たまには泣きたい夜がある




 
 補助監督のナマエという人間を知ったのは、五条悟が彼女を知るよりも前だった。容姿がいいだけ、それ以外は普通の補助監督に見えたが、そう思いたかっただけかもしれない。実際一緒に仕事をしてみれば、彼女は普通とはかけ離れている女性だとすぐにわかった。まず纏っている空気が一般人のものではない、洗練されているというのが正しいだろう。そういう類の人間には惹きつけられるとよくいうが、その通りだった。

「七海さん、どうかしました?」
「…いえ、なんでもありません」

 彼女と一緒になるのは多くはなかったがハンドルを握る細くて白い指や、彼女が時々髪を耳にかけるとシルバーのピアスが顔を出す様子に視線がいってしまう。

『補助監督のナマエっているだろ、最近海外から帰ってきた奴。呪力はほとんどないけどなんか怪しんだよ、上はなんも言わねーし』

 確かに彼女は謎に包まれた存在だった。気配を敏感に感じとるし、時々常人ではない動きをする事がある。彼女自身は笑って誤魔化し、追求する隙も与えない。愛嬌のある笑顔を浮かべながらも決して踏み込むことを許さない。
 
「最近一緒の任務になりませんね」
「五条さんの補助に着くことが多いと聞いています、大変ですね」
「ああ、それは否定しません」

 彼女は目に見えて嫌そうな顔で笑ったが、彼女の存在に五条さんが気づいてから、五条さんが彼女に突っかかるようになってから彼女は人間らしい顔をするようになった事に気づいた。自分の前ではそんな顔をしない、きっと五条さんは彼女の境界線など蹴散らしているのだ。

 ***

「早く子供達の場所を教えてください」
「今頃餓死してるかもなぁ」

 とある呪詛師が子供を拉致して監禁していた。子供達はもう何日も飲まず食わずでどこかに監禁しているとしか男は口に出さず、決してその場所を明かそうとしない。焦燥で顔が歪んだ時、呪詛師の男の首をナマエは片手で締め上げた。彼女は外で待機していたはずなのにこの部屋に入ってきたことさえも気づけなかったのだ。

「ぐっ、な、んだお前!」
「子供達はどこ?早く吐かないと指が無くなるよ」
「はあ?!ふざける…ああああッ!!!」

 指を折ったのではない、粉砕していた。躊躇なく骨が砕かれる音が空間に響いて、顔を覆いたくなるほどの恐怖と苦痛に塗れた男の叫び声が暫く続いていた。彼女は驚くほど顔色を変えない、男の首を締め付けたまま片手で器用に一本ずつ指の骨を砕く。鍋の中で具材を煮込んでいくようにじっくりと確実に男を追い詰めていく様子はまるで拷問慣れでもしているかのよう。その姿は冷たく、威圧的な殺気に満ち溢れていた。

「地下だよ!地下に隠し部屋があるんだよ!頼むから、もう、やめて」

 恐怖で体を震わせた男の涙ながらの懇願によって子供達は無事救助されたが、彼女は少し切なそうな顔をしていた。どうしてそんな顔をするのか、嗜虐的な光を宿していた瞳はすっかり色を無くしたように渇きに満ちている。

「ナマエさん、さっきのはなんですか」
「すいません勝手に、つい、手が出ちゃって」
「違います、もしかして貴方も拷問されていたことがあるんじゃないですか。もしくは親に虐待されていたとか」

 彼女は一瞬目を丸くして、次第にふっと肩の力を抜いたように笑った。

「……七海さんは、良い人だ。でも私は善人じゃない。心配に値するような人間じゃないんです」

 まただ。踏み込むことを許さない笑顔がここにある。分厚い壁が彼女を守っている。私にはこの壁を壊して行ける勇気がない。だらり、と力なく落ちた腕がひどく重い。彼女は自分とは違うものを見て、感じ、全く別の道を歩んでいるのだと思う方が楽だった。

***

「僕とナマエ、結婚したんだ」
「はい?」
「僕が彼女を幸せにするから、安心しろよ」

 目の前の男は自信に満ちた満面の笑みを浮かべていた。五条さんは私でも気づかなかった彼女への想いに気付いていた、そして私が自覚する頃には遅かったのだ。彼には彼女の壁を壊す力がある、彼女の領域に土足で踏み込んで強引に引き寄せてしまうのだろうなと考えては虚しくなったが、どこか穏やかな感情もあった。「善人じゃない」と笑う彼女が本気で泣いたり笑ったりできる相手はきっとこの人ぐらいだと心のどこかで気づいていたんだろう。

 凍てついた季節が過ぎて過ごしやく心地よい気温になった。夏の夜は煩わしくはない、しかし夏の夜空を見上げれば行き場のない想いが喉からこみ上げてならない。



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