定時、医療エージェントとしての仕事が終了する時刻である。その後、私は分史対策室へと向かったのだった。そこでは、同じクランスピア社とは思えないほどの異様な雰囲気が場を支配していた。ここに集う人間は全員が、クルスニクの末裔なのだ。不幸な運命を背負って、それでも生きている集団。
「今日から配属のピナコラードだ、社長の姪にあたる」
「ビズリー社長の…」
「それじゃ、ユリウス室長の……?」
従兄の名前が出ると、リドウさんの眉間に皺が寄る。本当に仲悪いのか、この二人…。というより、従兄が室長って。
「……多分、何もできないと思いますけど、よろしくお願いします」
数日前の入社挨拶とは打って変わって。我ながら酷く悪印象なものだとは思った。それでも、殺人が推奨(というか強制)されるような場所なのだ。世界のためとはいえ、異常すぎる。この空間に馴染みたいとは思わなかった。
「こいつにはまず分史関連の雑務からだ。そこのお前、詳しく教えとけ」
「了解です!」
「あ、えっと……」
びっくりした。てっきり分史対策室とかいうのだから、明日から分史世界を破壊し続けるような日々になってしまうのだと悲観していた。
「君みたいな戦闘能力ゼロの人間に分史世界を破壊してもらう程、ここは落ちぶれちゃいないんでね」
「うっ…」
「まあ当然、ここに入ったからには最終的にそうしてもらうことになる。それまで鍛錬に励むんだな」
言われてみれば、至極当然のことであった。あの時、私が正史世界に戻ってこれたのも、時歪の因子である女性は致命傷を負っていたにすぎないのだ。生身の人間、ましてや戦闘能力を持つ人間に太刀打できるわけがない。
「副室長!深度の高い分史世界の存在を確認しました。侵入点はドヴォールです」
「O.K。今から向かう、すぐに座標を転送しろ」
そういって、リドウさんはGHSを確認して分史対策室を出て行った。あのリドウさんすら、分史世界の破壊に従順であるのだ。残った私はというと、すぐに対応のエージェントがやってきて、今後について詳しい内容の説明を受けた。早い話が雑務である、しかしこれも分史世界を破壊するための手立てなのだ。
「ユリウス室長から聞きました。初めは気持ちの面もあって大変かもしれませんが、共に戦えれば幸いです」
「あ、はい…!お気遣いありがとうございます……」
空も暗くなり始めた頃、本日二回目の仕事のスタートを切る。
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夜19時。適度に休憩は取っていいと言われたこともあり、それ程疲れているわけではないのだが、如何せん扱っている内容が内容だ。
「分史世界NO.F3280、時歪の因子の破壊を確認しました。副室長、お疲れ様です」
およそ2時間、私が雑務内容を覚えている間に、リドウさんは分史世界を破壊してしまったのだ。発見され2時間で破壊される世界の事を考えると、なんとなくいたたまれない。破壊の合図とともに、分史対策室のドアが荒く開かれる。それもそのはずである、分史世界から無事帰還したリドウさんの姿は、スーツの赤ではない、別の赤色で染まっていた。
「リ、リドウさん…!?」
「副室長、すぐに医療班を」
「あぁ、気にしなくていい。返り血だしな」
返り血にしては、なかなか酷いスプラッタ具合だった。時歪の因子の血なのだろうか。しかし、以前私が分史世界を破壊した時には、私に返り血がついた様子はなかった。そもそも、骸殻化しているときは身体の表面が変化していた気もするので、別の要因と考えるのが適切かもしれない。
「……時歪の因子はピナコラード・パレ・プリマヴェーラ」
「私…?」
「そう、君だ。まあ俺にあっけなく殺されたけどな」
非常に癇に障る言い方をする人だと思う。皮肉が上手というか、なんというか。正史の私がそうならないことを祈るぐらいしか為す術はない。他のエージェント達も、リドウさんの性格を熟知しているのか、あまりそこに触れる様子もなかった。
「それと、…少し君に聞きたいことがあるんだ、仕事を切り上げて外にいろ」
「え、…はい。わかりました」
リドウさんはスーツの上を放り捨て、気怠そうに髪を上げる。返り血というのは本当らしく、スーツの下は血の色一つ見当たらなかった。
いつもならこの時間には家に帰っているというのに、今日は2倍に仕事をしている上、朝からやたらとリドウさんに呼ばれる不幸な一日だ。
「はあ…」
「ピナコラードさん、お疲れさま。…副室長、今日少し機嫌悪そうだから気を付けて」
「えぇ……」
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いきなり無駄に殺される分史夢主ェ…