さよなら、だけは言わない
「おかしいすぎる……」
あれから六日が経った。
これまでの出来事を振り返っても、特に何も変わったことはなかった。
今日も執務室で書類処理に追われる彼の補助をして終わった。今は自室で脱出ルートの確認を行っているところだ。
「何からの行動を起こすものとばかり思っていたのに……。まあ、何もないに越したことはないけど」
ベッドの上に今まで着ていたスカートスーツを脱ぎ捨てて、動きやすいパンツスーツに着替える。ショルダーホルスターとアンクルホルスターを装着し、拳銃に弾が入っているのを確認してから仕舞う。
「……そろそろ行きますか」
腕時計で時間を確認した私は、足元に置いてあった黒のトランクケースを持った。
バルコニーに続く扉を開けようとしたその時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。私は反射的に左胸のホルスターに入っている拳銃を掴んだ。
「ビアンカ、いる?」
扉の向こうから聞こえてきた綱吉の声にほっと息を吐くと、拳銃から手を離した。トランクケースをその場に置き、扉を開けに行こうとしたら、外側からゆっくりと開いた。
「……あ、良かった。ここにいたんだね」
心底安心したような声に、私は胸が締め付けられるように苦しかった。
「い、如何致しましたか?」
「ビアンカにちょっと用があってね。……あ、ごめん勝手に入って!」
「いえ、私の方こそ、すぐにお返事をせずに申し訳ございません。それで、ご用とは?」
「あー、うん。そのことなんだけど……」
急に黙り込み、ある一点を見つめている綱吉に、私は首を傾げた。彼の視線の先を辿ると、先程まで私が持っていたトランクケースへ向けられていた。
「……行くんだね、ビアンカ」
「っ、」
綱吉の言葉に、すべてを悟った私は拳銃を抜いて構えた。
「やっぱり、気付いていたのね……!」
「……ビアンカ、オレは何もするつもりはないよ。ただ、君を見送りに来ただけ」
「そんなの信じられない。何もかも知った以上、あなたを殺すしかないわ」
「ビアンカ、」
「ボンゴレの頂点に立つ男が命乞いなんて見苦しいわよッ」
拳銃を向けたまま、安全装置を外した。だけど彼は臆した様子もなく、ゆっくりと私に近付いて来る。
「……っ、止まって!」
声を張り上げて言っても、彼に立ち止まる様子はなかった。
「お願いだから止まって! あなたを、殺したくないの……っ」
カタカタ、と拳銃を持つ手が震える。次第には涙まで出てきた。そんな私を見た彼は目を見開くと、力いっぱい抱きしめてきた。
「たとえ、君が他の男を好きでも構わない。――好きだ」
「えっ……」
「……これだけ伝えたかったんだ。さあ、もう行くんだ」
頬を軽く撫でると、背中を押しながらバルコニーへ歩いて行く。途中でトランクケースを手に取ると、押し付けるように渡された。
「待って! 綱吉、私は……!」
言いかけた私の唇に、彼の人差し指が待ったをかけた。
「……ごめん。情けないけど、今は返事を聞く勇気がないんだ」
悲しそうに笑う彼に、私は何も言うことができなかった。
「ここから裏門に向かって。ヒバリさんが待機してるから」
「雲雀様が?」
ボンゴレ十代目の雲の守護者・雲雀恭弥は、ファミリーの中でも凄腕の実力の持ち主だが、気まぐれな性格でボスである彼でさえ、扱うのが難しい人だ。
「これから何が起こっても、絶対に戻って来ちゃダメだよ?」
「え?」
「さあ、行って」
背中を優しく押され、躊躇いながらも振り向くと、先程とは違ってちゃんと笑っていた。
「……また、どこかで」
「……うん」
私は二階から飛び降りると、難なく地面に着地した。そして今度は振り向くことなく、裏門へ向かって走り出した。
「さてと、こっちもやるとしますか」
――これから、彼が何をするのかも知らずに。