▼ 胸をときめかせた
「……お疲れ様です。キャプテン」
「あら、バレーボール協会の黒尾サン」
お忙しいのにどうしたの?と笑う彼女にふっと吹き出した黒尾は、その他人行儀やめて下さいよと眉を下げる。2部リーグのチームで今年からキャプテンを務めている彼女は、以前黒尾から名刺をもらってからときどきそんな呼び方をする。しばらくじっと黒尾を見上げてからくすりと笑った灯は、要望通り黒尾くん、と呼び直してくれた。
「今日も見事な勝利おめでとうございます」
「あら、ありがとう。…って、キミに勝利を祝ってもらえるの、もしかしてはじめてじゃない?」
顎に手を添えて首を傾げる灯の記憶にある限り、学生の時から黒尾が試合後に灯の元を訪れる日は、決まって灯のチームの負け試合だった気がする。高二の時の春高予選、高三の時の春高本戦、今のチームに所属してからの数試合…。そこまで考えて、もしかして黒尾くん…と言葉にせずとも口元を押さえて疑いの目を向けられれば、黒尾も灯の考え至ったことがわかったようで、冗談だとしてもそんなに不名誉な称号は要らないと、黒尾はすぐに反論した。
「ちょっと?俺のこと疫病神扱いしないでもらえます?」
「だって…私が負けてしょげてる時に絶対黒尾くん来るから…もうそのイメージが…」
「え、灯さんしょげてたんです?初耳ですけど」
「はじめて言ったもん」
からりと言い切った灯は、呆気にとられる黒尾の顔を見てけらけら笑うから、さっきの言葉が冗談だったのか、うまく誤魔化されたのかわからなくなる。
いつも通り振り回されて、でも、こうやって何気ない会話をするのも久し振りで、この人変わらねぇな…と一人で苦笑した黒尾は、振り回されてばかりでなるものかところりと話題を変える。
「せっかくなんで、祝勝会としてご飯行きません?」
今晩空いてます?なんてにやりと笑う黒尾に、灯はちょっぴり悩む素振りを見せてからこくりと頷いた。
――――――
カジュアルだけれど落ち着いた雰囲気のお店は黒尾のチョイスで、仕切りで区切られたその空間で、二人はのんびりと食事を楽しんでいた。
「黒尾くんってば、いつの間にこんなスマートにデートに誘えるようになったの?」
「そりゃあいつまでも先輩に振り回されてばかりの後輩じゃあないんで?」
頬杖をついて灯を見つめる黒尾は、にまりと口角をあげてからメニューを指差し目配せする。デザートでも食べます?と聞いているらしく、だけど、もうすっかりお腹もいっぱいで満足した灯は、やんわりとそれを断った。
「ごちそうさま。これ以上食べたらトレーニング増やさなきゃいけなくなっちゃう」
「そっすか。…じゃあ、最後に一つだけ」
こそっと店員に何か耳打ちした黒尾は、ゆるめていたネクタイをもう一度きゅっと絞め直して姿勢を正す。きりりと雰囲気を切り替えた黒尾に戸惑いつつもなんとなく背筋を伸ばした灯は、黒尾の背後から店員が運んできたものを見てぱちぱちと瞬きした。
「ずっと、言いたかったことがあるんですけど、」
「……うん、」
「俺、高校の時から灯さんが好きです。バレーしてる時はカッコ良くて、でも、ほんとは一人で泣いたりしょげたりすることもあるんだなって、知って、」
「……しょげてないもん」
「ふふ、そういうことにしときます。…でも、泣いてたのは、この目で見ました。そん時、灯さんに一人で泣いてほしくねぇなって、思いました」
少し意地を張る灯を見てちょっぴり笑って、先ほど店員から受け取った花束を差し出した。真っ赤な薔薇はかつて自分たちが着ていたユニフォームと同じ色をしていて、灯はその頃を思い出す。男子バレー部に元気な一年生たちが入部して、全国制覇が目標だと啖呵を切ったらしいと聞いて、見込みのある後輩が入ってきたなと目をかけるようになった。男バレの練習だけでは物足りないのか、灯がこっそり自主練をしている所へ乱入したり、指導をねだるようになった。特に目の前の後輩は熱心で、多くの時間を一緒に過ごした彼が、いつの間にか特別な存在になっていたことを実感した。
「灯さんが勝った時は、こうやって一緒に飯食ってお祝いして、負けた時は一人で悔し涙を流さなくて済むように、俺が、そばに居たいです。…だから、俺に、あなたに一番近いポジションをくれませんか」
差し出された花束を丁寧に受け取ってふっと目を細めた彼女は、可愛い後輩の気持ちに答えるべく、ゆっくりと唇を動かした。
キミに、
あなたに、胸をときめかせた
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