巡る炎へ呑まれる


 暗闇に包まれた森の中で揺れる炎を頼りに歩いてきた。拠点へとたどり着いて、服にこびりついた砂埃を払うと指先が微かに痺れているのを感じた。風が薪の中から紅蓮の舌を煽り出しているのに惹かれ、火の側までやってくるとそこには先客がいる。男はこちらに気づくと片手をゆっくりと振り上げた。

「今日は先に寝たんじゃなかったのか?」
「そうなんだが、さっき起きてしまってね」

 暫く火にあたろうとテントから出てきたらしい男は毛布に包まりながら丸太に腰掛けていた。火のそばで赤く照らされている顔はこけていて、初めて会った時よりも数段老けている。長く伸びた髭の下は乾燥しきっていて笑った時にできる皺が痛々しくも見えた。

「これが終わったらゆっくり休んだ方がいいぜ」
「そうだな」

 ルルカ遺跡を発掘した時は活気で満ち溢れていたというのに今では別人のようだ。この男はネテロが一目置く存在として知られている遺跡ハンターだった。男が手渡してきたカップを受け取ると指先が熱くなる。温まった茶を口に流し入れると冷え切っていた体がじんわりと熱を持った。確かこの辺りで摘んだ薬草を調合したお茶だとか言っていた気がする。これを飲むと数時間は体がポカポカしている。

「私はこの調査が終わってほしくはないんだよ」
「そんな事言ってると家族が怒るんじゃないか」
「怒らないさ。私にはもう娘しかいない。ああ、そうだ、ルルカ原石を見せつけたのも私の娘だ」

 発掘メンバーでもない子供がルルカ原石を見つけたと言っていた気がする。自分には原石など眼中になかったが周りやメディアがやけに騒いでいた。記憶を辿ってみれば赤毛の子供がいたような気もする。それほど曖昧なのはこの男のように別の物に必死だったからだろう。

「妻も娘もほったらかしして自分のやりたいことを貫いてきた。そのせいかあの子は何でもできるんだ。人より寂しい思いをしてきたからか、他人の痛みにも敏感で、誰よりも優しい」
「心配ならそばにいてやればいい」
「そうできたらいいのにね。私は親である前に、私という人間なんだ」

 この時の男の話を聞いているようで聞いていなかったと思う。聞かなくても分かっていたからだ。娘を大切に思ってはいるが、自分の欲望に逆らえない典型的な男。自分も同じようなものだった。

 調査を終えた一ヶ月後、男はさらに変わり果てた姿で目の前に現れた。肉は落ち、呼吸は不規則。浅黒くなった顔を歪め、細くなった手で両肩を掴まれた。口答えせずに男の話を聞いてやらなければならない、そう思ったのは明らかな死の香りを感じたからだ。

「ジン、頼みがあるんだ。あの子が一人前になるまで一緒にいてやってくれ。あの子は優しすぎて、時々自分がわからなくなってしまう。あの子の才能を生かせるように導けるのはお前だけなんだ」

 なんで、俺がガキの世話なんて。いざそうとなると自分の悪い所が浮き彫りになるものだ。

「頼むよ、ジン。頼む。でも手だけは出さないでくれよ。お前みたいなのに引っ掛かったらあの子が可哀想だ。きっと私の妻のように、寂しい想いをする」

 枝のような手に掴まれただけなのに骨が軋むほど力は強い。いや強く感じてしまったのかもしれない。男は尊敬されるハンターであったが、ある一点が弱かった。夢見ることに生きていた男が目的を失ってしまった喪失感の威力。生命の流れは男をまるごと飲み込んでしまうほど強かった。最初は娘の面倒を見る気などなかったが何故気が変わったのか、よく覚えていない。金色の目をした赤毛の娘は生意気そうで強気な目をしていた。男の言った通り、やろうと思えば何でもできてしまうような娘だったが、心は繊細で脆かった。必死に誰かに縋り付くことで強さを獲ようとしている。とっくに一人で立ち上がれるというのに。

***

「お前が一緒にいてって言ったんだろうが。自分の発言には責任取れ」
「はぁ?ジンが言えること?昔は散々ほったらかしにしたくせに!」

 自分を追いかけなくなった女に会いに行ったのは自分でも予想外の事だった。どうせまた新しい男を見つけて暮らしているに違いない。それでもカイトの出来事がナマエに大きな影響を与える事を懸念したのかあの街のある店に訪れたのだ。そして衝撃を受けた。小さな店だったが取り揃えられた服や書庫や物達にはナマエらしさを感じ、かつて少女だった頃の彼女の好奇心や夢をそのまま形にしたような空間だったからだ。昔から服や持ち物に人一倍のこだわりがあるのは知っていた。ナマエの直感と目は父親が天才だと言った通りの物だ。相手に縋る事でしか生きられなかった女が自分の足でしっかりと踏み出している。衝撃的であって、また何か胸にのしかかるような重みも感じた。いつか以前のように自分の名前を呼んで、目の前に現れることを期待していたのだろう。

「昔は、だろ。これからはそんなつもりはねえから覚悟しろ」
「このクズ!ダメ男!」
「なんとでも言えよ」

 散々言い合って、ついには泣きつかれて子供のように眠るナマエを抱えながら数時間歩いた。湖の麓の村を目指していたが、その方角から数頭のヤクを連れた男が見える。知っている男の姿だ。手を振ると、男も同じように真っ黒な腕を振り上げた。

「よう」
「おお、ジンじゃねえか。久しぶりだな」

 男の近くまでくると腕の中のナマエを訝しげに覗き込み、数秒後には眉間に皺を作って「まさか女を盗んできたわけじゃあねえよな」と嫌悪するような目を向けた。気を失ったように眠っているナマエが攫われてきたように見えるのもわかる、ここら辺ではよくあることだ。しかし自分がそんなことをする男に見えるのかと問い質したくもなる。だが何かに気付いたのか男は表情を変えた。

「髪の色が違うが、この子覚えてるぜ。艶のある金色の目をした子だ、前にここに来た時はまだ子供だったが……」
「何だ、ナマエを覚えてたのか」
「そりゃあジンの弟子だからな、印象深い子だったよ。それより何だ、まさかこの子を嫁にしたっていうんじゃないだろうなお前」
「何でそうなるんだよ」
「目だ」
「は?」
「お前の目」

 男が奥を覗き込むような目をしてからにっと口角を吊り上げた。どこか心は覚束無い。腕の中の女に対して取り返しのつかないことをしてしまったせいか。また自分は、同じことをしようとしている事に気付いたからか。だがどうしても、この女を手放す気にはなれないのだ。



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