▼ ココさんお願いします!
先日、私がトリコに行った取材は結局良い記事にならなかった。
なんてったって記事の半分がオブサウルスの話題だ。
ファン心理を考えると、肩透かしも良い所だろう。
こんなことならトリコの相棒であるバトルウルフの記事の方が幾分かマシだったかもしれない。
しかし残念なことにバトルウルフは姿を見せてくれなかった。
とは言えバトルウルフとトリコのパートナーネタは随出のものばかりで、皆食傷気味なのだけれど。
――自社の週刊誌を読みながら、私はそんなこと考える。
四天王を題材にすると少しは売り上げが伸びるはずなのだが、今回はあまりパッとしなかった。
そのせいか、オフィスの空気までもがパッとしない。
あぁ、自分のリポート能力の無さを呪ってしまう。思えばもう少しマシな記事に出来た筈だ。
涎まみれになったことでオブサウルスに気を取られたのだとすれば、私は色々と失格であろう。
そう思うと、つい溜息がでる。
そんな私に同期のスタッフがポンッ、と背中を叩いてきた。
「ワカメ、トリコどうだった?」
「……それ、今週の記事を読んだ上で言ってる?」
「読んだ読んだ、オブサウルスでしょ」
ケラケラ笑うこの同期の人間に、私はジト目で返す。
しかし相手はそんな私を気にする様子もなく、喋りはじめた。
「でもまぁ、トリコの取材って案外難しかったでしょ?あの人、依頼はけっこう何でも受けてくれるんだけどね」
「そうだね……」
私は軽く頷く。
「確かに、あんまり自分のこと喋ってくれなかったかも。こっちが功績を褒めてみても『ああ、そうだな』くらいしか返事してくれないし」
正直、取材の時はそのせいで四苦八苦した。
なんというかトリコは自分の話題にも、こちらからの話題にもまったく興味を持ってくれないのだ。
今まで何人かの美食屋を取材したことがあるけれど、あそこまで“有名”や“名誉”に無頓着な人間は珍しかった。
ただトリコに場合は、すでに有名だから、というものあるかもしれないけれど。
「四天王って、どうも難しいのばっかりだもんね」
同意するように笑う彼女に、私も笑う。
そんな時、デスクの内線電話が鳴った。
ディスプレイを確認すると、編集部の上司の名前が映し出されている。
なんだろう。
もしかすると今回の記事のダメ出し……?
私のげんなりした顔をみた同期は、半笑いで肩をすくめてどこかに退散してしまう。
私は急いで電話を取った。
「……はい、ワカメです」
* * * * * * * *
今、私は女性客ばかりの長い長い行列にならんでいる。
前からも後ろからもキャッキャウフフという声がして、しみったれた顔をしている自分だけがその場にそぐわない気がした。
たまに真剣な顔をしている人間も行列にならんでいるが、その表情は『今が人生の詰み』という極端なまでに不吉な顔色だ。
「あと、どれくらい並ばないといけないんだろう……」
私は自分の腕時計を見た。
列に並び始めてから、時計の針は三周はしている。
――ここは、グルメフォーチュン。
占い屋が軒を連ねるこの街で、今一番熱い占い師を知っているだろうか。
良く当たると噂の上に、甘いマスクが女性客の心を奪って離さないという占い師。
それは四天王の一人、ココである。
私はその四天王ココを取材するために、この地に向かい行列に並んでいるのだ。
「……あぁ、めんどくさい」
私は、つい顔をしかめた。
何故こんな行列にならばなくてはいけないのか。
それは、四天王ココがまったく取材を受けれ入れてくれない美食屋だからだ。
だから私たちの多くは客を装う。言わば、これは潜入捜査なのである。
メディアの取材や接触を全て断るココの情報は貴重である――主に女性ファンの食い付きが全然違う。
特に写真を入手出来ればバンザイだ。
写真一枚で発行部数が3〜4倍は膨れ上がるし、その雑誌はオークションで高値で売買されるレベルなのである。
――肖像権?
はっはっはっは。
卑怯だろうが最低だろうが、話題になったものが勝ちなのだ、この世界は。
なんて。
私もずいぶん毒されてるな。
ま、四天王ココを相手にするならこれくらいでもいいのかもしれない。
『お前、ほんとうに最低』……そんな幻聴と戦いながら、私は上着のポケットをまさぐった。
そして手に触れたキャラメルのようなものを、そっと取り出す。
見た目はそのまんなキャラメルにしか見えないこれは、実は小型カメラだ。
――これで四天王ココを激写する。
「……しかし、犯罪だ」
しかも四天王ココって本当にこういうを嫌がるらしい。
自分の良心のジクジクとした痛みを感じつつ、私は首を横に振った。
ははは!
仕事や金になるネタが命の業界に生きてんだ私は!
汚いのは当たり前だし、今更綺麗ぶっても仕方ないんだっつーの!
そう開き直っていると、気がつけば行列も後少しとなっていた。
私はうっかり進むのを忘れていたので、前の人とかなり距離が空いている。
「ちょっと、早く前に進んでくれないかしら?」
後ろからそんな私を急かすように、マダムの苛立った声が聞こえてくる。
あぁ、まずい。
この手の女性って怖いんだよね。
「すいません……って、あぁっ!」
慌てた私は、小型カメラをうっかり手の平から落としそうになる。
しまった!
これ、壊れやすいし、高価なのに……っ!
私はカメラを落とさまいと、その場でジタバタと手と腕を動かす。
まるで曲芸のパントマイムだ。
多分、傍から見ればふざけているようにしか見えないだろう。
先程のマダムの顔が酷く不愉快そうに歪むのが、チラホラと視界に入った。
そんな中、なんとか小型カメラを手の中に納めることに成功する。
――セーフ!
しかし、安心出来たのはその一瞬だった。
「私は時間がないのよ! 進まないならどいて頂戴!」
そんな荒れた声と同時に、私を抜かそうとしたマダムの体がぶつかる。
ドンッとした衝撃と共に、私の体は壁の方へとよろめいた。
待て待て待て……!
たしかグルメフォーチュンの建物の外壁って“毒壁”じゃありませんでしたっけ!?
「……っ!」
このままだと顔面ごと壁にぶち当たりそうだった私は、咄嗟に利き手を突き出してしまった。
だってさ。
できれば触れる範囲が狭い方がいいじゃない。
ところが、壁に手をついた瞬間。
ベチャッ! パキッ!――そんな音が聞こえた。
「あ」
同時に、私は間抜けな声を出した。
手のひらの下から聞こえた粘着質な音はいいとして、もう一つの堅い音に私の体温は一気に下がった。
そして、恐る恐るそっと壁から手をのける。
毒のせいか手がビリビリする。
それに息を飲みながら、私はゆっくりと手のひらを返してみる。
そこには、見事にペッシャンコになってしまった小型カメラの残骸が張り付いていた。
「あぁぁぁああ……っ!」
* * * * * * * *
―――しばらくして、ようやく私の占いの番がやってきた。
途中、放心していたせいかどうもかなり順番を抜かされたようだ。
私は、まさに『人生詰みです』という顔をしながら、もそもそとココの占い屋に入った。
「こんにちは……」
「いらっしゃ……え、君、大丈夫?」
私を見た四天王ココが一瞬だけ驚いた声を上げた。
「見た限り、顔色も何もかも悪いけど」
まさに、当たってる。
ただ、甘いマスクと言われる彼の顔が、若干引いている気がするのは気のせいだろうか。
「……実は、そこで壁に手をついてしまって」
私は手についた毒薬をどうすることもできず、利き手を宙に彷徨わせたままこの場所にきた。
乾いた笑いが止まらない。
「そうなの……? とりあえず治療しようか」
「あ、はい……」
私はまるで幽霊ように、フラーッと占い用の席に座った。
「手、出してくれる?」
「え。はい……」
「あ、そっちじゃなくて、毒の付いた方だよ」
「あぁ、はい……」
「……大丈夫?」
「はい……」
完全に死人のような私に、四天王ココも戸惑った顔をしている。
「何か痛いとか、不調を感じたら言ってね」
彼はそう言いながら、私の手を取った。
そのまま、ぺったりと手のひらとひらを合わせる。
なにこれ。
疑問符が頭の上に浮かんだが、生気のない私はとりあえず彼のするままに身を委ねる。
しかし、すぐにその手は離れ、最後に布で軽く拭われた。
「うん。多分これでもう平気だと思うよ」
「……へぇ、本当ですね」
不思議なことに手のひらの痺れもダルさも無くなっていた。
さすがは四天王ココというところなのだろうか。
「で、君は今日はどんな要件できたのかな?」
「え……っ!?」
「うん?」
「あ、いえ、その……ははははっ」
しかし、彼の質問で私はようやく我に返った。
ブルーなことが続いたせいか、はたまたは毒のせいか、すっかり今日の目的を忘れていた。
――しかし、それと同時に思い出すのは先程の小型カメラである。
ぶっちゃけると、あのカメラが壊してしまった今、私に残された道は会社での冷遇しかない。
あああ、クビとかになったら、どうしよう。
悲しい……。
悲し過ぎる……。
「……私なんでここに来たんですかね?」
「え……」
私の切り返しに、四天王ココは目を丸くして、ポカンとした表情を浮かべた。
「いや、ほんとう、なんで私ここに居るんだろう。なんだか馬鹿みたいだ……」
「君……」
「なんか、すいません」
「いや、そんな」
明らかに四天王ココが引いているのが解る。
あの甘いマスクがものすごく怪訝な顔になっていた。
もしかすると、これってさっき悪いことを思った天罰なのかもしれないな。
「ふふふ……」
「本当に君、大丈夫?」
「はい……あの、他のお客さんにも迷惑なんで帰ります」
私は机の上に占いの代金を置くと、来た時と同じようにもそもそと立ち上がり、出て行こうとした。
「ああ、待って」
しかし、それは彼の制止がかかる。なんだろうと思い、私は振り返った。
「はい?」
「もう少しだけ、ここに座って待っててくれないかな」
「……わかりました」
とにかく私は小さく頷き、引き返して椅子に座りなおした。
彼はそんな私を見て眉を下げて苦笑いを浮かべる。
そして、無言で店の奥に引っ込んで行ってしまった。
……?
なんだ?
私があまりにもダメ人間過ぎるから、もしかして壺でも売りつけるつもりんあんだろうか。
まぁ、とりあえず暇だし……メモに女性客のマナーの悪さでも書いておくか。
すっかり、擦り切れて荒みきった心をメモ帳にぶつけながら、私は四天王ココの再登場を待った。
――数分後。
思ったより早く彼はここに戻ってきた。
「ごめん、待たせたね」
そう言いながら、彼は私の目の前にコトリと小さなマグカップを置いた。
ははーん。
壺じゃなくて、まさかのカップを売りつけるパターンですか。
「……別に何も売りつけないよ?」
「え……っ!?」
「これはそういうのじゃないからね」
「あ、は、はい」
まるで心を見透かされたようで急激に恥ずかしくなる。
「良かったら飲んでごらん」
「……?」
彼に言われるままにカップを手に取る。
するとそのカップの中には黄金色の暖かい液体が入っていた。
鼻を近づけると、甘いハチミツと爽やかなレモンの香りがする。
私はそっとその飲み物に口をつけた。
口の中にじんわり広がったそれは、上等のハチミツレモンだった。
あぁ、思えば今朝から、ずっと飲み物も食べ物を口にしてなかったなぁ……。
あまりの美味しさにしみじみとそんなことを思う。
そして同時に、泣けてきて仕方なかった。
「こ、これなんですか?」
「ん? ああ、別になんてことないホットハニーレモンだけど?」
「し、死ぬほど美味しいです……」
涙声でそう言うと、目の前の彼はただただ苦笑いを浮かべた。
「なんか、すいません」
だんだん申し訳なくなってきた私が謝ると、彼は優しい落ち着いたトーンで言葉を発する。
「別に、気にしないで……ただ、こんな状態のまま帰すわけにいかないな、と思っただけだよ」
「……ご心配かけました」
「少しは元気になったかな?」
「……はい」
「人間、上手くいかない時もあるよ」
「……はい」
「落ち込む時もある、悲しい時もある」
「……はい」
「そんな時に悩んだり、どうしようもなくなったら……そうだな」
「はい……?」
「いつでも、ここに来るといいよ」
「…………っ!」
私は雷に打たれたようなショックを受けた。
決壊してしまった涙腺からは、ブワッと涙を吹き出す。
「す、すいません!すいません、ココさん!すいません、すいません……っ、あなた本当に聖母です!」
そして謝りながら、先程から悪意のみで綴っていたメモ帳を渾身の力で引き裂いた。
これでもか!と米粒サイズになるまでメモ帳を引き千切っていく。
「え、えっと、だ、大丈夫だよ。ね?」
「いいえ!私ってば、なんて汚れた心をしているんだろう…っ!」
私は号泣しながら、その行動を閉店間際まで繰り返した。
「う、うん。落ち着いてね、落ち着いてね……!お願いだから、落ち着いて!」
――その間、四天王ココはどん引きを隠せないにも関わらず、必死で笑顔を取り繕ってくれていたらしい。
それを私が知ったのは、数日後のことだった。
他社の週刊誌に、その様子を盗撮した写真がドドンと見開きカラーで掲載されていたのである。
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