萌芽



自分の手元さえも見えない、暗い、深い闇の中。
立っているのか、座っているのか、そんな事すらも分からなくなってくる。
自分の目鼻を手で確認し、胸、お腹、太もも、そして爪先。
上から順々に触れていき、ようやく自分がしゃがみこんでいるのだと実感する。
手に触れた靴は、その形や、履き心地で、スクアーロからプレゼントされた靴だと暗闇の中、見えないけれど予想が付いた。


『そういえば、スクアーロは何処に……』


そう思った瞬間、ひんやりとした真っ暗な世界が急に色味を帯びて来た。
いや、違う。元々、色味はあったのかもしれない。ただ、その色が強すぎて、どす黒く変色していただけなのかもしれない。
今はもう、私の視界すべてに広がるのは、












あか















『――――――ッ!』



ガバリと勢い良くベッドから身体を起こす。
額からは汗が滴り、背中も冷や汗でぐっしょりだ。
狂い打つ心臓は私の身体を揺らす。それにつられたように短く荒い呼吸。
何処か他人事のようにそれらの音を内側から聞きつつ、落ち着け、落ち着け。と、ただ只管に呪文のように唱えた。
漸く呼吸に自分の意思が伝わり、ゆっくりと大きく息を吸い込んだ。ここまでくればもう大丈夫。長くゆっくりと息を吐き出せば、起きぬけの時よりは、だいぶん落ち着きを取り戻していた。


『はぁ。』


息を吐きながら、もう一度ベッドへ寝そべるが、もう眠れそうには無い。
バーロの屋敷から無事ヴァリアーへと帰りついて数日が経った。しかし、その数日の間に私に安息の時間は訪れなかった。夜、眠りにつけば今のように飛び起きてしまう。
日中は、睡眠不足でぼんやりする意識の中、気が付けば白昼夢にうなされている始末。
日に日に増えて行く目の下のクマのお陰で、化粧はどんどん濃くなるばかりだ。

身体がダルくて重い。1G以上の重力が自分の身体に圧し掛かって普段よりも深くベッドに沈み込むようだ。
暗い天井を眺めながらゆっくりと息を吐き出す。吐けるだけ息を吐き出して、ゆっくりと目を閉じた。もう一度深呼吸を繰り返し、全身の力を抜いて行く。






「ゴトリ。」






頭の中で響いた音に心臓が止まるかと思った。
諦めてベッドからズルズルと這いずり出た。まずは身体に纏わりついている気持ち悪い汗をシャワーで流し、サッパリしよう。ここ数日こんな事の繰り返しなので、仕事なんて数える程度しか残っていないけれど、無理やり仕事を見つけてやろう。
そんな事を考えながら、まだ暗い部屋の電気をつけた。
目に眩しいくらいの光は、私の心を少しだけ軽くしてくれた。




まだ夜も開けていないシンッとした空気を壊さないように、そろりと自室の扉を開ける。
別に悪い事をしているつもりもないのだけれど、何となく忍び足になってしまうのは何故だろう。
そのまま忍び足で仕事部屋へと向かっていれば、突然背後から、


「なまえ?」


と、私の下手糞な忍び足の僅かな足音しか無かった空間に、突如響いた自分の名を呼ぶ声に驚いて、バサバサと手に持っていた書類を華麗にぶち撒けた。
何をやっているのだと私を呼んだ人物が床に散らばった書類を拾い上げる。
その人物を見た瞬間、反射的に飛び出した私の声は多少上擦っていた。


『……スクアーロ!お、おかえり!』


「お゙ー…。っても、資料取りに来ただけでまた直ぐ戻らなきゃなんねぇ゙。」


ゲッソリとした声でそう言って、彼は黙々と書類を拾っていく。
バーロで別れて以来、スクアーロがヴァリアーへ戻って来たのは今が初めてだと思う。
ベルなんかは早々に戻って来ていたが、事後処理等はスクアーロに丸投げして戻って来たと豪語していたので、その分、スクアーロは一人で走り回っていた事だろう。


「ゔぉい………眠れてないのかぁ?」


立ち尽くしたままの私に書類を押し付けながら、スクアーロが私の顔を覗きこむ。
シャワーを浴びて、夜が明けるまでは仕事部屋に引き籠る予定だったので、目の下のクマはまだ化粧で隠されてはいない。それにいち早く気付いた彼は、私の方へ手を伸ばして来たのだけれど、一瞬躊躇い、その手はそのままスクアーロの後頭部へと宙を移動した。


「俺よりやつれた顔してんじゃねぇ。」


ポリポリと後ろ頭を掻きながらスクアーロが普通を装う。
スクアーロはまだあの時の事を気にしているのだ。目の前の彼はまた、困ったような哀しそうな何とも言えない表情をしている。きっと私も同じような顔をしている気がする。
書類を押し付けている方のスクアーロの手に書類を受け取る振りをしてわざと触れた。


『いろいろ…本当に色々、ごめんね。迷惑掛けてばっかりだね。』


上手く笑えたかどうかは分からないけれど、スクアーロと正面から対峙してそう伝えた。
すると、スクアーロも決して上手いとは言えない笑顔を浮かべた。


「んなもん、迷惑の“め”の字にもなってねぇ゙。」


そう言いながら、今度こそスクアーロの綺麗な長い指が私の方へと伸びて来た。
軽く私の左頬へ触れると、心配からか、親指で目の下のクマをするりとなぞった。
途端、寝不足気味の私の頭に静電気が走る。実際に静電気なんて起きてはいないが、感覚的にバチバチと火花が散ったように感じた。
今のは一体何?と、考える間もなく、今度は頬が紅潮していくのが分かった。
あれれれれ?と、自分でも訳が分からないまま、今度は間違い無く一歩だけ後ずさり、慌てて両手を両頬に添えた。


「ん゙?どうしたぁ?」


どうしたもこうしたも、自分でもよく分からない。


『や、あの、えっと、そう言えば、どスッピンだったと思って…。』


「ハッ、今更だなぁ。」


面白そうに笑うスクアーロとは対照的に、私は俯き小さくなる。


『も、もう戻るんでしょう?あまり無理しないようにね。』


「そうだなぁ。お前もしっかり休めよぉ。」


『じゃ、じゃあ!』


そそくさと立ち去る私に、「そっちは仕事部屋じゃねぇか!」と、スクアーロの突っ込みが入るも、おかまいなしに目的地へ向かう。


「ゔお゙ぉい、“埋め合わせ”今の山が終わったらちゃんとしろよぉ゙?」


『お、おうともよ!』


あの電話の内容は生きているの!?と思いつつ、今は反論できる余裕もなく、変な返事をしながら仕事部屋へと滑りこんだ。
まるで身体全体が一つの心臓になってしまったかのようにドクドクと激しく脈打つ。
顔の火照りも取れなくて、取り敢えず冷たい風に当たろうと窓辺へ向かった。


『あっ。』


すると、そんな私の目に入り込んだのは、可愛らしい黄緑色だった。


『あ、あー!芽が!芽が出てる!』


慌てて駆け寄った小さな鉢植えのど真ん中には、小さな黄緑色の双葉が、ちょこんっと出ていた。
この間本部へ行った時に9代目から貰った花の種がついに芽を出したのだ。
貰った次の日には種を植え、成長を今か今かと心待ちにしていたのだが、中々出ないその様子にどうしたものかと色々と対策を練っている最中だった。


『どんな花が咲くんだろう。』


芽が出た事が嬉しくて。
見た事も無い花を咲かせてくれるのだろうと、胸が期待に膨らんだ。
意識は目の前の小さな双葉に釘付けになり、先程身体に起こった不思議な異変の事など、綺麗さっぱり忘れてしまっていた。





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