不浄の霧に包まれて


 冷たい雨が皮膚を打ちつける。地面にできた水溜りは波紋を作りながら次々と広がっていくが、足がぬかるみに沈もうとも気にせずキルアは走り続けた。背中にゴンを背負いながら真っ暗な森を駆け進んでいくが恐怖は常にあった。もし、カイトが殺られていたらいつ追いつかれてもおかしくなかったからだ。頭を埋め尽くすどうしようもない嫌悪感は、自分に対するものだった。やがて夜が明けると次第に辺りは明るくなっていくが、湿り気を帯びた地面から霧が立ち籠めている。もう走れない。足が鉛のように重く、全身が雨か汗か、びっしょりと濡れている。犬のように舌を出して喘ぐような呼吸でキルアは必死に前へ前へと足を踏み出した。自分を突き動かしているのは生きたい、と願う傲慢な意思だろう。カイトを置き去りにした痛みが余計に増した気がした。

 国境に辿り着き、巨大な木の影にようやく腰を下ろせばドッと疲労が押し寄せた。涼しげに瞳を閉じているゴンの姿を横目にキルアは項垂れる。額から零れ落ちた汗が地面に落ちた時、すぐ側で人の足が地面を踏み締める音がした。こんなに近くに人がいたというのにどうして気づかなかったのかと疑問に思ったが、疲労のせいだとキルアは決めつける。こちらの様子を窺うように自分の前で止まった人の気配に、一体何の用だと不機嫌さを露わにした顔でキルアはゆっくりと顔を上げたが次の瞬間には刮目したのだ。

 よく知った金色の瞳がこちらを見つめている。風が押し寄せてブワリと銀色の髪が舞うと懐かしい香りで肺がいっぱいになった。込み上げた想いが喉元まで込み上げたが、声を失ったように言葉にできなかった。呼吸するのが精一杯だったのだ。ずっと会いたかった人が目の前にいるというのに石のように動けなくなったキルアと隣で横たわるゴンを一瞥しナマエは初めて口を開いた。

「カイトはどこ?」

 その瞬間、キルアは再び地獄へと引き摺り込まれたのだ。重さを取り戻した四肢がひどく痛み、胃がぎゅうっと縮まる。聞きたいことは山ほどあった。久しぶりにあって第一声がそれかとか、今まで何をしていたのかとか、変化した髪色、どうしてここにいるのか。だがキルアの唇が微かに震えていた。もしかしたら、と。つい先日カイトから聞いた話を思い出したのだ。

『カイト以外の弟子?!』
『本人は否定してるが…ジンさんも認める天才ってやつだ』

 てっきり師が弟子を持っている事を否定していると思ったがどうやら逆だったらしい。天才、キルアの中で思い浮かぶのはたった一人だった。しかし、こんな可能性がある訳がない。ナマエがカイトを知っているのはただの偶然で、知り合いなのだと言われれば納得するだろう。しかし何故か冷たい汗が背中を流れていく。何も答えないキルアを見つめていたナマエが微かに瞳を細めた時、後ろから声が響いた。

「久しぶりじゃのォ、ナマエ」

 現れたのはハンターだった。モラウ、ノヴを横に侍らせたネテロが髭に手を添えて笑っていたが、ナマエは眉を顰めた。

「…どなたですか?」

 まさか、ネテロ会長を知らないのかとキルアは瞳を丸くさせたがネテロは面白そうに喉を鳴らす。

「前会った時はまだ子供だった、覚えてないのも無理はない。おぬしの父親の知り合いじゃよ」
「父の…、あぁ…そういえば覚えている気もします」
「…ワシそんなに印象薄い?それより、カイトを探しに来たのだろう?ついでにワシらを手伝ってくれないか?」

 ナマエの眉がピクリと動く。そうだったとキルアは焦燥を思い出し、モラウとノヴは呆気に取られたようにネテロを見た。「会長、この方は一般人ではないんですか?」とノヴが耳打ちした頃にはナマエはキルアの腕を掴んで立たせていた。既に迎えのトラックが待ち構えている。

「その通り。私はハンターではないので失礼します」

 去り際にネテロは言った。「正式に仕事としてなら、受け入れてくれるのか」と。それはナマエの血がゾルディックに属していることを承知しているからだとキルアは思ったが、ナマエが単身で任務を受け持ったことなど記憶にない。本人は暗殺業をひどく嫌っているからだ。だが微かな期待があったのかもしれない。カイトが立ち向かった化け物に、ナマエなら。そう思うのはあの時感じた恐怖が、ナマエの中の獣とよく似ていたのかもしれない。ましてやカイトと繋がりがあるなら、その想いが力になる。

「だめだ、ナマエは行かせない」

 キルアは逆にナマエの腕を掴んだ。細くて、力を入れればすぐに折れてしまいそうだった。こんな女に、一体どうして危険な地へ赴けと思えるのか。キルアはネテロも、自分自身も恨んだ。先程までの矛盾が頭を侵そうとする。しかし発した言葉には底しれぬ意思があった。ナマエは小さな微笑みを浮かべた。久しぶりに見る優しい笑顔に喉の奥が狭くなっていく。もう後悔はしたくなかった。



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