「困りました」
「何に困ってるんだ?」
「私、いつも成り行き任せの所があって……こんなに沢山のことを自ら決めたのは初めてで……まだ、頭がついていかないんです」
私が苦笑いを零すと、キッスが弱弱しく喉を鳴らした。
それが申し訳なくて、私は頭を少し横にしてキッスのくちばしに頬を寄せる。
「まぁ、言い訳なんですけどね」
……私は考えなしに感情で行動することに、少し怖気づいているのだ。
本当は怖いだけ――その言葉を飲み込んだ。
そんな私に、鉄平さんは顎に手を置いて空を見上げる。
そのとき、風が私の髪を流し、頬へと張り付いた。
それが少し鬱陶しくて、頭を振る。
しかし風は容赦なく、私の髪を顔へと流し続けた。
――なんだか、なぁ。
払ってはかかり、払っては……なんて、まるで今の私の思考のようだ。
私が何度か頭を振ると、突然キッスが片羽根を上げた。
「キッス?」
驚いて視線を上げる。
キッスはその片羽根で、私を風から守るように包んだ。
その行動に私は目を見張る。
あぁ、もう。
どうして。
「……キッス、ありがとう」
どうして。
そんなに、優しいんだろう。
この世界に来て、私は優しさばかりを受け取っている。
「鉄平、さん」
堪らなくなった私は、俯いて鉄平さんに声をかけた。
その声はどこか震えていて、ひどく細かったが鉄平さんが「ん?」と返事をくれたのが聞こえる。
「……私、その、本当にどうしたらいいのか」
「……うん」
「こんなにも皆優しいのに、私は何も返せていないんです」
本当ならば、こんな風に幸せなことばかり起きるはずもない。
――死んでもおかしくは無かった。
不審がられ、放り出されてもおかしくは無かった。
なのに。
「……私は、自分に甘いんです。いつも、いつも自分の好きなことしかしない」
「ワカメちゃん……」
「それが、どれだけ迷惑か解っているのにです」
「じゃあ、ここに残る?」
私の弱音に対して、鉄平さんはやけにあっさりとした声で提案を出した。
「え?」
「――君が、自分の望み通りに動かないなら、って話しだけど」
「……望み通りに、動かないなら?」
「ああ。ただ、俺は歓迎するけど、おススメとは言えない」
何度も目をパチクリする私に、鉄平さんは飄々とした笑みを浮かべた。
「――自分に甘いのは当たり前だ。人間、誰しも幸せなほうがいいに決まってる」
月明かりの下で見る彼は、ますます不思議な雰囲気を纏っている。
それでも、おどけたような言い方は変わらない。
「……正直、好きなようにすればいいと思う。それに救われるやつだっているだろう」
「救われる? 私の行動でですか?」
私の声は、自分でもわかるほどに、疑問や疑心が色濃く出ていた。
「そんな力、私にはありませんよ」
自分でも、何故こうもネガティブな発言をしているのだろうと思う。
弱い。やはり、弱い。
自分でも嫌になる。
しかし、私の後ろでキッスが大きく喉を鳴らすのが聞こえて、ハッとする。
キッスを見上げると、切なげに目を細めていた。
「自分をどう評価するのかは勝手だけど――捨てる神あれば拾う神もいる」
鉄平さんは言葉を続ける。
「それでも、自分を捨てるのか?」
夜風が、私の心を煽るように強く吹く。
草木のざわめきが聞こえて、落ちた葉が舞い上がる。
……望みを捨てるということは、私を捨てるということ?
私の望んだ行動で、救われる人なんて本当に居るんだろうか。
――頬に、ぴしりと飛んできた葉が当たる。
それに僅かに顔をしかめると、キッスが身を屈めて、風と葉から私を庇うようにさらに包み込んだ。
「……キッス」
キッスが、喉を鳴らす。
同時に、鉄平さんの笑う声が聞こえた。
「そこのエンペラークロウの望みは、多分ワカメちゃんと同じだ」
その言葉に、私は目を見開いてキッスを見る。
キッスは、肯定するように、くちばしでまた私の頬を撫でた。
それはひどく優しい。
同情でもなく、慈愛を感じるキッスの行動に、私は目元が濡れそうになる。
――望まれる。
それが本当なら、どれだけ素晴らしいだろう。
私の心に思い浮かぶあの人にも、そんな風に思ってもらえるだろうか。
微かに零れそうな水滴を、私は頭を振って耐えた。
……自我を通し、あの優しい人を傷つけたのは確かだ。
望まれるなんて、思ってはいけない。
ただ。
手紙に書いたように、帰れはしなかったけれど――幸い、私は生きている。
『私は、死にません。ココさんの毒では死にません』
あの時の嘘は真実になった。
奇しくも、この体はそれに耐えうるように出来ていた。
もし、私が望みを捨てないで良いのなら。
やはり、もう一度ココさんに会いたい。
会って、元気な姿を見て、謝って、少しでもいいから礼を言いたいと思う。
――無言になってしまった私を、誰も急かしたりはしない。
キッスは時折、優しく私の頬を撫で、髪の毛を梳くようにくちばしを滑らせた。
少しくすぐったいそれに、私は泣き笑いのような表情を浮かべる。
そして、キッスに礼を述べてくちばしを撫で返し、鉄平さんの方へ顔を向けた。
「鉄平さん、ありがとうございます」
「うん?」
鉄平さんは、少しだけ首を傾けて相変わらず口角を緩やかに上げていた。
私は深呼吸する。
「私、キッスと行きます」
「……そっか!」
ニコリとした鉄平さんの笑みは、暖かだった。
そのまま、私とキッスの方へと歩を進めてくる。
そして、さっと私の腕の下へと手を伸ばすと、キッスから剥がすように私を引っ張って抱き上げた。
「て、鉄平さん!」
先程と変わらない態勢に、私が悲鳴を上げるのと同じように、キッスがまた甲高い声を上げる。
しかし、鉄平さんは可笑しそうに笑うだけで、やっぱり降ろしてはくれなかった。
「まぁ、いいだろ。少しくらい」
「少しってなんですか!」
「いや、思ったよりワカメちゃん決断するの速かったから」
妬けるだろ? なんて、鉄平さんはふざけたように言った。
飄々とした悪戯っ子のような表情に、私はポカンとした後、苦笑いを浮かべる。
あぁ、まったく。
掴めない、不思議な人だなぁ。
でも――優しい人だ。
鉄平さんはキッスの威嚇も物ともせず、私を抱き上げたまま、言葉を紡いだ。
「まぁ、いざとなったらまたおいで」
「いいんですか、そんなことを適当なことを言っても」
「捨てる神あれば拾う神もいるって言ったろう」
「鉄平さんが、拾う神ですか?」
「あと、IGOって道もあるけど」
「注射は、嫌いです」
私が即答すると、鉄平さんは目を丸くした後、声を出して笑った。
* * * * * * *
――夜風が、キッスの黒く艶のある羽を霞める。
鉄平さんに手伝ってもらい、久しぶりにキッスの背へと乗った私は、その柔らかな手触りに息をついた。
そしてその下で、彼方の空を見つめている鉄平さんに声をかける。
「あの、与作さんにも、ありがとうございました、と伝えていただけますか?」
鉄平さんは、あぁ、と言ってコチラに向き直り、快く承諾してくれた。
――私、お礼しなければいけない人が凄く増えていくなぁ。
そのことに少し心苦しさを感じつつも、それだけ優しさの恩恵を受けているのだと思う。
「鉄平さん、本当にありがとうございました」
「いや……俺はそのエンペラークロウのお願いを聞いたまでだよ」
鉄平さんがそう言うと、先程まで威嚇ばかりしていたキッスが、穏やかに鳴く。
それに鉄平さんは目を細めて笑みを浮かべた。
――キッスはもう一鳴きすると、羽を大きく羽ばたかせ始める。
きっとそろそろ、この夜空へと駆けだすのだろう。
その時、鉄平さんが思い出したかのような声で、私を呼び止めた。
「そうそう!ワカメちゃんっていくつ?」
「私ですか?私は――」
突然のことに驚きながら、私は慌てて自分の年齢を口にした。
あぁ、そう言えばまたしても言ってなかった。
鉄平さんは、驚くだろうか。
しかし鉄平さんは予想と違って、あちゃーという表情になる。
あんまりにも以外な反応に、私は戸惑いながら瞬きを繰り返した。
「残念だ」
「え?」
「超ストライクゾーンの上に、許容範囲だった」
悪戯めいたその顔に、私はしばし呆気にとられる。
「やっぱり、口は災いの元だな」
そんな私に、鉄平さんは笑う。
その言葉の意味を計りかねつつも、私は肩をすくめて笑い返した。
「冗談、お上手ですね」
――その瞬間、キッスが羽ばたく速度を上げて、大地を力強く蹴った。
少しバランスを崩した私は、焦ってキッスの背を掴む。
久しぶりの飛行に、心臓が跳ね上がる。
あっという間に空へと駆け上がる中、私はキッスにしがみ付きながら再生所へと視線を向けた。
月明かりだけでも、良く見える。
だけどだんだん遠くなる景色に、私は目を細めた。
小さくなっていく鉄平さんは、多分口の端を上げて笑っているだろう。
私を助けたのは、きっと偶然だったのだ思う。
もしかすると気まぐれだったかもしれない。
それでも、あれは優しさだった。
私は、やはり幸運なのだろう。
そう思いながら、今度はキッスの進む空の方角へと向き直る。
強い向かい風を相手に、私は目を凝らしながらその先を見た。
どこまでも続きそうな星空は、まるで深海のよう。
その空の海にプカリと浮かぶ月は、白く柔らかい光で私達を照らす。
キッスが、私を気遣うように優しく鳴いた。
「大丈夫……」
小さな返事。
だけどキッスには届いたのだろう。
先程よりも元気な声を夜空に響かせると、ほんの少しだけ速度を上げた。
流れる景色。
深海の夜空。
月の光。
目まぐるしい世界で、それでも私の心に浮かぶのは、他ならなぬ――彼。
胸に広がる想いの強さを、自分でも持て余す。
だた、その事実は覆しようもない。
私は空を仰ぎ、少しだけ潤んだ目を伏せた。
どうか、もう一度。
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[mokuji]
bkm