一歩




『ゲホッ!――ケホッ、ッ。』


外に連れ出され、バーロの屋敷から少し離れた場所に身体を下ろされた瞬間、必死に飲み込み続けていた不快感を一気に開放させた。
上手く呼吸が出来無い私の背中を、優しくさすってくれる彼に申し訳ない気持ちで一杯になる。


『――ッハァ。ゴメン、巻き込んだ挙句にこんな…』


「これくらいなんでもありません。気にせず全部吐き出しちゃって下さい。楽になりますから。」


無理やり頼み込んだ挙句にこの有様。本当に謝っても謝り切れない。
お言葉に甘えて全てを吐き出して、荒い呼吸を整えていれば、一体何処から現れたのか突然、背後からスクアーロに声を掛けられた。
気配なんて全く感じなかった。まあ、そもそも普通にしていても一般人な私に気配を感じる事なんて出来ないけど、それでも足音くらいは分かる。それすらも任務中の為か消されていてまるで獲物を狙う猫のようだ。さっきの今で心臓に悪過ぎるので止めて欲しい。


「ゔお゙ぉい、大人しく待ってろって言っただろうがぁ。」


“さっきも聞いたよ”
頭に思い浮かべた返事は言葉にならない。呼吸がまだ落ち着いていないのと、驚いたのと。その二つが原因だと思っていた。
言葉が出ない代りにスクアーロの方へと振り返れば、私の顔がそんなに酷いのかスクアーロが少し驚いた顔をした。


「……大丈夫かぁ?」


そう言って、私の目尻にスクアーロの親指が触れた。

瞬間、ゾクリ。と、背筋が凍る。
彼の手が私に触れた途端に、銀が朱に染まる光景だとか、臭いだとか、熱気だとか。
様々なものが私の頭をみるみると埋め尽くし、真っ赤になって真っ黒になって真っ白になって、ただ一歩。
一歩だけ後ろへと後退りをした。
あの光景を思い出したく無かったから。スクアーロがあまり変に思わないように自然にただ一歩だけ。
そのつもりだったのに、気が付けば、数歩後ろにあった木に私の背がぶつかるまで後退を続けていたらしかった。


『……あっ。』


木を背にしたまま正気に戻り、慌てて顔を上げる。


『(あ、ヤバい…)』


私を見るスクアーロの顔は、困ったような哀しそうな何とも言えない表情をしていて。
……いけない。たぶんこれは、スクアーロを傷付けた。
誤解だ。別にスクアーロが嫌な訳でも恐ろしい訳でも無い。ただちょっとだけ、今はタイミングが悪すぎたのだ。必死に言い訳を探してみるも、頭に浮かぶ文字は全く文章にならない。遂には、「あ」とか「う」とかも言えない程に、喉は酸っぱくカラカラで張り付いている始末。
そんな私を見かねたのか、スクアーロがグイッと私にミネラルウォーターのボトルを突き出した。何処から持って来たのか分からないが、きっと彼は私が口をすすぎたくなるような事態に陥る事を予想していたのだろう。
相変わらず声が出ないので、『ありがとう。』と言う御礼の言葉も、『随分用意がいいのね。』と、可愛げの無い台詞も言えないまま、黙ってそれを受け取った。


「落ち着いたら、そいつとヴァリアーへ戻れ。寄り道なんかすんじゃねぇぞぉ。」


こんな私に気を使ってくれたのか、少しだけ弧を描いた唇でいつもと変わらない声色でそう言うと、スクアーロはバーロの屋敷へと戻って行った。
まともな会話なんて何一つ出来ないまま。何も悪く無いスクアーロをただ傷付けてしまった罪悪感と後ろめたさに目眩がした。
スクアーロに貰った水でうがいをして、喉を潤す。ン゙ンッ!と、喉を震わせれば、ようやく声が戻って来た。


『ハァ。私ってば最低過ぎる…。』


「へぇ?何処がどう最低だって?」


『助けて貰ったのに、あんな態度。本当に救いようが……、』


そこまで言ってまた慌てて背後を振り返る。するとそこには「うっしっしっ」と、白い歯をキラリと光らせるベルが居た。


『もう、本当に心臓が持たないから、急に現れないで…。』


スクアーロの時程では無いけれど、ドクドクと、相変わらず身体を震わせるように強く鼓動する心臓を抑えながら、ゆっくり息を吐き出した。
ベル御自慢のナイフが額に突き刺さった男の顔が脳裏を過るが、必死に打ち消す。
非人道的だと言われようとも、彼の行いを私がとやかく言う資格は無い。今しがた見た光景を否定する事は、ヴァリアーやボンゴレを。綱吉様、9代目。そこに長年在籍し続けている自分自身を否定する事になる。そんな事出来る訳が無い。思わずしてしまいそうになるのは、私の覚悟や自覚が足りなかったから。見下げるべきは自分自身だ。
それなのに、スクアーロにあんな態度を取って、本当の馬鹿だ私は。


『ベル、ごめん。ご迷惑お掛けしました。』


脳内でアタフタとする思考に取り敢えず蓋をして、一度深呼吸をしてから、深々と頭を下げる私に、ベルは楽しそうな声を上げた。


「べっつに〜。王子的には手間も省けたし逆にラッキーだったけどな。」


そう言うベルに事情を聞けば、まあ、私の予想は大体合っていた。
大暴れする為の口実を探っている最中に、私達が人質となったと言うわけだ。
ヴァリアー内部にどうやら内通者も居るようで、幹部が出払っている事もバーロはお見通しだったらしい。そうしてノコノコ現れた私達を盾に国外へ逃れようとしていたそうだ。
人質としての価値や、ヴァリアーに対して人質を取る意味自体があるのかは分からないが。


『そうだベル、これ。この中にバーロの取引き先リストが入ってる。』


結局ずっと手に強く握りしめていた匣を差し出すと、ベルはまた上機嫌そうに笑った。


「証拠の手間も省けたな。結構役に立つじゃん、なまえ。」


『……そう言って貰えると少しは報われるよ。』


役に立ったとは到底思えないが、ホッと胸を撫で下ろす。
願わくば、あの暗い表情をしていた少女に早く笑顔がもどりますように。


『じゃあベル、これ以上迷惑がかかる前に先に戻るよ。』


「ん、それが無難だな。あ、おい、なまえ!」


『え?』


「迷惑っつ〜かさ、スクアーロ隊長、ちょう心配してたぜ。後でちゃんとフォローしとけよ。」


ああ見えてあの人、結構、純粋だからさ。と、揄うようにベルが笑う。
面白がっているように見えて、ベルなりの気遣いに、こんな一面もあるのだなと感心した。


『……うん、ありがとう。』


ポツリとそう返事をすれば、「うしし」と、笑い声だけを残してベルの姿は私の前から消えてしまった。本当に同じ人間なのかと思うその常人離れした素早さに呆然としていれば、「帰りましょう。」と、隊員に促され、止まっていた足を動かした。


暫く後、助手席で頭を下げ続けていると、「もういいですから、本当にいい加減にして下さい。」と、隊員の困ったような声が車内に響いた。
漸く押し黙った私はもうすっかりと暗くなってしまった外をぼんやりと眺める。
すると、大人しくなった私を気遣ったのか、色々と言葉を掛けてくれる彼に感謝をしつつも、もうこれ以上煩わせる訳にもいかないと、眠れない車中でゆっくりと瞼を閉じた。





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