夜這い

土砂降りの雨の日だった。地面に叩きつけるような激しい雨が降り、視界はひどく悪い。今日はそんな悪天候の中で、沙月は師範である煉獄と任務であった。鬼を狩るのは主に夜である。人間が不利な状況下、暗闇の中に加えて雨となっては堪らない。それでも狩らねばならない。
大丈夫でしょうか、と大層不安になっている沙月を見て煉獄は、からりと笑った。大丈夫だ。どれだけ天候が悪くともする事は変わらん、そう言ってその言葉通り、鮮やで激しく燃えるような美しい炎の呼吸の剣技で瞬く間に鬼を一掃してしまった。沙月は惚れ惚れしたように、その様を見て感嘆の溜息を吐いた。
自分も同じ呼吸を使っているが、剣技の差は天と地程ある。まだまだ修行が足らない、と思いながら煉獄の背中を追いかけた。

藤の家に着いた頃には、2人して全身ずぶ濡れで隊服はこれでもかと言うほど雨水を吸いずっしり重く肌に張り付き、体温を容赦なく奪っていた。沙月が寒さにぶるりと体を震わせれば隣に立っていた煉獄が気遣わしげに顔を覗く。

「よもやよもやだ!随分と濡れてしまったな!沙月は大丈夫か?」


血の気の引いた紫色の唇で、寒いです、と沙月が言えば煉獄は、だろうな!と返した。冷え性である沙月は1度体が冷えると体温が中々戻ってこないので、冬の真っ只中である今の状況は軽く地獄である。寒さでワナワナしていると、沙月の手を煉獄が握った。

「随分と冷たい手だ。」

沙月の手に比べて煉獄の手はまだ温もりがあり、その温かさに安心するかのように沙月はほっと息を吐く。そして握られた自分よりも大きな手を見て、先日耳に入った話を思い出した。

煉獄に縁談が来ているのだと言う。たまたま助けた女性が名家のお嬢様だったらしく、しかも鬼殺隊に縁のある血筋で、煉獄家も名門である。2人とも歳も近く、これは良縁だと言う事で話が持ち上がったのだ。お見合いという形で、清楚で可愛らしい女性が煉獄家へと来ていたのは沙月も知っている。
この手が自分ではない女性に触れるのかと思うと沙月はどうしようもない気持ちが溢れた。

すると、ずぶ濡れの私達の突然の訪問に驚きながらも宿の空き状況を確認しに行ってくれていた女性が戻って来て、今日は雨が降っているのもあり私達以外にも客が多く一部屋しかないのだと言った。
沙月の手を握っていた煉獄が微かに動揺する。それに気づいた沙月だったか、気にする様子もなく煉獄が口を開く前に、一部屋で構わない事を伝えた。

「沙月、それは如何なものかと思うぞ。」

少し困ったように沙月を見下ろす煉獄に、沙月は笑った。

「私は気にしませんよ。この状態ですし早く中に入りましょう。」

体にも良くありません。と沙月は煉獄に有無を言わせない。沙月はまだ納得していない煉獄の手を半端強引に引き屋敷の中へと入って行った。

これは好機だと沙月は思っていた。まだ不服そうに沙月の後ろを歩いている煉獄をちらりと見やって、気づかれぬようほくそ笑んだ。自分が考えている事が褒められたものじゃない事は重々承知していたが、沙月は焦っていた。
このまま縁談の話が上手く進み、煉獄が結婚でもしたら堪らない。堪らなかったのだ。沙月が煉獄の継子になったのは、彼に一目惚れしたからであった。動機が不純極まりなかったが、ただひたすらに真っ直ぐな彼への思う気持ちで鬼のような鍛錬に耐え、階級も上げて沙月は継子になった。しかし、継子になったものの恋仲になるには、経験のない沙月にはさっぱり分からなかった。彼には継子としてそして妹のように可愛がられている事は分かっていたが、そこまでなのだ。恋仲になるような雰囲気は一つもなく、ずっと師範と弟子のままだ。その関係を変える事が出来ず、自分の思いも尻込みして伝える事もなく、今に至り煉獄の縁談だ。

冷え切った体を温めるように、と入れて貰った風呂を有り難く使わせて頂き、綺麗に敷かれた布団の上に煉獄と沙月は座っていた。

「うむ。君はここで寝ると良い!俺は廊下で構わん!」

そう言い出した煉獄に沙月は慌てる。

「な、何言ってるんですか!」
「いや、普通に駄目だろう!」

君も年頃の女性だ。いくら師弟とは言え良くない、と煉獄が沙月に言った。その言葉にへにゃりと、眉を下げた沙月に煉獄も困ったような顔をした。

「な、なら、私が廊下で寝ます!」

煉獄さんが寝入った後に、彼の布団に潜り込めば良いか、なんて考えながら沙月は言う。

「それも駄目だ。女性が体を冷やすもんじゃない。」

埒外があかない。沙月はそっと息を吐いた。

「私は一緒の部屋で寝る事に何も思っていません。大丈夫ですから。」

早く寝ましょう。体も冷え、今日の任務でも疲れましたし。煉獄さんも気にしないで下さい。と言いそそくさと沙月は布団に入った。隣の煉獄はまだ納得していないようだったが、枕を持って部屋を出て行こうとする度に、沙月が煉獄さん、と呼び止めるので諦めたように渋々と布団に入った。

どのくらいの時間が経っただろう。部屋の灯りも消して、お互いの呼吸する音だけが静かに響く中、沙月がごそりと動いた。布団から這い出て隣で寝ている煉獄の側に寄る。そっと顔を覗けば、いつもパッチリ開いている美しい琥珀色の瞳はしっかりと閉じられていた。

「煉獄さん、」

沙月が煉獄の名前を呼んでも返事はなく、規則正しい寝息が聞こえるだけだった。そろりと、手を伸ばした。沙月の細い指が、煉獄の頬を撫でる。
それでも、煉獄が起きる気配はない。沙月は意を決したように、彼の上に跨ろうとした瞬間。
目にも止まらぬ速さで沙月の視界が反転した。
先程まで見下ろしていた筈の煉獄の顔が自分の上にあり、天井が見えていた。そして閉じられていた筈の煉獄の目はしっかり開いており、少しの怒りを滲ませながら沙月を見下ろしている。

「お、起きていらしたんですね。」

捻りあげられ、上に一纏めにされている沙月の腕を煉獄が強く握った。

「君は何をしているんだ。」

呆れたような、それでいて少し怒っている煉獄を見て沙月は少し視線を泳がせた後、ポツリと小さく呟いた。

「夜這い…です。」
「…意味を分かって言っているのか。」

コクリと頷く沙月を見て、煉獄は深いため息を吐き眉間を押さえた。
その様子に沙月は泣きたくなる気持ちを抑えて口を開く。

「煉獄さんに、縁談の話が来ていたので、居ても立っていられなくて。」

煉獄は、何故自分の縁談の話で沙月が夜這いをする事になったのか分からなかった。なぜ、そうなると言葉を溢せば、沙月はワナワナと唇を震わせ大きな瞳を潤ませたかと思うと、煉獄に掴まれていた腕の拘束を解き、力任せに煉獄を押し倒した。突然の行動に目を瞬かせながら、自分の上に乗っかっている沙月を見上げた、のと同時に胸倉を掴まれ唇に柔かなもの押し付けられた。
は、と息が漏れたのはどちらの方か。
目と鼻の先にある沙月の瞳は閉じられており長い睫毛が影を作っていた。ゆっくり離された唇には、先程の柔らかさも熱さも、鮮烈に残っている。

「好きなんです。貴方の事が。一目惚れでした。鬼殺隊に入った理由も、継子になった理由も貴方です。今の関係が壊れるのが怖くて、気持ちを伝えてしまって側に居られなくなったらと思うと、好きだと言えませんでした。でも、縁談の話が来たと聞いて、耐えられないと思いました。煉獄さんが他の女性に触れるのも、その優しい笑みを浮かべるのも、見たくない。嫌です。」

好きなんです、そう言って大粒の涙を流しながら己の胸に縋り付く沙月を煉獄は優しく抱きしめた。想像していたより小さく細い沙月の体に驚きながら、ひっくひっくとしゃくり上げる背中を撫でる。

「よもや、先に言われるとは…。」
「え…?」

縁談の話は断っている、煉獄は言った。その言葉に先程までボロボロと溢れていた涙がピタリと止まり、驚いたように煉獄を見上げる。

「好いた人がいるのでな!」

沙月はその言葉に驚きで言葉も出ないようで、再びはらはりはらりと透明の雫を瞳から溢れ出した。煉獄はその姿を見て、愛おしそうに目を細めて笑った。勘違いしないでくれ。君の事が好きなんだ、そう言って沙月の頬に手を寄せ流れる涙を親指で拭ってやる。

「わ、わたし、ですか、」

顔を真っ赤にしながら間抜けな顔をしている沙月に煉獄は破顔したように笑った。
ああ。君だ。君が好きだ。
聞いた事もないような、優しく甘い声に沙月はきゅと口を噤み大きな瞳をさらに開いて耳も首も、これ以上ないくらいに顔を赤くさせた。

「情けない事に、俺も君と同じような理由で気持ちを伝えることが出来なかった。」

泣かせてしまってすまない。そう言いながら体を起こし、上に乗っていた沙月を正面から抱き抱えるように胡座をかいて座る。沙月はその煉獄に縋り付くように抱きついた。

「私も好きです!ずっと、ずっと貴方の事が好きでした。」

必死に己に抱きついてくる沙月を煉獄が愛おしそうに顔を緩めそっと抱きしめた。自分とは違い柔く細いその首筋に顔を埋めれば、ふんわりと香る甘い匂いに、くらりと頭が揺れる。ああ。彼女の全てを食べてしまいたいな。

己にしがみついている沙月をそっと剥がし、泣いた所為で赤くなっている目を覗き込んだ。

「口付けて良いだろうか。」
「、!は、い。」

恥ずかしながらも、ゆっくりと閉じられた瞳。薄く桃色に色付く唇に、そっと重ねた。ちゅ、と軽く唇を重ねるだけの口付けを繰り返し、そろりと下唇を舐めれば驚いたようにパチリと瞳を開いた沙月と目が合う。

「嫌だったか。」

煉獄の言葉にふるふる首を横に振り、おずおずと薄く口を開いた沙月の唇に噛みつくように口付けた。不慣れなのか息継ぎが上手く出来ないようでその度に漏れるくぐもった彼女の声が、微かに繋ぎ止めようとしている理性を焼き切るように煉獄の鼓膜を揺らす。

「んっ、ふ、んっ」

顔を真っ赤にしながら煉獄に必死に縋り付く沙月。口を割り入って来た煉獄の舌は、奥に引っ込んでいた沙月の舌を絡みとり引き摺り出し余す事なく口内を蹂躙し深く口付けた。ふるふると震えながらも健気に応えようとする沙月に、どうしよもなく愛おしさがこみ上げ今すぐにでも押し倒したい気持ちを、ぐっ、と煉獄は堪えた。大胆な発言をしながらも、反応はおぼこのようで初々しい。今回の行動も相当追い詰められた結果なのだろうと、安易に想像出来た。
だからこそ、煉獄は無理強いをしたくなかった。己の中でふつふつと込み上げる生々しい欲望を思いのまま沙月にぶつける訳にはいかない。柔らかく心なしか甘い沙月の唇を名残り惜しげに離せば、先程の口付けでテラテラと濡れた唇を半開きにしながら、とろりと惚けた顔でこちらをみる沙月に下半身がどっと熱くなった。びきびきと血管が浮き出しそうな程体に力を入れて、ふーと深く息を吐き理性を鼓動員させる。でないと、すぐにでもプツリと切れて沙月を欲のままめちゃくちゃにしてしまいそうだった。

「俺は君が嫌がる事はしたくない。だが、好いた人とこの状況で何もしない程出来た人間でもない。」

だから、本当に嫌なら殴ってでも俺を突き離してくれ。煉獄の足の上に座っている沙月は、彼の手がスルリと脇腹を撫でた事で目の前の男が何を望んでいるのか悟る。明瞭快活、さっぱりとした性格の清廉とした雰囲気を持つ彼とは似ても似つかぬ程、欲に濡れた瞳と目が合い、無意識にコクリと喉がなった。

煉獄の服をきゅと握り、意を決したように顔を上げ沙月は口を開いた。

「煉獄さんになら、何をされても良いです。」

この時、煉獄は悟った。ああ。もう止まれない、と。ほぼ衝動的に沙月を押し倒し、彼女の体に手を這わせた。

「なるべく、優しくするように心がける。」

どうか最後まで待ってくれよ、理性。と煉獄は静かに祈った。


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