最愛を縫い付けた君


 視界は黄金色に染まっている。少し冷たい風が皮膚を撫でて、鼻先にはしょっぱい風を感じた。ガラスのように繊細で鋭く鮮烈な記憶の断片。視線の先で沈みゆく太陽に照らされた男の異様な美しさに息を呑み、思慮深く、また恐ろしくもある真っ黒の瞳に心は未だに囚われたままだ。

『団長だって人間だし、君がそれだけ特別ってことだろ?』

 背後から語りかけてくるような声に、奥歯を噛み締めた時目が覚めた。目の前は暗く、暖炉の火だけがぼんやりと周りを映し出している。石造りの建物に壺やら藁やら、農業道具のような物が敷き詰めあったような部屋だ。暗くてよく見えない。皮膚から冷たい空気を感じる気配はなく、身体中が何か暖かい物に包まれている感じがした。すぐ後ろから小さく唸るような声が聞こえて、布ごしに太い腕が体に巻き付いているのが分かった。いつの間にか眠っていたらしい。ここはきっと麓の村だろう、同じような部屋で昔寝泊まりしたことがある。

「喉乾いた…」

 喉の奥が熱くて、口の中が乾いていた。水でもヤギのミルクでも、何でもいいから口に含みたい。体を起こそうと身動きしたが、巻き付いていた腕の力が強くなった。背後の男が目を覚ましたのか無意識なのかどちらでも良い。腕を押し退けて毛布から抜け出そうとした時、強い力で肩を引かれて呆気なくも引き戻された。同時に体を押さえつけるように上に覆いかぶさったジンの目が貫くようにこちらを見ている。寝ぼけているのか、いつもは感じない剥き出しの感情のようにも見えて、その本能的なものに少し驚いた。どこにも行かせるつもりはないような、そんな顔だ。ジンの狡猾な部分が踵に噛み付いたようで焦燥が顔に滲み出ているだろう。

「ジンは私をどうしたいの?」

 ジンはいつだって答えをくれない。そしてなぜ問いかけたのだろうとすぐ後悔した。不意にジンの顔が近づいて、鼻先がぶつかる。ジンは私の目を深く覗き込んだ。そこにある何かの奥行きを測っているような感じだった。窓ガラスに顔をつけて、空き家の中を覗くみたいに。

「私は前みたいにジンを好きじゃない」

 何故だか自然に言葉が浮かんだ。以前のように太い腕に抱かれて眠るのも、熱く絡めとるようなキスをしても、頭の中はジンでいっぱいにならないだろう。ジンの瞳がすぐ近くで細まって目元にうっすらと皺ができる。不快げだけど罪悪感は浮かばない。静寂が私たちを取り囲んでひどく安らかな瞬間だった。そして口にしてみて初めて、クロロに対する感情の行く末を掴めた気がした。暫くの間彼に会っていないと何か大事な物が欠けているような、心の隅に穴が開いてしまったような。クロロを思い出すたびに胸は締め付けられる。両側を何かに隔てられて身動きできなくなったみたいに、そのまま進むことも退くこともできずに。呼吸が浅くなり、湿度の高い所で息をしているみたいに苦しくなる。クロロと離れても、切実に彼が生きているだけで胸が痛いような。とっくに戻れないところまで来ている。あの日彼が海岸に私を連れ出した時みたいに、満潮になって戻り道は無くなってしまったのだ。

「だろうな」

 ジンは嘆息して私の横に崩れるように倒れた。肩が触れ合うと相変わらず陽だまりのような体温を感じる。無意識にジンの手を掴むと彼は握り返してくれた。「ジンはずっと私の光だよ」と言えば、何を胡散臭い事を言っているんだと眉を顰めながらもジンは笑った。私はジンの手を強く握りしめる、今までの空白を、孤独を埋めるように、強く。ジンはかつての恋人で、父で、師であった。唯一無二の存在なのだ。彼への感情の苦しみの中で、私は私であることを見つけることができた。以前はどん底で、思い出すだけで胸を押し潰すような感情と記憶が今では随分軽いものになっていることに驚愕した。彼はもう私を引き止めることはしないだろうと考えると強欲にも少し寂しさを感じる。なんて自分勝手な女なのだろう。

「そういえば、その髪どうした?」
「私父さんの子供じゃないらしいの」
「ああ?なんだ、それ。どう考えてもあの親父さんの娘だろうが」

 間髪を容れずに答えたジンを呆然と見つめてしまった。嬉しかった。私たち親子をよく知っている人だったから。ジンは父さんによく似ている、硬くて傷だらけのこの手も、笑った顔も、ブレない強さも。だから惹かれたのかもしれない。

「悪かった」
「え?」
「お前の親父さんと約束した。だが俺は、呑気にしているうちにそれを果たせなくなった」

 ジンは約束の内容を語ることはなかった。でもそれは私にとって大した問題じゃない。詳しいことも気にならなかった。前はわからなかった事が、今では少しずつ理解できる。ジンは私がいなくても前に進む、私もやっとそれができるようになった。

「ありがとう、ジン」

 ジンを探すことを止めた私の中ではずっとやりきれない時間が流れていた。失ったものへの怒りと悲しみ、孤独を感じるたびにずっと何かにならなきゃいけない気がしていた。強くならなければと。ふと思い出すたびに、それは蘇り、違和感に包まれた時間ばかりが私の中に流れているのだ。しかし今は違う。私は変われる。横にいるジンを見ると、照れ臭そうな顔をするわけでもなく、少し眉尻を下げて優しい光を宿した目をしていた。強くて、大きくて、眩しい人。きっともうこの人と過ごすことのない時の流れを噛み締めて、この手を繋いでいた。



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