海を抱いて眠る




 鋭く痺れるような痛みが連続的に患部から溢れているようだ。重たい足を引きずってなんとか自宅の扉を開いた。中に入った途端に糸が切れたように前から倒れる。一気に重みを増したような体がこのまま床を突き抜けて地獄まで沈んでいきそうだ。呪霊だかなんだかわからない存在に捕まるのは誤算だった。それに殺し損ねた。補助監督になってから体がひどく鈍っているのだと思う、反応も遅い。

 ――こんな所で一体何をしているんだろう

 ふとした時に生きている意味を失うことがある。どうしてここにいるのか分からなくなる。弟の言葉を思い返しては余計に喉の奥が苦しくなるのだ。こんな時に決まって思い出すのはかつての恋人の姿。そうなると途端に痛くなる、どこが痛いのか分からない、胸の奥か、それとも心臓か、彼の記憶を刻み込んだ脳みそか。目頭が熱くなって、何を求めたのかも分からない右手が宙を舞う。彼の優しい腕に触れたかったのかもしれない、彼の微かな口元の微笑みや、穏やかで脳を痺れされるような声全てが懐かしく、抱え取れないその口惜しさや切なさが身悶えさせる。

 不意に静寂に鳴り響いた携帯の着信音。内ポケットから取り出して画面を見ることなく通話ボタンをスピーカーにして押した。『仕事終わってるよね?飯行こうよ』と響いた声の主に返事しないままでいれば『聞いてるのー?』と語尾を上げて問われる。

「…いきたくない」

 ぎゅっと瞼を閉じたまま震えた声を押し殺すように言えば『今どこ』と抑揚のない声が返ってきた。会えるわけがない、こんな時にあの男に会えば芯を揺さぶられる気がする、きっともっと痛い思いをする。それに傷の止血はできていても完治を早めるためにオーラに集中したい。

「どこでもいいでしょ」
『いいから教えろ』

 珍しく強い口調だった。けれどそれぐらいで私が口を割ると思ったら大間違いだ。そのまま通話終了ボタンを押し石のように重たい体を起こして浴室に入る。服を脱ぎ捨てて傷口をそのままに体を洗う、水に滲んだ血が足元にこぼれ落ちていく様子が懐かしく感じた。毎日人を殺していたあの時はもっと自分は血腥かったのだろう。シャワーを終えて傷口を消毒し包帯を巻きつけた。ベットに崩れるようにそのまま何時間か眠っていたと思う。誰かが部屋に侵入する気配を感じるまでは。

「……なんで」
「教えてくれないから気になって来ちゃった」

 暗い部屋で佇んでいる大男、五条悟に家の場所を教えたつもりはない。そういえば鍵をかけ忘れていたことを思い出して腹の奥から湧き上がったため息を吐き出した。五条さんは無造作に床に落ちている血で汚れた包帯やガーゼを見てからこちらに視線を移した。布越しで目は見えないというのに心なしかその視線は冷ややかで鋭い。

「…どうして僕に連絡しないの?」
「する必要あります?」
 
 眠りを邪魔されたせいか険のある声が漏れれば彼はこちらに近づいてベットに足を踏み入れた。男の重みでマットレスが傾き、五条さんはそのままごろん、と隣に寝転がった。広いベットで寝るのが好きだったからクイーンサイズを買ったのだがこの男のせいでやけに窮屈に感じた。

「……何してるんですか」
「ん?添い寝」
「一人で寝たいんですけど」

 片腕で頭を支えてちらを覗くように見ている五条さんに冷たい目線を向けたけれど彼は意地でもここから動こうとはしなかった。この男がこうなったら反抗している方が疲れるのは身をもって知っている。

「君はさ、何も言わないよね」

 諦めて瞳を閉じていれば五条さんの大きな手が頭を撫でる。寝付けない子供を扱うようにゆっくりと往復するその動作がどこか心地よくて再び眠気が押し寄せてきた。繭の中にいるような、安堵に満ちた温もりを、私は知っているのだと思う。感傷的になっている胸内を殺すように眠ることだけに集中した。
 
「そういうところが大嫌いだよ」
 
 微睡に溶けていく声は憎しみを滲ませながらも虚しくどこか切ない。しかし気づけば温もりが身体中を満たしていた。



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