屍から手を離せ


 血の繋がった妹がいた。殺しの筋は良かったが惚け者でくだらない男と駆け落ちしたくせに自分のことばかりの男に愛想を尽かして家に出戻ってきたのだ。窪んだ目に頬肉は落ち、乾き切った唇で妹は言った。『この子をお願いします』と、死面に変わり果てた妹の骨そのもののような手に引かれていたのはまだ小さな子供だ。妹に子がいたなんて知れば親父がどんな顔をするか。イルミと変わらないくらいだろう子供はあの男にそっくりな夕暮れの色をしている。虫唾が走り眉を顰めていればその子供は『シルバ叔父さん』と眠そうに瞳を細めてやんわりと笑った。その表情も、金色の目の輝きも昔の妹を思い出させるものであった。すぐに子供の体を掬い上げ、病んだ女を隔離室に押し込んだ。

『母さんの病気はいつ治る?』
『すぐに治ることはないだろうな』

 ナマエは大して感情を見せることなく短く返事をした。この娘は鋭い、全てを分かっているのだろう。身体能力も悪くなく筋もいい、与えられた課題を難なくこなし反発もしない。ただ殺しだけはしなかった。

 仕事に一緒に連れて行ったことがある。奴隷制度がある国家の地方を歩いていた時、ナマエの足が止まった。横の小道で鞭打たれている老女を見つけたからだ。背中の服は肉ごと裂け鞭打たれるたびに血が溢れ出る、老女は声を出す気力も既にないのか肉の塊のように動かなくなっていた。

『あれは、何?』
『奴隷だ。何かしたんだろう』

 近くの者に聞けば、老女が子守していた主人の子供が目を離した隙にいなくなり、そのまま人攫いに連れて行かれてしまったらしい。この老女は翌朝まで鞭打たれて死ぬだろう。「何も考えるな、当然の報いだ」とナマエに言い放った時には既に遅かった。小さな右手は脈が浮き出て鋭く伸びた爪先にはべっとりと血がこびり付いていた。虫の息だった老女を誰も気づかない間に殺したのだ。殺気立った感情を押さえつけるようにナマエは自身の腕に傷をつける、爪でゆっくりと肉を割いて苦痛を噛み締めたその表情、まだ小さな姪に脳髄が痺れるのを感じた。それがナマエの最初の殺しだったのだ。

『あの子を人殺しにしないで』
『あれには才能がある。お前がここに連れてきたんだ』
『あの人が迎えにきてくれる、きっと助けてくれる』

 何を今更。病んだ妹の頭はぬかるみと化し、次第に自身を追いやった男にも幻想を抱くようになった。あの子が気づかないうちに感情を制限しているのも、母親と父親に心を痛めるのも全てはこの女のせいだ。全てはお前がこの家から去ったのが元凶なのだ。細い妹の首を絞めてやれば金色の目に涙が浮かんだ。ナマエは一度も泣いたことはない。弱音を吐いたことはない。同じ目をした女に感じた怒りが腕の先まで流れて鈍い音が響いた。

 すぐに父親がナマエを迎えにきた。憎たらしい目つきをした男の息の根を止めてやろうと思ったがそれが容易にできれば妹は駆け落ちなどしなかった。『私の娘を返せ』と息巻いた男は全てを見透かしたような目をしていて空虚な笑いが喉の奥から込み上げた。

(ナマエは必ず戻ってくるさ)

「シルバ叔父さん、キルアを自由にしてあげて」

 部屋の片隅で響いた妹そっくりな声、赤毛の美しい女がゆっくりとこちらへ歩み寄って膝の上に跨った。その滑らかな腰を撫でて久しぶりに帰ってきた姪の名前を呼ぶ。暗がりでも輝くその瞳はどうしてか一層眩しく見えた。



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