君の永遠にはなれない


 月が顔を出し、風が吹くと森が闇の中で騒めき反するように屋敷の中は静まり返る。しかし眠っている者は僅かで、使用人達は密かに眼を光らせ続けている。一人、薄暗い回廊を歩いていたイルミは足を止めると顎先を上に向けた。何かの匂いを確認しているような仕草にも見えただろう数秒止まっていたが、すぐ横の大きな窓を開け身を乗り出した。そこから軽々しく屋根に登ったイルミの視線の先に月夜に照らされた女がいた。夜だというのにキラキラと底光りするような髪が風で揺れているが手元にある本に釘付けになっており髪の乱れなど気にならないようだった。髪の隙間から見える顔は彫ったように整っていて、金色の目があちこちで思案げに留まる様子がイルミの父親、シルバを連想させた。それは知っている者の目だ。読書なんてするのかとイルミが問いかけようとした時、それをも予想していたようにナマエは唇を開いた。

「私だって読書ぐらいするよ」

 イルミに視線を向けず淡々と言った様子にイルミは本の内容が少し気になった。近づいて覗いてみれば何やら異国の言葉で文字が書いてある。ナマエの父親はこういった物に詳しかった影響だろうか。以前であったら心底どうでもよかったが、今はその内容が気になった。しかしどうせ聞いてもまともな返事は帰ってこないだろう。ナマエが興味を持つものはほとんどないが、逆に興味を持って集中している時は周りが見えなくなる。男とて同じことだった。イルミは何も言わずに隣に腰を下ろした。昔、こうやって二人で屋根に登って月を眺めていた頃もあった。お互い特に何も考えておらずただそこで時間を潰していたようなものだ。それがどうしてか、今はその時間を切望してならない。

「俺達、多分姉弟だよ」

 イルミは言葉に出してみて少し後悔した。その言葉は思ったよりも重く、胸にのしかかってきて頭の奥からガンガンと痛みをもたらした。ナマエはどうせ聞いていないと思ったが再び視線を本に向けたまま「それで?」と無慈悲なように言った。その反応から既に知っていたのか、それともひどく興味がないのかイルミには分かりかねる。ナマエは変わった。髪色が変わっただけではない。いや、戻ったというのが正しいのか。ナマエが不意に寝っ転がって片足を立てると自分で切ったのか縦に入った荒いデニムの切れ目から細い足首が見えた。いつのまにかキキョウ好みの服を止めたのだろう。体勢を変えても片手に持った本を食い入るように見つめているが、この森を走り回っていた頃のように率直で、また何も恐れていないような姿に見えた。

「気持ち悪い。両親は知ってて俺達を結婚させたがってる」

 そこで初めてナマエはイルミを見て喉を鳴らして笑った。「それは自分に言っているの?」と笑混じりに問いかけられれば鈍器で頭を打たれた時のように眩暈がした。一瞬怒りが喉元まで這い上がったがそれを呑み込んだのは伸びてきたナマエの手が頬に触れたからだった。シミ一つない、美しく滑らかな手が頬を撫でていけばその後を熱が駆け抜けてゆく。

「結婚なんてしなくても私達はもう既に家族だ。従姉弟も姉弟も大して変わらないよ。それに面倒な事を考える気はない。私の父親はずっと父さんしかいないから」

 ナマエの中では本当に小さな事のようだった。同時に苛立った。こんな思いをしているのは自分だけだった事実を思い知ったからだ。ナマエが立ち上がった時、既に本は閉じられている。森の先、遥か遠くを見つめているような視線だった。

「行くの?親父が許すとは思えないけど」
「貴方もシルバさんも勘違いをしてる。私が変われば、従順になるとでも思ったの?」

 わざとらしく鼻を鳴らしてナマエは笑った。

「前にも言ったけど、私はイルミが大事だよ。それはずっと変わらない。でもここは私の居場所じゃない」

 同じ光景を見ているようだった。あの日、父親に手を引かれこの家から出て行った小さな少女の瞳。ナマエの中でこの家の存在など小さい。立ち去った時と同じ、そこには心残りも気後れもないのだから。イルミが咄嗟に腕を掴んだのは恐れだったのかもしれない。失う事の、限りない恐怖。女の視線の先、こちらを見つめながらじっと佇むシルバの姿を見つけたからだ。

「わかってるだろ。今度は閉じ込めるくらいじゃ済まない」

 金色の瞳はやはり全てを物語っていた。この若さで、こんな目をする奴はいはい。そしてその中に獣を見た。イルミがこれまで目にした事のない感情のようなものだった。舌が痺れ、耳鳴りがする。ナマエの魅惑的な唇が嘲笑しているのか、弧を描く。

「だから今度は殺し合いをするよ」

 まるで知らない女が、息巻いた。知っている者の目だ。己が最強だと。シルバが求めている強さだった。声に出さずともわかる。常軌を逸する感覚が張り詰めて悪寒が駆け抜けていく。イルミはこの腕を離してはならないと咄嗟に思った。



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