愛を込めて

目の前に血飛沫が上がり、己の頬を濡らす。肘から下が目の前の鬼によって深く切り裂かれたのだ。冷や汗が額に滲む程の激痛。ダラリと力なくぶら下がっておりもう指先1つ動かない。呼吸が乱れそうになるのを必死に保つ。片手で握っている刀を決して離す事がないよう口を使い紐をぐるぐるに括り付けた。きっと左腕は使い物にならない。
下弦の壱、と瞳に刻まれている鬼を見据え、深く呼吸を吐いた。
階級が下の者達は怪我人と共に逃がした。ここで朝日が昇るまで時間さえ稼げればなんとかなる。歯をくいしばり、地面を蹴った。

肩先から腹にかけて鋭い爪が食い込む。視界が揺らいだ。ゴポリと口から血が溢れる。呼吸で止血していると言っても限度がある。血を流し過ぎたのだろう。もう立つ事も出来ず、体が傾いた。人間より尖った犬歯を見せニンマリと笑った鬼がすぐ目の前に迫る。ああ。ここまでか。
やはり自分に十二鬼月を倒す事は出来なかった。小柄な体、腕力のない手足。悔しくてたまらなかった。もっと身長があってもっと力があれば、首を落とせただろうか。彼の様に強ければ勝てただろうか。
水面のように決して揺らぐ事のない静かな濃淡な青い瞳をした己の師範が脳裏に浮かんだ。
ああ。会いたい。彼に。
薄っすらと涙が浮かび、鬼に喰われ無残に殺された母と弟を思い出し瞳を閉じた。頬に涙が一粒、伝う。

「よく耐えた。もう大丈夫だ。」

目の前で私に牙を向いていた鬼の首がいとも簡単にはね飛ばされる。
地面に倒れる筈だった体は優しく抱きとめられ、視界は見慣れた半々羽織で一杯になる。嗅ぎ慣れた彼の匂いが鼻を掠め、ゆっくりと体から力が抜けていく。疲労と貧血、意識を保つ事もままならずそのままコトンと事切れたかのように気を失った。

父は居なかった。母と弟、3人で貧しいけれど幸せな毎日を過ごしていた。少し町から離れたボロく小さな小屋で生活をしていた。
しかしそんな平穏な毎日は、血肉に狂った化け物に狂わされた。離れにある畑を耕し、家に戻るとそこは地獄。部屋中血だらけになっており、母と弟はもう既に事切れていた。手足を千切られ、そこら中無残に肉塊となり転がっている。ボリボリくちゃくちゃと何かを咀嚼している音が鼓膜を揺らした。
母と弟の、人間とは思えない死に方に頭が心が受け入れられなかった。唖然と立ち尽くしていると、ギョロリと真紅の瞳を爛々と輝かせてこちらに視線を寄越した化け物と目が合った。ああ、殺される。死ぬのだと、悟った。
しかし、目にも留まらぬ速さで横を何かが通り過ぎた。
瞬きもせずにコトリと、化け物の頭が落ちる。

そこには表情一つ変えず、美しい青色の刀を持った男が1人静かに立っていた。

冨岡義勇、彼との出会いであった。

「間に合わず、すまなかった。」

ドサ、と足元から崩れるようにその場にへたり込み、顔を覆い涙を流した。私に懐いてくれていた可愛い弟も優しくどんな時も味方であり私達を慈しんでくれた母も、もう二度と会えない。話せない。共にご飯を食べる事も、触れる事も。抱きしめてくれる事もないのだ。身を切られるような痛さが心を襲い悲鳴を上げる。わんわんと泣いていると、ふんわりと抱きしめられる感覚がし驚いて目を開けた。珍しい特徴的な半々羽織が視界一杯に映り、拙い仕草ではあったがゆっくりあやすように背中を何度も撫でられた。しがみつくように彼の羽織を握り締め、泣いて泣いて、気を失うまで泣いた。
次目を覚ませば、藤の家、と言う場所に寝かされていた。私を襲った化け物が鬼という異形の生き物である事。それを殺す鬼殺隊と言うものがある事。
そして、私を助けてくれここまで運んでたくれた彼の名前が冨岡義勇と言う事を教えて貰った。
そこからの私の行動は早かった。育手を紹介してもらい、死ぬ思いであらゆる修行を積んだ。私の体は小さかった。力もない。
しかし諦められなかった。私を助けてくれた彼にお礼を良い、そして彼の側で鬼殺の刃を振るいたいと願ったからだ。あの日、家族を失った日に抱きしめてくれた彼の温もりが忘れられなかった。

冨岡義勇と言う男は、柱であった。そしてその柱には継子と言う立場を持てる事を知り、何としてもなりたいと思った。私の呼吸も水の呼吸でありこれで実力さえあればきっと継子にして貰える。
力が無いのなら、速さを鍛えるしかない。そして水の呼吸は流れる足捌きを基本とした型。私と相性が良かった。

何とか己まで這い上がり、彼の屋敷の門を叩いた。
私を貴方の継子にして下さい。お願いします。
覚えていらっしゃるでしょうか。四年前貴方に命を助けて頂いた者です。
そう言えば、少しだけ驚いたように目を開いてからすぐに涼し気な表情に戻り、俺は継子を取らない、その一言共にピシャンと門を閉められた時は唖然とした。何が起こったのか理解できなかった。
しかし、そんな簡単に諦められなかった。やはりお礼は言いたいし、なによりも彼の事を知りたい。
そんな気持ちの意味を私はまだ知る事はなかった。

何度も何度も彼の門を叩いた。任務で見かける時は必死に声をかけた。元から表情があまり変わる事のない方だったけれど、この時ばかりは少しげんなりした顔をしていたのを今なら分かる。
勝手にしろ。
そう言ってついに彼が折れた時は心から喜んだ。
気が変わらぬうちにと、図々しくも数少ない己の荷物を抱え彼の屋敷へと踏み入れた。
とても感情が気薄な方だったのだが、蓋を開けてみればとても激情家な方だった。情が深く懐も深い、そして優しく真っ直ぐな方。口下手で話すのが苦手な人だけれど温かみのある人。
稽古の時は厳しく、時にも挫けそうになった時もあったけれど、それは私が鬼に負けないよう喰われないように、と思う彼の優しさであったのだと気づいた時は嬉しくて涙が出た。勢いで乗り切り押しかけたのと同然のような形で継子になったようなものだったので少なからず負い目はあったのだ。しかし大切にして貰えるている事を知り喜ばずには居られなかった。

月日が経つにつれ、私が彼に抱いていた気持ちが恋心だと気づくのはそう遅くはなかった。

共にいたい。隣に居たい。彼の側に居たい。
どんな形でも良いと思った。義勇さんの近くに居られるなら恋人じゃなくても良いと。

パチリ、と目が覚めた。
見慣れない天井。ここは、どこだろう。
体を起こそうと腕に力を入れた時、ある筈のものがない事に気がつく。
ゆっくり左腕を布団から出して見れば、肘から先がなかった。
ああ。私は、もう剣士には戻れない。その事実が、残酷に酷く叩きつけられた。
絶望とも言える感情が押し寄せる。

「藤井さん。目が覚められたのですね。」

手に薬を持った胡蝶様が隣に立っていた。気がつかなかった。衰えた感覚に寒気を覚える。全集中の呼吸も出来ていない事にも気がつき、肺を大きくし息を吸おうとした瞬間大きく咽せた。
ヒューヒューと頼りない呼吸音が鼓膜を揺らし、あるもう一つの事実に体が震えた。

「藤井さん。無理をしては駄目ですよ。肺が傷ついているのですから。」

パッと顔を上げれば、少しだけ悲しそうにこちらを見て微笑んでいる胡蝶様。
それだけで全てを察し、涙が流れた。

「私は、もう…。」

左腕を無くし肺が傷ついた所為で呼吸は使えなくなった。前線になど復帰出来る筈がなかった。
もう彼の隣に居られる理由すらなくなってしまった。唇を噛み締め、ボロボロと涙が溢れ嗚咽を漏らした。
宥めるように背中をさすられる。

「命あっただけ良かったと思って下さい。正直、冨岡さんが貴方を運んで来た時もう間に合わないと思いましたよ。その後も1ヶ月目を覚ましませんでしたし。」

冨岡さんは、毎日のように貴方の様子を見に来ていらしていましたよ。とても心配しているようでした。今長期任務に行かれているので、すぐには会えないでしょうけれど。帰って来られる頃には藤井さんの体も歩けるようには戻っている筈です。
目も覚まされた事ですし、徐々に機能回復訓練をして行きもしょう。

胡蝶様の言葉に頷き、涙を拭った。
失ったものは戻らない。
これからどうするか、どうすべきか、義勇さんが帰って来るまでゆっくり考えよう。

時間が経つのは早いもので気付けばあっという間であった。肩先にかけて腹まで続いていた深い傷は完全に塞がり、左腕がない生活にも慣れていた。

義勇さんは長期の任務から帰ってきているらしい。きっと色々忙しいのだろう、その後も会える事がなく話す機会もなかった。
長くお世話になった蝶屋敷のみんなにお礼を言って、胡蝶様には深く頭を下げた。

「色々とありがとうございました。」
「藤井さん。あまり深く考えなくても大丈夫ですよ。自分の心に従って下さい。」

女の私でも見惚れるような美しい笑みを浮かべた胡蝶様。その言葉に曖昧に笑い、背を向けた。
呼吸が使えない為、以前とは違い緩やかな足取りで懐かしく感じる義勇さんの屋敷へと向かった。

継子にして欲しい、と頼みに押しかけた時をふと思い出した。
同じように門を叩き、彼の返答を待つ。

ガラリと開かれた戸。そこには以前と変わらない彼の姿があった。真っ直ぐに見上げ、震える唇で言葉を紡いだ。

「ただたいま戻りました。」
「ああ。」
「私は…もう剣士に戻る事が出来なくなりました。左腕も失い、呼吸も使えません。貴方の継子を降りなければなりません。あれだけ頼み込み、育てて頂いたのにも関わらずこんな事になってしまいすいません。」

ガバと頭を下げる。

「今日中に荷物をまとめ、出て行きます。」

泣くな。泣くな。泣くな。
ぎゅと袴の裾を握り拳に力を入れる。目には涙の幕が上がる張っており、今にも溢れ落ちそうである。

「頭を上げろ。」

ゆっくり上げれば、頭の後ろに手を回され引き寄せられた。

「何故出て行く。」
「私は…もう戦えません…。一緒に居られません…。」
「戦えなくても良い。刀も振るえなくても良い。そんな事どうでも良い。俺の側にいてくれ。」
「え?」

ぎゅうと苦しい程に抱きしめらる。

「嫁に来い。」

はっと息が詰まった。

「左腕がないので、何をするにも作業が遅くなります。満足にご飯を作れないかもしれません。縫い物も出来ません…。ご迷惑を沢山おかけします…。」
「良い。そんなもの俺がしたら良い話だ。これから共に生きてほしい。お前に隣にいて欲しいんだ。」

自分よりも大きく広い背中に手を回した。

「好きです。義勇さんが好きです。こんな私でよければ…貰って下さい。」

涙声でそう言えば、義勇さんがお前はすぐ泣くな、と良いながら優しく私の頭を撫でた。

「俺も好きだ。」

義勇さんの言葉にゆるりと笑った。


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