薔薇の骨を蝕む


 朝食の席に遅れて現れたイルミの発言によってこの場の空気が変わったのは言うまでもない。歯を食いしばったキキョウは当人の答えなど待たず、すぐに洗い出せというような視線を執事に送り、シルバはナマエの心臓を鷲掴みにするような眼光を向けていた。「こりゃ面白くなりそうだわい」とこの場で苦笑できるのはゼノぐらいであろう。一方表情を変えずにいたカルトはイルミがナマエにした耳打ちが気になっていた。

「やだなあ、そんなのいないよ」

 銀食器がぶつかる音も聞こえぬ張り詰めた空気に温和な声が紛れた。当のナマエは悪事を咎められた時のように身を強張らせたがそれを顔に出すことはしなかった。男との関係が露わになることは構わない、しかし旅団の頭はまずい。握った拳の中で冷や汗が広がり、とうに食欲などない。とにかく脈を乱すことのないようにしていた。

「ふうん、ならいいけど。食べ終わったならちょっと付き合ってよ」

 ナマエは返事をする前に即座に立ち上がったがそれに静止をかけたのはシルバであった。後ろからイルミの視線を感じながらも息を呑み込んで返事をすればシルバはフォークで肉を突き刺していた。

「暫くはここにいるんだろう」

 特に機嫌が悪そうでもない、いつもと変わらぬ問いかけであったがナマエは喉の奥が狭くなるのを感じた。シルバは先程の事について問いただす事はなかった、ならば頷くほかない。「そうだね」とナマエは顔中の筋肉に刺激を与え取り繕って微笑むとイルミと共にこの場を去った。全身がひどく気怠く、すでに一日を終えたかのような疲労感だった。

***

「お前らしくないね」
 
 それは小綺麗な服のことか、それともシルバの言いなりになっていることかナマエにとってはどうでもよかった。コーヒーカップを二つテーブルに置いて、イルミは向かいの席に腰を下ろす。ナマエがイルミに連れてこられたのは山を降りてすぐの街だった。疲労感を明らかにしたナマエの顔つきを見てイルミは「少し休もうか」と近くのカフェを指さした。外の席は道路に面していて忙しないが建物は年代物で街並みは悪くない。屋敷から連れ出してくれたのはいいが、また戻らねばならないことを考えると憂鬱だった。

「ねえ、さっきの…」

 コーヒを飲むイルミに視線を向けていれば眉をピクリとも動かさないで「俺が知らないとでも思った?」と言った。確かにナマエはクロロとの関係を隠してはいなかったが誰もそんな事には関心を抱かないだろうと思っていたからだ。それに表で会っているクロロという男を調べても何も出ないだろう、奴の素顔を知る者以外は。

「クロロと面識があるの?」
「仕事でね」
「…へえ」
「親父には言わないであげるよ」

 じゃあ何故あそこで口走ったのか、行動を抑制したかったとしか思えない。「そんなに私と結婚したい?」とナマエが皮肉混じりに笑った時、イルミは持っていたカップを置いた。

「両親はお前に執着しているのに何故今まで自由に生きられたと思う?納得いかないけどお前もキルと同じだよ。俺と結婚させることになってなかったら今頃籠の鳥だ」

 籠の鳥、その言葉がどれほど恐ろしいかまだナマエは本当の意味を知らないであろう。つまりこの結婚はナマエのためであると言いたいのだ。しかし結婚したって籠の鳥であることに変わりはない。自由など程遠いのだ。イルミの肉親に反論するほど愚かではないが、納得ができないのは同じである。

「私にそんな価値ないよ。人殺しだって嫌だ」

 ボソっと呟いた言葉はイルミにとって癪に障るものであったのだろう。

「自分だけ違うと思ったら大間違いだ。相変わらず都合がいい。いい子のフリして盗賊と関係を持ってるくせに、あいつらは盗む為なら何だってするよ。必要とあればお前だって殺すだろうね」

 険のある言い方に飲んでいたコーヒーが一気に味気なく変わる。こめかみがピリついて眉を顰めた時、「それはイルミも同じなんじゃない」とふてぶてしく呟いていた。周りから見れば単なるカップルの痴話喧嘩のように聞こえているかもしれない。こんなことで感情を左右されるのも今のナマエには苛立ちに変わる。昔はよく喧嘩をしたが睨み合って勝った覚えはナマエにはない。大人になって冷静でいられるようになったが今のナマエに余裕などなかったのだ。

「お前は俺を勘違いしてるよ」

 暫く無言のままそうしていたが、先に壇上を退いたのはイルミであった。ナマエは自分に向けられる黒い瞳に不振と疑問を抱く。最近見るこの男の視線はどこか居心地が悪い。まるで知らないイルミの一面を目の当たりにしているようであったからだ。



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