なにかが嘶く


「キルア」

 挑戦的な色を交えた澄んだ声が窓の外から聞こえた。ガラスの向こう側に映っていたのは年の離れた従姉弟だ。昼間では太陽のように明るく映える髪が漆黒の闇の中では紅蓮の炎のように見える。庭に聳え立つ木の太い枝の上でこちらを手招きしている。キルアがベットから飛び降りて窓を開けるとナマエは背の後ろで隠していたスケートボードを差し出した。

「いいの…?!」

 キルアがずっと欲しいと思っていたものだった。板は擦り減って無数の傷がついている。ナマエがずっと使っていた物だったからだ。「本当に私のお古がいいの?新しい物なんていくらでも買ってあげるよ」とナマエは言ったがキルアは「これがいい」と言い続けていたのだ。かと言ってもナマエはずっと使い続けていたボードに愛着があった。中々手放さなかったのを何故、今手放したのだろうか。誕生日でも、クリスマスでもない。ナマエは「飽きたから」としか言わなかったが、その金色の瞳は大事そうにボードを見つめていた。それから彼女が家を出たと聞くまで時間はあっという間だっただろう。その時の鮮烈な感情が溶け出し、体が熱くなっていく。

「ナマエ…」

 瞼をこじ開けた時、視界には木造の天井が見えた。そういえば宿までゴンを運んでから気絶するように眠ってしまったような気がする。そこでキルアは一緒にいたはずのナマエを思い出して体を勢いよく起こす。全身筋肉痛のような痛みでひどく怠かったがそんなことどうでもよくなっていた。不意に冷たい指先が頬に触れて、目尻まで流れていく。ナマエがベットサイドの椅子に腰掛けてこちらを見ていたのだ。一気に安堵したキルアから力が抜けていくが同時に押し寄せるのは怒りのようなやりきれない感情だった。

「今まで、どこにいたんだよ」
「色々あったんだけど最近は地方で古着屋をやってたんだよ」

(地方で、古着屋?)

 ナマエが大人しく地方にいる事など想像もできなかったキルアは少し目を見開いて、次は銀色に輝く髪に目を向けた。察したのかナマエは息を吐き出して椅子にもたれる。「これは説明が面倒」と少し、うんざりしているようにも見えたのでキルアは髪については触れないことにした。

「親父に何か言ったのナマエだろ。俺のせいで何か嫌な事とか、なかった?」

 キルアの心臓は大きく脈を打っていた。じっとりとした汗が背中に流れ、拳を握る手が強まっていく。キルアの自由と引き換えにされたものが何かあったはずだ。

「頻繁に家に戻るように言われただけだよ。キルアが気にするようなことは何もない」
「でも、」
「今度は私が聞きたいの」

(ゾルディックを嫌っていただろ)

 そう口に出す前にナマエの言葉によって強制的にこの話は終わりを告げた。「カイトはどうなったの?」と顔を傾けたナマエを前に、キルアは息を呑んだ。鼓動は相変わらず早い。キルアは包み隠さず全てを打ち明けた。自分達のせいでカイトが片腕を失いどうなったのかは分からないと。

「カイトにすぐ逃げろと教わらなかった?」
「…教わったよ」
「キルア、貴方なら迷わず出来たはずだよ」
「それ、は」

 ナマエの視線は先程と比べ物にならないほど鋭かった。それはシルバの眼光に似ていたのだ。相手の胸の奥底までナイフを突き立てるような視線にキルアは唇を噛む。ゴンのことはいうつもりがなかった。言ったところでなんの意味も無い。責任を押し付ける気はキルアにはなかったからだ。しかしナマエは既に全てを悟っていたのだ。分かっていて、問い詰めるような口調をしている。キルアはとてもそれに居心地の悪さを感じていた。糾弾するかのような金色の目を見たことがなかったのだ。

「……そもそもどうしてカイトと一緒に行くことになったの?」
「最初はゴンの親父のとこに行くつもりが、その弟子のカイトの所に飛ばされて……」

 キルアは喉にパン屑を押し込まれたように息を止めた。ほんの、一瞬だけナマエから放たれた禍々しいオーラに全身の毛が逆立ったのだ。「ジンの、息子?」得体の知れない生き物を見るような目つきに掠れた声だった。どうしてゴンに対してそこまでの反応をするのかキルアには計り知れない。

「ナマエもジンの弟子なのか」
「…昔はそうだったかもね」

 急に立ち上がったナマエはキルアに背を向けた。また消えてしまうのかと恐れたキルアは自然にナマエを呼び止めていたがナマエは振り返らないままドアノブに手をかけた。「気が変わった」と一言そう残して部屋を出て行ったナマエをキルアは追いかけた。何か、腹に蛆虫が湧くような嫌な予感がしたのだ。しかし廊下には既にナマエの姿はなかった。そこでキルアは気づいた。ナマエにとってカイトはきっと掛け替えのない人物であったと。彼女が漲らせる怒りの矛先がどこへ向かうのかも。



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