世界には、概ね同じような宗教概念が存在する。どこの村や町にも「守護天使」なるものが存在し、それらは名前通り人間を守護してくれる存在である。
そして人間は、その「守護天使」に感謝しなければいけない。地域によって信仰心や微妙な差異がある場所も存在するが、ほとんどの村や町ではこの「守護天使」の像が丁寧に扱われているほどには守護天使は神聖視されたものである。
「…………」
そして、そんな「守護天使」の像の前に、1人の少女がじっと佇んでいた。赤い髪に黄色の目という田舎の村の中では何とも目立つ容姿を持った少女は、像の正面に立ったままそれを見つめ続けている。
その像の台座には、丁寧な字で像の元となったであろう天使の名が記されていた。
――――守護天使 キユミ像
少女はちらりと台座の名前を一瞥し、再び像の方へと視線を戻す。長身で優しげな顔の、恐らく女性であるであろう天使像は、まさしく「天使」と呼ばれるもののイメージを具現化したようなものだ。
しばらくそれを眺めてから、今度は川面に映る自らの姿をじっと見つめた。どちらかというと小柄な、快活そうな顔をした少女。そんな自分の姿と天使像の姿を重ね合わせ、少女は――――ウォルロ村の守護天使キユミは、深々とため息を吐いた。
「そりゃあ、私なんて天使ってイメージの見た目じゃないけど……」
いくらなんでも、似てなさすぎやしないだろうか。
そうは思うものの、この像に刻まれていた名前が少し前には自らの師匠、イザヤールの名前だったことを思えばそれもマシに思えてくる。一見厳格な彼女の師匠は、中々表現しないだけできちんと優しい所はあるが、見た目だけで言えばこの「守護天使像」とは似ても似つかないのだから。
(っていうか、この像に師匠の名前って……駄目だ、想像したら可笑しくなってきた……!)
「……おい」
(大体優しげな顔した師匠ってのがまず想像できないよね、いっつも眉間に皺寄せてるような顔しかしてないし)
「…………おいこら」
(でも、あの時の師匠、本当に不安そうな顔してた……。結局あの後から何も分からないままだけど、天使界のみんなは大丈夫だったのかな……)
「おいっ! 聞いてんのかお前!!」
「……もー! 人が考え事してる時に話しかけないでよ!」
「へぶっ!?」
「ん? 私、誰に文句言ったの?」
正確には文句だけではなく手も出ているのだが、そんなことはキユミにとってどうでもいいらしい。悶絶するようなくぐもった声が聞こえてくる背後を振り返ると、そこにいたのは金髪をリーゼントにしたような青年とその横で彼の様子を心配しているおかっぱ頭の青年だった。
それを見たキユミの表情が、どことなく面倒くさそうなものに変わる。
「なんだー、ニートと子分その1か」
「だっ、誰がニートだお前だって似たようなもんのくせに!」
「そうだよ、お前だって仕事してないんだからニート……じゃない、ニードさんと大差ないだろ」
「……黙って聞いてれば、誰が似たようなもんだ誰が! そっちと違って私には旅芸人っていう職業が一応あるんだからね!!」
キユミの言い間違いを皮切りに、ぎゃあぎゃあとくだらないことこの上ない口論を始める二人。おかっぱ青年は直接喧嘩に参加はしないものの、ちょいちょいニードに加勢するような言葉を口にしている。
そうしてしばらくの間、大声で喧嘩していたのがどうやらよろしくなかったらしい。いつの間にか近づいてきていたぱたぱたという軽い足音に、三人が三人とも気付くことができなかった。
「ちょっと、二人とも! うちのキユミに何か用!?」
突然聞こえたこの場の三人の誰でもない声に、キユミ以外の二人はぎくりと体を強張らせる。特にニードに至っては、だらだらと滝のように嫌な汗を流しまくっていた。
「うっ、リッカ。いやこれは違くてだな……」
「わーん助けてリッカー、悪い引きこもりに絡まれるー」
「てめぇも棒読みで訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ!」
ちくしょー覚えてろよ!という恐らくはキユミに言っているであろう捨て台詞を残して、ニードはどこぞへ退散していった。置き去りを食らいかけたおかっぱ頭も慌ててその後を追って逃げていく。
しばらくはそんな情けない男二人の後姿を呆れ顔で見送っていたリッカだったが、やがて二人の姿が見えなくなるとくるりとキユミの方へと振り返ってため息を吐いた。
「まったく、何でニードったらやたらキユミに絡もうとするのかしら……」
「余所の人間をからかいたいんだよきっと。あと単純にリッカに構ってもらいたいんじゃないかなー」
「え? 何?」
どうやら最後の言葉はリッカには聞こえなかったらしい。キユミは何でもないよ、と言いつつ笑ってごまかした。
天使であるキユミには、人間の抱く恋心とやらはよく分からない。けれど、ここ一年ほどの間師匠についてこの村を見守ってきていた経験から、ニードがリッカのことを好いているのだ、ということは知っていた。
「それよりもキユミ、もう体は大丈夫? 最近よく出歩いてるみたいだけど……」
「うん、大丈夫だよ。こう見えて結構丈夫だから!」
ぐっと力こぶを作るようなポーズをしてみせるキユミを見て、リッカはほっとしたように微笑んだ。それを見たキユミは安心したような申し訳ないような複雑な気持ちになる。
「……ごめんね、リッカ」
気付けば、キユミの口からは謝罪の言葉が漏れていた。それを聞いて、リッカは慌てたように両手をぶんぶんと振り回す。
「そんな、謝ることないよ! 困ったときはお互い様って言うでしょ?」
「そうなんだけどさ……」
そうなんだけど、そうじゃない。
本来はキユミが守護天使としてリッカを、ひいてはこの村の人々を守らなければいけない立場だったのだ。それが今は、村の人々――――特に、リッカに自分自身が守られているような状態にある。
一刻も早くこの村を出て、天使会に帰る方法を探さなければ。
「リッカ、あのさ……」
「あっ、お客さんが来たみたい! ごめんねキユミ、また後で!」
キユミが村から出る旨をリッカに伝えようとしたちょうどそのタイミングで、リッカは慌てて宿屋の方へと駆けて行ってしまった。
見れば、宿の前に見覚えのない身なりの少年が立っている。何ともタイミングが悪い話ではあるが、宿に客が来た以上は諦めるしかないだろう。唯でさえ世話になっているというのに、仕事の邪魔までしてリッカに迷惑はかけられない。
(仕方ない、明日言うかな……)
しょんぼりと肩を落として帰ろうとしたキユミだったが、ふと視線を感じて足を止めた。
振り返って辺りを見回すが、近くには誰もいない。気のせいか、と再び前を向こうとした時、丁度宿の前にいた少年と視線が交差したような気がした。けれどそのまた次の瞬間には宿の前に到着したリッカが少年に声をかけており、彼の視線はそちらに向けられている。
「……やっぱり気のせい、か」
誰に言うでもなく呟いて、キユミは世話になっているリッカの家へと足を踏み入れた。
「…………」
再び自分に向けられた、彼の視線には気付かないまま。
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