。


……自我を通し、あの優しい人を傷つけたのは確かだ。

望まれるなんて、思ってはいけない。

ただ。

手紙に書いたように、帰れはしなかったけれど――幸い、私は生きている。

『私は、死にません。ココさんの毒では死にません』

あの時の嘘は真実になった。

奇しくも、この体はそれに耐えうるように出来ていた。

もし、私が望みを捨てないで良いのなら。

やはり、もう一度ココさんに会いたい。

会って、元気な姿を見て、謝って、少しでもいいから礼を言いたいと思う。


――無言になってしまった私を、誰も急かしたりはしない。

キッスは時折、優しく私の頬を撫で、髪の毛を梳くようにくちばしを滑らせた。

少しくすぐったいそれに、私は泣き笑いのような表情を浮かべる。

そして、キッスに礼を述べてくちばしを撫で返し、鉄平さんの方へ顔を向けた。

「鉄平さん、ありがとうございます」

「うん?」

鉄平さんは、少しだけ首を傾けて相変わらず口角を緩やかに上げていた。

私は深呼吸する。


「私、キッスと行きます」

「……そっか!」

ニコリとした鉄平さんの笑みは、暖かだった。

そのまま、私とキッスの方へと歩を進めてくる。

そして、さっと私の腕の下へと手を伸ばすと、キッスから剥がすように私を引っ張って抱き上げた。

「て、鉄平さん!」

先程と変わらない態勢に、私が悲鳴を上げるのと同じように、キッスがまた甲高い声を上げる。

しかし、鉄平さんは可笑しそうに笑うだけで、やっぱり降ろしてはくれなかった。

「まぁ、いいだろ。少しくらい」

「少しってなんですか!」

「いや、思ったよりワカメちゃん決断するの速かったから」

妬けるだろ? なんて、鉄平さんはふざけたように言った。

飄々とした悪戯っ子のような表情に、私はポカンとした後、苦笑いを浮かべる。


あぁ、まったく。

掴めない、不思議な人だなぁ。

でも――優しい人だ。


鉄平さんはキッスの威嚇も物ともせず、私を抱き上げたまま、言葉を紡いだ。

「まぁ、いざとなったらまたおいで」

「いいんですか、そんなことを適当なことを言っても」

「捨てる神あれば拾う神もいるって言ったろう」

「鉄平さんが、拾う神ですか?」

「あと、IGOって道もあるけど」

「注射は、嫌いです」

私が即答すると、鉄平さんは目を丸くした後、声を出して笑った。




* * * * * * *




――夜風が、キッスの黒く艶のある羽を霞める。

鉄平さんに手伝ってもらい、久しぶりにキッスの背へと乗った私は、その柔らかな手触りに息をついた。

そしてその下で、彼方の空を見つめている鉄平さんに声をかける。

「あの、与作さんにも、ありがとうございました、と伝えていただけますか?」

鉄平さんは、あぁ、と言ってコチラに向き直り、快く承諾してくれた。


――私、お礼しなければいけない人が凄く増えていくなぁ。


そのことに少し心苦しさを感じつつも、それだけ優しさの恩恵を受けているのだと思う。

「鉄平さん、本当にありがとうございました」

「いや……俺はそのエンペラークロウのお願いを聞いたまでだよ」

鉄平さんがそう言うと、先程まで威嚇ばかりしていたキッスが、穏やかに鳴く。

それに鉄平さんは目を細めて笑みを浮かべた。


――キッスはもう一鳴きすると、羽を大きく羽ばたかせ始める。

きっとそろそろ、この夜空へと駆けだすのだろう。

その時、鉄平さんが思い出したかのような声で、私を呼び止めた。


「そうそう!ワカメちゃんっていくつ?」

「私ですか?私は――」

突然のことに驚きながら、私は慌てて自分の年齢を口にした。

あぁ、そう言えばまたしても言ってなかった。

鉄平さんは、驚くだろうか。

しかし鉄平さんは予想と違って、あちゃーという表情になる。

あんまりにも以外な反応に、私は戸惑いながら瞬きを繰り返した。


「残念だ」

「え?」

「超ストライクゾーンの上に、許容範囲だった」

悪戯めいたその顔に、私はしばし呆気にとられる。

「やっぱり、口は災いの元だな」

そんな私に、鉄平さんは笑う。

その言葉の意味を計りかねつつも、私は肩をすくめて笑い返した。

「冗談、お上手ですね」


――その瞬間、キッスが羽ばたく速度を上げて、大地を力強く蹴った。

少しバランスを崩した私は、焦ってキッスの背を掴む。

久しぶりの飛行に、心臓が跳ね上がる。

あっという間に空へと駆け上がる中、私はキッスにしがみ付きながら再生所へと視線を向けた。

月明かりだけでも、良く見える。

だけどだんだん遠くなる景色に、私は目を細めた。


小さくなっていく鉄平さんは、多分口の端を上げて笑っているだろう。


私を助けたのは、きっと偶然だったのだ思う。

もしかすると気まぐれだったかもしれない。

それでも、あれは優しさだった。

私は、やはり幸運なのだろう。


そう思いながら、今度はキッスの進む空の方角へと向き直る。

強い向かい風を相手に、私は目を凝らしながらその先を見た。

どこまでも続きそうな星空は、まるで深海のよう。

その空の海にプカリと浮かぶ月は、白く柔らかい光で私達を照らす。

キッスが、私を気遣うように優しく鳴いた。

「大丈夫……」

小さな返事。

だけどキッスには届いたのだろう。

先程よりも元気な声を夜空に響かせると、ほんの少しだけ速度を上げた。


流れる景色。

深海の夜空。

月の光。


目まぐるしい世界で、それでも私の心に浮かぶのは、他ならなぬ――彼。


胸に広がる想いの強さを、自分でも持て余す。


だた、その事実は覆しようもない。


私は空を仰ぎ、少しだけ潤んだ目を伏せた。


どうか、もう一度。



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