予想を超えた事態





『ハァ、ハッ…ギャッ!!』


この悲鳴は、必死に男の後を追い駆け続けた結果。

どうやら、男は地下へと向かっているようで、おのずと私も地下へと進む。
私が付いて来ている事は知ってか知らずか、はたまた一大事の前にどうでもいい事なのかは、分からないけれども、然程気にはされていないようだ。
男が、地下通路の一番奥の部屋へ飛び込んだ時、バキッ!と何とも嫌な音が響いた。
音と共に訪れた衝撃に少し驚きながらも、恐る恐る音のした足元を見ると、見事に踵の折れてしまったパンプスの姿。
そりゃあ、悲鳴も上げたくなるってもんだ。


『あっ…あぁぁ…、私のお気に入りナンバー3、お値段78000円…。』


あれだけ必死に走れば、そりゃそうか。こうなるよね…。
そうは思えども、納得等出来る筈も無く。この無残な現実に、涙目にならざるおえない。
私には、ここぞと気合いを入れて物事に挑もうとする時、お気に入りの靴や新しい靴を履く癖がある。
背筋がピンと伸びて、物事が円滑に進むような気がするのだ。
一種の願掛けかもしれない。
今日も例外無く、気合いを入れる為、円滑に話合いが進むようにとお気に入りを履いて来た。
それなのに、今私の目に映るのは、見るも無残な姿のパンプス…。
そう言えば、ヴァリアーに初めてやって来た日も、下ろしたての靴を駄目にしたよな…と、半ば願掛けの意味が無くなって来ている事に溜息を吐きつつも、その場に力無くしゃがみ込む。


『……………。』


靴一つで何をそんなに落ち込む事があるのかと思うだろうか?
今はこんな所にうずくまって、悠長に落ち込んでいる場合では無い事は充分承知だ。
承知なのだけれども…。
もう、本当に疲れてしまった。ヴァリアーへ来てからと言うもの、本当にロクな事は無い。
大体、初日から、命の危険に晒されて、隊員達には下衆な目で虐められ、ザンザス様も怖いし、スクアーロだって、私を殺すぞ!とばかりに睨みつけて来たし。あの時はお陰様で太ももにデッカイ青痣が出来て、当分治らなかったなぁ。


『本部のみんな、今頃何してるかな…。』


唐突に飛びだした自分の言葉に、ちょっぴり自分驚いた。
何処となく沈んでしまった心に浮かんでしまった里心なのか、なんだか、本部での日々が懐かしい。

…そうだ、そうだよ。
もう、充分頑張ったのではないだろうか?
仕事部屋に溜っていた書類等は粗方片付いた。最低限の仕事はしっかりとこなした筈だ。


「なまえさん、いつでも帰って来て下さいね。」


ニッコリと微笑む綱吉様の御顔が脳裏を過る。

―― 戻り、たい…なぁ。うん。
綱吉様は「いつでも」って言って下さってるじゃない。帰ろう本部へ。
未だに何が起っているのか詳しくは分からないけれど、この事態が収束して、ヴァリアーへ戻ったら、荷物を纏めてすぐさま本部へ帰ろう。
また、あの居心地のいい空間で、後輩達と仕事をして、我がボス、9代目と土弄りを楽しんで、生命の息吹に心を落ち着かせる日々……。
あぁ!なんて素敵な日々!本当に心が休まる事が無く、自分の命の危険に常に怯える日々なんて、もういらないのだ!


「そんな所で何をしていやがる。」


そう。正にそう!本当、こんな所で何をやっていたのだろう。
もっと早くこう決心すればよかったのよ。
そうと決まれば、もう一人でもいいから早く引き返そう!


「…おい、聞いてんのか?」


すっかり思考回路が逃げの一手に偏っていた時、低い声が私の鼓膜に響いた。
項垂れていた頭を反射的に起こすと、辺りが薄暗い。いや、正確に言えば私の座りこんでいる場所だけだ。不思議に思って上を見上げれば、爛々とした真紅の瞳が私を上から見下ろしていた。


『……フラン?』


一体何処へ行っていたのか問いただそうと私が立ち上がった時、ザンザス様の姿をしたフランがスタスタと歩き出す。


「付いて来い。」


ぶっきらぼうにそう言って、通路の一番奥の部屋へと向かうフラン。その様子から察するに、今はザンザス様と云う役柄にはまりきっているらしい。
やれやれと、私は大きく溜息をついて立ち上がる。
一人でもヴァリアーへ引き返し、本部へ戻る為の身支度を済ませようと思っていたのに。それでも、やっぱり、私は此処へ仕事をしに来ている訳で、途中で放り投げる訳にはいかないかと、諦めて、先に進むその大きな背中を取り敢えず追う事にした。
が、一歩踏み出した時、踵の外れたパンプスのせいで、ヨタヨタと力無くよろめいてしまった。


『(あ、挫く……)』


そう思ったけれど、身体を持ち直す事は出来ない。
これは当分痛いだろうなと半ば諦め気味に重力にそのまま身を預けていると、身体が宙へ、フワリと浮いた。覚えのある香りに、何だろう、若干鉄臭さが混ざっている。


「ゔお゙ぉい、フラフラしてんじゃねぇ゙。」


こんの!カスザメ!私の待ったを無視して何処へ行ってたのさ!!
なんて、怒鳴る気力は最早無い。今、私の頭の中には、早くヴァリアーへ戻って本部へ帰る事ばかりが渦巻いているのだから。
不服そうに睨み上げる私を、スクアーロは不思議そうに見つめながらも地面へと下ろしてくれた。
足を挫く事無く、無事地面へと下り立った私は、徐に片方の靴を脱ぎスクアーロの目の前へ差し出した。


『……このヒールの部分切り取ってくれない?』


「なんだぁ?折れたのかぁ゙?」


『いいから、早く取って。』


「……んな恨めしい目で見んじゃねぇ゙。やり難いだろうが。」


目で状況を判断したのか、たかが靴だろうが。なんて言いながら、スクアーロはスパッ!と見事にヒールの部分を切り落としてくれた。剣帝に、なんて物を切らせているのだ!とは、今は思わない。
スクアーロから差し出された靴を受け取り、履き直す。ぺったんこ靴の完成だ。元々はヒール用に出来ているのだから、若干歩きにくいが、何も履かないよりは大分マシだ。私はいつも踵の高い靴を好むので、急に低くなってしまった目線の高さに違和感を感じた。


「こうやって見ると、小せぇなぁ゙。」


『うるさいなぁ…。そんな事より、早く行かなきゃ。フランだけじゃ心配…。』


「あ゙?フラン?」


スクアーロが何かを言った気がしたけれど、サクッと無視して奥の部屋へと急ぐ。
少し重い扉を無理やり開けて身体を部屋の中へ捩じ込んでみると、丁度、何とも情けない声が響いている所だった。


「ひぃっ。お願いだ、助けてくれ!」


慌てて、その声の主を追ってみると、銀行マンのあの眼鏡の男だった。
周りには、黒いフードを被り、何者か分からない怪しい人物が数人居て、その内の一人があの男の動きを封じているようだ。


『フラ…じゃない、ザンザス様!早く助けて上げて!!』


咄嗟に声を上げれば、「ハッ!」と聞きなれた笑い声がした。


「助けてやらなくも無え。テメェの条件次第ではな。」


「な、何でもする。過去の事はお互い水に流して、仲良くしようじゃありませんか!ひ、ひぃ!は、早く、助け…」


そう、眼鏡の男が言ったかと思えば、ザンザス様の右手が光を集中させ始めた。
フラン、変身した人の攻撃も真似出来るのかなぁ…と、ぼんやりその光を眺めていると、


「ゔお゙ぃ、ボサッとしてんじゃねぇ!」


と、スクアーロの声が聞こえたかと思えば、私の視界は真っ黒になり、また大きな揺れと共に、鳴り響いた爆発音に、思わず自分の耳を塞いだ。
何処となくデジャブを感じながらも、ギュッと強く目を瞑った。











「ゔお゙ぉい、大丈夫かぁ゙?」


耳を塞いでても聞こえる声にそっと目を開けると、どアップのスクアーロが居て、思わず思いっきり突き飛ばす。


「なにしやがるっ!」


『何しやがるも何もって…あっ!』


先程よりも、何処となく、スッキリとしてしまった部屋の中に、あの眼鏡の男を発見する。今はもう、周りにいた怪しげなフードの連中の姿は見えなかった。
色々と、何が起きたのか検証したいのは山々だが、今は目の前に倒れている人を介抱するのが先だろうと、私は男に慌てて駆け寄った。


『大丈夫ですか!?もしもーし!』


「うっ…。」


よかった、生きている。どうやら気を失っているだけのようでホッと胸を撫で下ろす。
それにしたって、何だか無茶苦茶な事になってしまった。
改めて周りを見回せば、ここの護衛の人達であろうか、結構な人数が横たわっていて、その光景に思わず絶句する。


「大丈夫だ。全員、命に別状は無え゙。」


そんな私の様子に気付いたのか、スクアーロがゴロゴロと転がってる人を確認するように、軽く蹴飛ばしながらそう言った。「うぅっ…」と悲痛な声を零す様子に、成程、確かに生きてはいるようだけれど、もう少しやり方ってもんがあると思う。


『で、結局、犯人はどうなったの?』


「“犯人はみんなボスがカッ消した”って事だぁ。」


『……………?』


何だか、意味ありげなスクアーロの受け答えが気になった。
どういう意味?と口にしようとした時、私の目の前に黒色の靄がかかったと思えば、それは段々人の姿へと形を作っていく。


『……あ、あなたはさっきの!?』


吃驚して後ずさりした私は、足元にあった瓦礫に足を取られて尻もちをついた。
それでも、痛みなんかは無視をして、必死に後ろへ後退を続ける。
私の目の前に、この騒ぎを起こしたであろう張本人。先程、男を人質にしていた黒いフードを被った怪しい人物が現れたからだ。


「なまえさーん、何をそんなに慌ててるんですかー?」


『な、何をって、フラン!早く捕まえて……って、ん?』


緊迫した雰囲気に反比例するかのように間延びしたフランの声に違和感を覚える。
だって、その声は、後ろに居るザンザス様からじゃなく、目の前に居る黒いフードを被った人物から聞こえたからだ。


「あれー?どうかしましたかー?」


そんな事を言いながら、目の前の人物は、平然とフードを脱いだ。
中から、飄々とした表情で姿を現したフランに、私は目が点になるばかりだ。


『フ…ラン?』


……目の前にフランが居る。エメラルドグリーンの瞳で私を見つめる姿は、何処からどう見てもフランだ。


『……本当にフランなの?』


「ボケるにはまだ早いですよー?」


『……後ろの、ザンザス様は…?』


「あれは、正真正銘のボスですよー。」


「敵を騙すにはまずは味方からってなぁ゙。」


クックッとスクアーロが笑う。私は頭が真っ白で、何も考えられない。
それでも恐る恐る振り返れば、そこにはやっぱりザンザス様が居て。

……ずっとフランだと思っていた。いや、最初は確実にフランだった。
一体いつから、本当に“本物”になっていたのか、さっぱり皆目見当もつかなかった。


「おい。」


『は、はい!』


低い声で呼ばれ、背筋が凍る。そう言えば、私ザンザス様にフランって言っちゃったし、思いっきりタメ口とか聞いちゃったし…ど、どうしよう!?
まともにザンザス様を見れずに泳ぐ視線。カツカツとあるくブーツの音が段々こちらに近付いてくる。
足音が大きくなるにつれて私の鼓動も大きくなってくるようだ。


「…今度、つまら無え事を考えていやがったらカッ消す。」


ギュッと目を瞑った私に投げ掛けられたのは、そんなお言葉だけで。
そこからまた遠のく足音にソッと目を開ければ、少し離れたザンザス様の後ろ姿が見えた。
一体いつから本物のザンザス様だったかなんて分からないけれど、この部屋へ来る前に出会った時には、もう本物のザンザス様だったのではないだろうか。
それを思えば、つまらない事をと言えば、一つしか思い当たらない訳で。


『つまらない事…かぁ。』


その言葉を安直に捕えてしまえば、なんとも都合のよい解釈をしているような気がしてしまった。それでも、なんだか冷めきった心に温もりが戻って来たようだった。


「用は済んだ、とっととズラかるぜぇ。」


「早く帰りましょー。」


そう言って、差し出された2本の手。
なんだか、少し照れ臭かったけど、悪い気はしない。


『そうだね。早く帰ろう。』


少し見つめた後、私はその2本の手を、両手でグッと引っ掴んだ。
さっきまで帰ろうと思っていた場所では無く、今、私が帰るべき場所へこのまま引っ張って貰おうかなと思いながら。


『道中、しっかり説明して貰わないといけないしね…。』


「ゔお゙っ!?」


「何なんですかー?この意外な握力はー。」


『つべこべ言わない!早く行く!』


「もー、だからミーはきちんと説明した方がいいって言ったんですよー。」


「誰もそんな事言って無えだろうが!」


ワイワイと3人で喚きながらザンザス様の背中を追う。
「うるせぇ!」と、瓦礫が投げられる頃には、なんであんなに沈んでいたんだろうと思うくらいに、お気に入りの靴が壊れた事なんて、綺麗サッパリ忘れてしまっていた。





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