滑らかなる鮫肌




「向かい斜めにある、あの部屋が俺の部屋だぁ。何かあったら言いに来い。」



ヴァリアーに来た初日、スクアーロにそんな事を言われた。
そうは言っても、遠慮してしまって、彼の部屋を訪れる事は無かった。
だがしかし、遂にスクアーロの力が必要となってしまい、私の部屋の向かい斜めにある、一枚の扉の前に今私は居る。
腕時計を見つめると、午後2時過ぎ。昨夜の任務がどうだったかは分からないけれど、そろそろ寝ていても起きる時間かな?と思いながらも、軽くグーに握った右手を動かすのを躊躇する。談話室あたりに居てくれたのなら、いらぬ気を回す手間も省けたのだが。
まあ、色々考えていても仕方が無い。どうか起きていますようにと願いながら、右手で軽やかなリズムを奏でた。


『あれ?』


返事の変わりにカチャリと開いた扉。一瞬スクアーロが出て来たのかと思ったが、扉の向こう側に人の気配は無い。僅かに開いた隙間から、ソーッと中を伺う。
鍵がかかっていないと言う事は、出掛けては居ないはず。


『お〜い、スクアーロさーん…。いますかー?』


部屋の主の姿が見えないので、若干遠慮がちに声を掛ける。
が、沈黙。やっぱり部屋に居ないのだろうか。

出直そうかと思った時、部屋の奥の方でバタンッと扉の閉まる音がした。


『スク?』


「ん゙?なまえかぁ?」


声がした方に視線を向けていると、スクアーロが姿を現した。
と、ここで私は半分部屋に入り掛けていた身体を廊下の方へ引っ込めて、バタンと慌てて扉を閉めた。
………誤解されない為に言っておこう。別にこれは所謂ピンポンダッシュ系の悪戯では無い。視界に入ったスクアーロが、その、何と言うかセクハラ的な姿だったからだ。

閉められた扉のドアノブが、ガチャリッ!と、動く。私はそれをさせまいと必死になって引っ張った。


「ゔお゙ぉい!何なんだぁ!?」


『な゙ぁ!?ちょっ、止めて!タンマ!……うわぁっ!!』


必死にドアノブを引っ張って居たのはいいが、それはスクアーロも同じだったようで。
扉の両側から引っ張り合った結果は、スクアーロの力勝ち。
それでも私も必死にノブを掴んでいたので、扉が開かれる力に引っ張られ、バランスを崩し、部屋の中へとダイブしてしまった。


『イタタタタ……。』


痛みよりも、衝撃に対する驚きでそんな声を口から零しながら、むくりと頭を上げる。
何だかいい香りが鼻孔を擽り、手には何故かすべすべで張りがあるような弾力。


「…っぶねぇ。大丈夫かぁ?」


そんなスクアーロの言葉が下から聞こえ、反射的にその声を追う視線。
私の瞳が捕えた衝撃の事態に頭が一気に真っ白になった。


『うっ…あ…。』


「なまえ?」


目線の先にはスクアーロ。湯上りたまご肌のスクアーロ。
さらに詳しく言うならば……スウェットパンツのみのお身体で、タオルなんかが首からぶら下がっている滑らかお肌のスクアーロ。髪もしっとり濡れていて、軽く上気したお肌は、女の私が一生かかっても勝てない程の色気を醸し出していて……。
そんなスクアーロにあろう事か馬乗り状態になってしまっている私。


『…………ッ!』


なんだか、鼻の奥がツンッとする感覚がして、慌てて鼻と口を押さえながら後ろへ飛び退いた。なんだか、生温かい感覚が鼻の中を伝う感じがする。
鼻血…かもしれない。なんて事だろう、こんなのド変態もいい所だ!


「……どっか打ったかぁ?」


スクアーロも立ちあがり、心配そうに私の方へ手を向ける。
その心配は嬉しいけれど、兎に角今は近寄らないで欲しい。
ダイブした時に、鼻をぶつけてしまったのか、それともスクアーロの色香にやられてしまったのかは、分からないけれども、こんな状態でそんな醜態を晒したくは無い。
と、思っていたのも束の間。ポタッ…と何かが落ちる音。
赤い点々が床に零れ落ち、やってしまったと心で溜息を吐く。


『んでぇっ!!』


「はぁ゙?」


『で、ででで、出直しますっ!!』


言った途端にくるりと方向転換して駆け出す。
幸いな事に、私の部屋は直ぐそこだ。鼻を押さえながら走る私の背後から、


「ゔお゙ぃ、走ると鼻血止まんねぇぞぉ!?」


なんて大きな声が聞こえて来た。馬鹿野郎。なんて大声だしやがる。
乙女の恥じらいを頼むから理解してくれ…。
振り返って文句を言う余裕も無く、すぐさま私室へと戻り、ティッシュを乱暴に何枚も取り出した。
取り敢えず落ち着こうと鼻にティッシュを詰め込んでソファへと向かうその途中に、私の姿が映り込んだ壁に掛かった鏡を見て、また、溜息が零れた。


『うぅ…恥ずかしいったらない。』


力無く呟いて、腰を下ろす。恥ずかしさからか顔が赤い。
こんな状態じゃあ止まるものも止まらないよと思いながらも、鼻を少し圧迫しようと手を鼻へとやると、ふわりと広がった香り。


『〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!』


どうやら、先程、スクアーロに触れた手に彼の匂いが付いていたようで。
その香りと共に先程の事態が鮮明に頭に蘇る。
みるみる上がる心拍数。手に触れた感触や、温もりまでもが鮮明に頭に蘇って来て…って本当に鼻血止まらないし、変態か!
自分で自分を咎めつつも、必死に雑念を振り払おうと九九なんかを頭で唱えてみる。
思春期まっさかりの少年かと一人で突っ込みながらも、頭は必死だ。
大体、男の人の裸体に触れた事自体が本当に久しぶり過ぎて、何だか異様に恥ずかし過ぎる。
おっと、いかんいかん。えっと、何処まで行ったけ?えぇ〜っと、さんいちが3、さんにが6、さざんが……


「ゔお゙ぉい、止まったかぁ!?」


『きゅうぅっ!?』


「さっきから何言ってんだぁ?」


雑念を振り払おうと必死に3の段を頭で唱えていた所で、バタンッ!と勢いよく登場したのは、スクアーロ。今はぶっちゃけ顔を見たくない。そっとしておいて欲しいのだが、彼からしてみれば、心配して来てくれたのだろうから、そんな事は言えない。
怪訝な顔をしながらも、スタスタとレディの部屋を何の躊躇いも無く突き進み、私の目の前へとやってくる。
………って、私、ティッシュ詰めたままじゃん!と慌ててそれを取り外すと、赤く染まってはいるものの、どうやらもう血は流れてはいないようだった。


「止まったのかぁ゙?」


そんな事を言って、私の顎を掴むスクアーロ。
いきなりの事で、身動き一つ取れないでいると、屈むように私を覗き込んで来る。
この短い時間で乾かされたのか、もう今は濡れていない、いつものようにサラサラの彼の長い髪の毛が私の顔を擽った。そして、ほのかに香る先程の香り…。



『「あ゙っ。」』



再び流れ始める赤色に、慌てて身じろぐと、血液が跳ねてしまったのか、スクアーロの洗いたての髪の毛にも付いてしまう始末。


『ゔあ、ご、ごごごめんなさいっ!』


「ゔお゙ぉい、どんだけ強打したんだぁ?」


『強打というか、大体、スクアーロがあんな格好ッ…!』


パニくった頭で馬鹿な発言をしてしまった。
私のその言葉を聞き、目の前のスクアーロがニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。


「何、生娘見てぇな事言ってんだぁ?」


思わず、ソファに置いてあったクッションをスクアーロへ振りかぶった。


『バ…馬鹿か!もう!とっととシャワー浴び直して来なさい!』


「あ゙?なんか用事があったんじゃねぇのかぁ?」


『だから、出直す!出直すから!』


片手で鼻を押さえつつ、もう片方の手でスクアーロをグイグイと部屋の扉の方へと誘導する。用事なんて、今はそれどころじゃない。


「ハッ!澄ました面より、今んがよっぽど可愛気があっていいぜぇ?」


クックッと笑いながら部屋を出て行ったスクアーロに、何も返事が出来ないまま、その扉を閉めた。ずるずると腰が抜けて、手に持っていたティッシュを再び鼻へと詰め直す。


『は、反則だぁ…。』


何だか色々と疲れてしまって、力無く天井を仰いだ私の喉に、気持ちの悪い液体が流れ込んで来て、慌てて洗面台へと移動したのだった。




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