痛まない青


 いくつも飛行船を乗り継いで訪れた国は偉大な自然に囲まれていて自分がいた所とは全く違う。首都は悠久の時が流れる街だ。巨大な寺が街並みに並び、仏教徒である各地の民が巡礼のために訪れる。そのためここは賑やかな所だった。しかしヨークシンなどと違って空気は新鮮で人混みもそこまで不愉快ではない気がした。通りで見かけるこの国の民族衣装のような服は刺繍が綺麗で割と現代的だ。買い付けて帰ろうかと考えながら石造の小さなカフェに入る。僅かしかないテラス席に座り、小さなカップに入った熱々のお茶を冷ましている間に片手で持っていた本を眺めていた。論理的な思考を学ぶような本の内容にそこまで興味を惹かれないのに何かを期待するようにページをめくる。周りは人の声で騒がしかったが、自分だけは静寂の膜で覆われている時間だった。しかしそれに水を差すように向かいの椅子を何者かが引いた。

 筋肉質な腕をしているのに対照的な金髪の若造は満面の笑みでこちらを見ている。何か用があるのか、それとも単なる暇つぶしか。地元の男ではなく観光者だろうか、空気も容姿もこの場所から浮いている。

「あれ、覚えてない?」
「覚えてないですね」
「君って物覚え悪いんだね」

 素直な言葉にかちんときたが、それも間違ってはない。興味のないことはとことん覚える気がないからだ。少し身に覚えがあるような気もするが大事なことは思い出せない。

「まあ、いいけどさ。それよりこんな所まで来て何する気?もう何日も店を閉めてるし、俺こんな辺境は好きじゃないんだけど」

 (なんだこの男、ストーカなの!?)

 咄嗟に立ち上がろうとした時、男は私の手元にあった本を指差して「あ、それ団長も読んでなかった?」と言った。体が一気に強ばり、呼吸の仕方が変わる。すっかり冷めているだろうお茶の表面が波立っている。どこかで見たことあると思ったら、こいつ幻影旅団の一人じゃないか。なんでこんな所に。私に何の用だ。男は刺すような視線を向けられながらも相変わらずのペースを保っている。しかしこの男が妙な動きをしたら、いつでもテーブルをひっくり返して逃げる準備をしておかなければならない。

「まあその分大金が手に入るからいいけどね」
「大金って私を人質にするつもり?」
「そんなつもりないよ。大体君隙はあっても強すぎるから無理」
「じゃあ何で付け回すの」
「だから、団長に君を探すように頼まれたんだよ。大人しく家にいてくれれば楽なのに」

 どうしてクロロが私を探すのか、理解し難い感情が湧き上がる。とっくに別れを告げたはずだ。それにあの男も同意したから去ったのだ。今更何を。都合が悪くなった私のことを殺しにでもくるのか。

「私が旅団にとって邪魔になった?」
「何それ。分からないの?」

 旅団にわざわざ私を探すように仕向けるなんて、嫌な答えしか持ち合わせていない。男は私の反応を見て呆れたように息を吐き出した。

「旅団っていうか団長の個人的な頼みってやつ」
「あのクロロが?」
「団長だって人間だし、君がそれぐらい特別ってことだろ?」
「特別?」

 そんなわけがない。私はクロロにとって都合の良い女だ。旅団に不都合があればあっさりと切り捨てられる。そんな愚かな女になるなんてうんざりだった。なのに心の隙間では期待せずにいられない。浅はかな情に辟易する。

「団長がここに向かってるから、暫くここにいてくれないかな」
「無理」
「強情だなあ。一体次はどこにいくの?ここ山しかないけど。まさか登るつもり?」
「約束があるの」

 お茶を飲み干せば思ったよりも甘ったるくて顔を顰めそうになる。それに冷たい。呆れたような顔をする男を置いて店を出た。追ってくる気配はない。クロロのせいでここに留まるつもりはなかった。視線の先で聳え立つ山々、雲より上に山が突き出していて標高はククルーマウンテンより高い。いくらあそこで育った過去があるにしても登るのは楽ではないだろう。しかし三つ峠を越えた先に待ち人がいる。予定日までに辿り着ければいいが。

***

 山の麓の村で食料を補給し歩き出した。大体一日8時間ほど歩いては眠ってからまた進む。紅葉に包まれた僅かな道を登っていきながら様々な動物や植物を目にした。確か父の本にも書いてあった。この山の植物は原種なのだと。鳥や風が世界に種を運んだのだとか。横を流れる鮮やかな青の清流、この流れの上の方には新種もたくさんある。二日目には滝が見えるとこまで来た。険しい岩に切り裂かれた水はいく筋もの糸となり水煙をあげながら下へと流れていく。この水は、手前は不透明なのに深さが出ると青くなるのだ。私は水の源を目指していた。更に時間をかけて滝を登り、水流を遡っていけば青すぎる湖が顔を出した。山と山の谷間に溜まる湖は普通とは違う。ターコイズブルーのように鮮烈な青は胸に衝撃的な痛みを残すような美しさを持っている。初めてこの色を見た時はそれはもう驚いたものだ。宝石はこの湖から作られたのではないかとさえ思った。父によるとこの時期は雨がなく下に不純物が沈んでいるから青いのだとか。この景色に圧倒されてか疲労のせいかドッと疲れが押し寄せて地面に腰を下ろす。風が冷たかったが暫くこの温度感に浸かっていたかった。

「遅い」
「今日が約束の日でしょ」
「ちげーよ。登ってくるのが遅いってんだ」
「…もう現役じゃないんだから勘弁してよ」

 それにあの状態からここまで回復させるのだって楽じゃなかった。隣に同じように腰を下ろしたジンの目を見れずに、呼吸を正すように落ちつかせる。ここはジンが私を見つけた場所だった。父の死後、沈んでいた私はこの湖を訪れた。惹かれるのだ、この色彩に、輝きに。時期が変わるとこの色は濁っていく。そして時間が流れると自然の摂理で美しさを取り戻す。そういった時に、何かの偉大な力を感じるようだった。

「この湖はまるでルルカ原石みたい」

 ジンは湖を眺めていた。手を伸ばして頬を撫でてみれば髭のチクチクとした感触を感じ、昔と変わらない真っ直ぐな目が私を捉える。不思議な感覚だった。この前会ったときよりも心が落ち着いている。ここまでくる間雑念がなかったからかもしれない。頬を伝って、喉仏に触れた時にはジンの上にいた。強引に押し倒したつもりだったけど、ジンは抵抗する気はなかったと思う。指先に触れた冷たいもの。ジンの首にぶら下がったルルカ原石を見つけると泣きたくなった。

「だからジンは、これを持っていったの?」

 声は細くて情けなかったと思う。私がどうしようもなくこれを必要としていたことを、知っていたくせに。惹かれていたことを、知っていたくせに。



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