早熟の責任


「今更そんな事聞いてどうする。お前にはそんな答えはもう要らないんだろ」

 驚くほど澄み渡っているジンの瞳を長く見つめていると自分が吸い込まれてしまいそうになる。片隅で期待していた。ジンに必要とされていたのかもしれないと。呆気なく剥き出しにされた感情を覆い隠してしまいたいと怯みそうになったが今この男から逃げてしまえばもう機会はない気がした。

「答えは必要だよ、でないと、いつまでも…」

 口に出してみて初めて何かが自分の中から這い上がってくる。答えが欲しいと、言っていた男がいた。頭の中で感情がせめぎ合う。「違う。私は守られる女はやめたんだ」とぶつぶつと訳の分からない事を呟いていたのを聞きながらジンは大きく息を吐き出した。

「守られる女?そもそもお前は守ってやるほど弱くないし、何だって自分でやってきてただろ」
「自分だけで事足りるなら、こんなことになってなかった」
「そうだとしたら気づいてなかっただけだ。お前の土俵に立てる奴は限られてるからな。お前は孤独で仕方なかったんだよ」
「何言ってるのか全然わかんない」
「よくわかってるはずだ。強い男に対する執着も。母親へのトラウマも。全部繋がってるってことだよ」
「何も知らないくせに!」

 カッと喉の奥が熱くなり、鋭い視線をジンに向けたが、痛くも痒くもないといった表情でジンは心の奥底を更に覗き込むような目でこちらを見る。

「必死だったんだよ、自分自身の調和を保つのに。お前の調和ってなんだよ、そんなに大事なもんか?毎回そうだ。他人に乱される事をひどくビビってる」

 頭を鈍器で殴られた時のように衝撃的な言葉だった。今まで作り上げていた大事なものが、一気に壊れていく気がする。しかしそれさえも、自分を否定し続けてきた証のようなものではないか。認めたくない、しかし認めずにはいられない。反射的にジンから離れようと浮いた腰がジンの手によって固定されて敵わなかった。ジンの胸板に力なく存在している自分の両手がひどくちっぽけで、小さく見える。私は孤独を感じているくせに、自分の領域に踏み込まれることが嫌だった。今まで感じてきた痛みが再び降りかかってきそうだったからだ。自分の周りを塗り固めた強情な感情。クロロはきっと私の本心を知りたかったのだと思う。いや、知っていたはずだ。それを私に気づかせたかったのだ。

「そうだね。私はきっと色んなものに飢えている」

 欠落した感情は満たされることはなかった、そしてこれからも永遠に満たされることはないだろう。それでも自分と向かい合って生きていかなければならない。

「そういえば、お前は昔っから抱えきれなくなると暴走してたな」
「…それは今回の件でよくわかった」

 抑制しきれないものが、自分の中にある。では尚更自分の内側を知っていないとならない。それは果てしない道のりのように感じる。乱暴に手を伸ばしても届かないのだ。茨の道をくぐり抜けて、何年もかけて奥底にたどり着くようなものだろう。本当にそんなことができるのだろうか、考えれば考えるほど目の前の男は本当にすごい人なのだと思い知った。ジンは自分が何をしたいか、何を信じて進むかいつもはっきりしている。だから縋りたくなってしまうほど眩しいのだ。

「でもな、それは必ず誰かのためだった。お前は優しいよ、自分が思っている以上に」

 不意に解けるような柔らかいジンの表情に、熱い塊が喉元から込み上がる。咄嗟に顔を背けて目頭を手首で擦った。「ゴンに謝らなきゃ」と誤魔化すように口にした言葉に、ジンは「あいつより俺に謝れ、俺の方がよっぽど傷ついてんだ」と眉を顰める。
 
「ゴンに酷いことを言っちゃった。知らない内に比べてたんだと思う、あの子は死んだのに、どうしてゴンは生きてるんだって」

 あの子はゴンのように純粋な目で世界を見ていたかもしれないと考えるといつまでたっても心が痛い。これも私が一生背負っていく痛みだ。

「何の話だ」

 全身から血の気が引くのを感じた。「ジンには関係ない話だよ」と怪しまれないほど自然に返したつもりだったが、目の前の男はそれを余計に不審に思ったのだろう。不審に思うどころか自分に関係している話に違いない事を既に見抜いている。腰を掴んだ手に力が入り勢いよくジンが上体を起こした衝撃で体が倒れそうになったが、今度はジンの両手が腕をがっちり掴んだ。「ナマエ」と久しぶりに名前を呼ばれたが、血管が凍るような想いだった。昔は女に対して勘が鋭いような男ではなかった。しかし、腕を掴む力が強くなり、ある時を境に解けるように弱くなった。自ら察したのか、とても微妙な速度でジンの表情は驚きに変化していく。いつも痛いぐらいの真っ直ぐな瞳が、自分の驚きを確認するようにゆっくりと私を見る。滅多にみない光景に困惑するどころか、焦燥だけが私から滲み出ていただろう。気が緩んだのか、一生明かすはずのなかった男に口走ることになるとは。動悸が早くなり、手のひらは汗ばんでいる。

「何で、言わなかった」

 言えるはずがない。今も声さえ出せずに、震えずにはいられない。呼吸が浅く、酸素が薄いせいか余計に眩暈がした。

 記憶の断片が脳内を過ぎ去っていく。骨に張りついたような皮膚、母の細い手が私の手を掴んでいた。こけた頬骨の先は窓の外、待ち人に心を焦がし、私と母を繋いだものは愛ではなかった。母にとって自分など、父を誘き寄せる餌でしかなかったのだろうか。

 瞼が痙攣し、鼻先がつん、と痛くなる。心の底から絞り出したような声が聞こえた。幼子のように頼りなく、掠れた声が自分のものだと気づいたのも後になってからだった。

「母さんのように、なりたくなかったの」

 瞳から砂糖菓子みたいな大きな雫が零れ落ちた。ずっと、心は震えている。怯えている。過去に、感情に、記憶に。心のどこかで許さなかった。母が私にそうしたように。ジンは微かに瞳を細めてぐしゃりと顔を歪めた。怒っているようで、悲しんでいるようで、胸が痛くなる顔をしている。気づけばたくましい腕に抱きしめられて、温もりが身体中に染み込んでいく。肺が酸素で満たされて肋骨が広がっていくのを感じ、ようやくまともに息ができた気がした。

「気が変わった。お前をこのまま行かせるつもりはねえぞ」



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