寝不足王子様




早朝。まだ静かなヴァリアー邸。
なんだか静か過ぎて、申し訳なくて、靴音があまり響かないようにソロソロと廊下を突き進む。早朝とは言っても、もう朝の7時過ぎ。本部なら、もう普通に人の往来もあり、段々と活気付いて来て、一日の始まりを感じる時間帯なのだが、ここヴァリアーでは職業柄、深夜業務が多い為か、この時間帯はまだ夜の様に静まり返っている。窓も覆われたままで薄暗い。
ヴァリアーへ来て、大分経つし、最近ではすっかりここの生活スタイルが習慣付いて、この時間はまだベッドの上に居る事が多い私だが、昨日は本当に一日中寝ていたので、6時前には目が覚めてしまった。暫くはウダウダとしていたが、食事らしい食事をまともにとっていないせいか、空腹に耐え切れず今に至る。
朝は、早朝帰りの幹部の為に、早めに談話室に朝食が用意されている。
昼食はそれぞれ、私室に持って来て貰ったり、自分の気の向くまま好きな場所で。夜は幹部専用ダイニングルーム。何となく出来上がっているその決まりに、素直に従っている。

いそいそとやって来た談話室の扉を開けると、いつもは人なんて滅多に居ないのに、今日は珍しく先客が居た。


『おはよう、ベル。任務帰り?』


「いんや、ゲームに熱中してたら、何時の間にか朝になってただけ。」


そう言いながら、ビスコッティーニをパクリと口にするベル。
徹夜でゲームとか若いなぁと思いながら、今はそんな事よりも、空っぽの胃袋が食べ物を求めているので、様々な朝食が乗っているテーブルの前に素早く着席する。
御手拭きで手を拭いて、お目当ての物を手にすると、パクリと勢いよく噛みついた。
そんな私を見て、ベルがマンマ・ミーア!と口にする。


「なんでそんな物置いてあんのかと思ったけど、やっぱなまえのかよ。」


『そんな物とは失礼ね。』


ベルが信じられないと口にしたそんな物とは、おにぎりの事。
おにぎり自体はそんな物とか言われる筋合いは無いのだが、どうやら食べる時間帯がイタリアでは信じられないようで。朝食に関して、ヴァリアーお抱えのシェフにお願いをしに行った時も、朝から米ですか!?と、驚かれた。
日本人の私からしてみれば、そんな小さなビスケットやデザートのような甘いパンで朝食を簡単に済ませる事の方がマンマ・ミーアだが、まあ、文化の違いなのだから仕方が無い。そう考えると、日本贔屓の本部では色々と過ごし易かったなと今更思う。


「で?風邪はもう治ったわけ?」


『あ、うん。お陰様で…。』


「ふうん。よかったじゃん。」


本当にそう思っているのかは分からないけれども、そう言ってくれるベルに驚いた。
少しは、心配でもしてくれていたのかな?と喜んでいると、おにぎりを一つ食べ終えた所で、ベルが空のグラスを私の方へと差し出した。

………注げ。と、そう言っているのは、無言でも分かる。分かるけど…。
何だか釈然とはしないものの、断ると面倒なので、ハァと溜息を一つ吐き出して、空になったグラスを受け取った。


「ししっ、なに?その溜息。」


『御気になさらずに王子様。ミルクでよろしいですか?』


聞かなくても何を御所望かは分かりきっているので、特に返事は聞かずに、氷水に浸かっている牛乳の入ったピッチャーを持ち上げた。


『はい、どうぞ。』


「サンキュー。」


『なんだかベルは手のかかる弟みたいだね。』


「はぁ?何ソレ。弟とかありえねーし。」


カツン!と、私の背後で鳴ったナイフの刺さった音はもう気にしない。
最初は、酷く怯えていたけれど、本当によくある事なので、一々驚いたり怯えたりしていては身が持たない。不器用な愛情表現だと勝手に解釈させて貰っている。
だって、そのナイフは私の身体を刺す為に投げられてはいないから。
そのつもりなら、もうとっくに刺さっているだろう。しかも急所を。ナイフはベルの愛用の武器なのだから、外す事はあっても、外れる事は無い。ましてや、私みたいな一般人に対しては絶対に。そんな事を考えながら小さく笑うと、何笑ってんだと、ベルの口がへの字になる。
おっと、危ない。不機嫌にさせてしまうと、この気紛れ王子は何をしでかすか分からないので、気を抜くのは危険だ。


『ねえ、そのミルクって、ベル専用なんでしょう?美味しいの?』


「ししっ、王子は産地直送搾りたてしか飲まないからな。」


『またそんな所で馬鹿高い経費を使う……。』


「命掛けて仕事してんだから、こんくらい普通だろ?」


いや、徹夜でゲームしてたんだろうよ。なんて口にはしないで心の中で突っ込みを入れる。
大丈夫。ベルはザンザス様と違って、心の内を見透かす事なんて出来ない…はずだ。


「なに?飲んでみたいの?」


『いや、別にそういう訳…「なら、こっち来いよ。」……ハイ。』


基本、私の中で、この王子に逆らうと云う事は無い。さっきも言った通り、後々面倒だから。牛乳は嫌いじゃないけれど、米と牛乳の組合せはあまり好きじゃないのにな。そう思いながらも、対面で座っていた場所から、ベルの隣へと移動する。
さて、無理やりピッチャーのまま一気飲みをさせられるか、それとも、鼻から飲めとか無理難題をふっかけられるか。そう、警戒をしていたのだけれど、意外にも普通に、さっきまでベルが飲んでいた飲み掛けのグラスを手渡された。
いつもの悪戯好きが発揮されないのは、やっぱり徹夜が効いているのかな?と思いながらも、グラスを受け取ると、


「イッキな?」


と、ニンマリした口で言われた。朝から牛乳イッキ飲みか…。お腹壊しそうだなぁ。それでも、人間諦めも肝心なので、グイッとイッキに飲み干した。


『んんっ、美味しい!甘い!』


「ししっ、だろ?」


お腹の心配をはるか余所に、予想外なその味の美味しさにテンションが上がる。
今までこんなに美味しい牛乳を飲んだ事が無い。流石は王子とか言うだけあって、いい物飲んでいる。その味にひたすら感心していると、目の前の王子がププッと吹き出した。


「ミルク髭出来てるぜ?」


『えぇ!?』


予想外の美味しさに、思わず、グイグイ飲みすぎたようだ。ミルク髭って…恥ずかしい。
ベルの言葉に咄嗟に手を口元へやろうとすると、その手はベルによって止められた。


「っと、ストップ。動くなって。王子が拭き取ってやるって言ってんの。」


今日のベルは、やっぱり何だか様子がおかしい。流石の王子も寝不足には敵わないようだ。
しかし、私も特に抵抗はしない。何度も言うが、後々の事を考えて、ベルには普段から好きにされ放題なのだ。
ペーパーナプキンを手に取って、もう片方の手で私の顎を固定し、ベルが私の鼻の下を押さえつける。もっと、ゴシゴシするのかと思いきや、やっぱり優しい仕草で調子が狂う。
早く部屋に戻ってしっかり睡眠を取った方がいいんじゃなかろうか。


「………何ジッと見てんだよ。」


『え?いや、別に…』


ジロジロと見つめているつもりは全く無かった。そもそも、顎を固定されているので、私はそのまま真っ直ぐ前を見据えていただけなのだけど。でも、そう言われてしまったので、少し、視線を下へと下げた。と云うか、もう拭き終わっているだろうに、ベルはいつこの手を離してくれるのだろう。
もしかして、また何かよからぬ事を企んでる!?

ベルの動きに警戒しつつ、沈黙を守っていると、クイッと、顎を益々持ち上げられた。
何事かと、視線を目の前のベルへと戻せば、文句を言う割に、そっちがジッと見ているじゃない。と、言いたくなるように、その瞳は見えないけれど、ベルがこちらをジッと見つめていた。


「ふうん。なまえって、」


『………………。』


「ババアだけど、」


『なぁ゙っ!?』


「こうやって見ると、案外いけんじゃん。」


『ば、ババア…ババアって…。』


「あ?おい、お前、人の話聞いてんの?」


『…ルッスに言いつけてやる!!ルッスも同い年だもん!』


「いや、だもんって…。大体、オカマはオカマカテゴリーだし、なんか違うんじゃね?」


「ハァ〜〜イ!私がどうかしたかしらー?」


オカマカテゴリーって何!?なんて頭で考えていると、突然談話室に響いた、朝から元気なルッスーリアの声。
噂をすれば何とやらとはこの事だ。姿を確認しようと視線だけ、扉の方へ移そうとすれば、またもや元気な甲高い声が談話室に響き渡る。


「あら〜ん?んまぁ!二人とも何やってるのかしら〜。」


語尾には絶対にハートマークが付いているに違い無い声音でルッスーリアがクネクネと動いている。言われて気付けば、成程、今のベルと私の様子は傍から見れば一見、異様な雰囲気のようにも見えなくも無い。そんな事をのんびり思っていれば、漸くベルが私を離した。


「べっつにー。王子、眠いしもう行くわ。」


そう言って、さっさとベルが談話室を後にする。
………まあ、寝不足にルッスは堪えるよね。おやすみベル。
心の中でそう、ベルに声を掛けて、改めてルッスーリアの方を見れば、さっきは気が付かなかったけれど、ルッスに続いてその後ろにスクアーロの姿もあった。


『……ルッスもスクもおはよう。任務帰り?』


「あ゙ぁ。」


そう短く答えて、スクアーロがルッスーリアを邪魔だと言わんばかりに押しのけて私が座っているソファーの向かい側へ腰を掛ける。
死んだように眠って気持ちを切り替えたはずなのだけど、中々まだ、正面きってまともにスクアーロの顔は見れなかった。


「なまえ、一体ベルちゃんと何してたのよ〜!」


『落ち着いて、ルッスーリア。ルッスが思うような事は何もないから。』


取り敢えず座りなよ。と、ルッスーリアを促すも、何だか勝手に盛り上がってしまっていて。
こうなって来るとルッスーリア、止まらないんだよな。
それでも、私の必死の説明に、最後には渋々と納得してくれたようだ。


「つまらないわねぇ。」


『つまるも何も、いつもの如くジャレられてただけだからね…。』


「恋なんてする気は無い!なんて言っておきながら中々隅におけないわねぇ。な〜んて思ったのに、もう本当に残念!」


ルッスーリアの言葉に思わず固まる。あまり、その話は、他の人が居る前でして欲しくは無かった。何故?だとか聞かれた所で、答えようも無いし。それに、広まって嬉しい話でも無い。私の雰囲気からそれを察したのか、ルッスーリアは、一旦口元を押さえてから、話題を変える。
まあ、今同席しているのは、スクアーロだし、大丈夫かな?と思いながら彼を見ると、いつにもまして眉間に皺が寄っていて、なんだか不機嫌そうだ。でもそれは、談話室に来てからずっとの事なので、取り敢えずは、何も言って来ないスクアーロにホッと胸を撫で下ろした。


『さて、と。私、仕事があるしもう行くね。』


「……体調はもういいのかぁ?」


『うん、お陰様でバッチリ。色々、ありがとうスクアーロ。』


そう、ソファーから立ち上がりながら言って、扉の方へ向かっていると、背後からまた、スクアーロに声を掛けられる。


「なまえ、昨日、鍛練場が直ったって報告があったぞぉ。見に行くかぁ゙?」


『そうなんだ、よかった。………仕事のケリつけて、時間空いた時を見計らって行ってみるよ。それじゃあ、二人とも、ゆっくり休んでね。』


そう伝えて、談話室の扉を静かに閉める。

………いつも通りに出来たかな?
大丈夫、だよね?

一時はどうなる事かと思ったけれど、気持ちは綺麗に切り替わったはずだ。


『よし!仕事、仕事っと。』


何となく気が楽になって、私は軽いスキップで仕事部屋へ向かった。
その途中、行き倒れているベルを発見した。
やっぱり普段と様子が違ったのは、寝不足のせいだったんだなと改めて思って、普段の仕返しとばかりに、特に起こす事も、人を呼ぶ事もせず、さっさと素通りをしてやった。




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