知らぬ男の情緒



 富岡が任務帰りに寄った町では最近人が神隠しにあっているという。鬼の気配を辿ればそれは近隣の山へと繋がった。富岡が山に入ってすぐ見つけたのは何か引き摺られたような地面の跡、墨で刷いたような霧の奥深くへと続いていた。随分と単純な鬼のようでそれほど時間はかからないと予想できた。太陽が眠り、ひんやりとした山の静寂が冷え冷えと肌に迫る頃、先の方で鬼の気配が一気に濃くなった。富岡が身構えた時、前方から子供がひどい顔をしながら現れた。子供は富岡に気づくと一目散にしがみつく。

「助けてぇ!!知らないおねーちゃんが俺を助けようとして捕まってるんだ!喰われちゃう!!!」

 蒼白に引きっつれた顔で泣き喚く子供を後ろに着いてきていた隠に任せて先に下山させた。血の匂いが濃くなり、目線の先の小さな山小屋から臭気は漂っている。聞き手を柄に滑らせて中を覗けばまさに鬼が女の首を絞めて楽しんでいる最中であった。広がる腐敗臭に鼻がもげそうになり、地面に転がっている人の頭に忌々しい感情が沸き立つ。

 ぐっと手に力を入れた富岡に考える時間は必要ない。背後から鬼の頸目掛けて刀を振りかざして切る。さらに流れるように女の首を締め付ける腕を斜めから切り落とした。しかし富岡の思考は一瞬白く塗り潰された。鬼の頭と肉片が地面に落ちていく中、瞳の中に映り込んだ女の姿。宍色の髪に、曇天の空が浮かんだような色の少し吊り上がった彫りの深い瞳。死の間際だというのに眉尻を下げてひどく穏やかに微笑んだ顔つきが確かに記憶の奥深くで生き続けている友と重なってしまった。顎が落ち瞬きすら忘れてしまったが驚愕の震えを眉間の皺から額へと走らせ奪い取るように女を腕の中に抱いた。

「錆兎、」

 違う。そんなことはわかっている。衰弱しきったように頬肉は落ち、体の全ての血が流れてしまったような青白い顔はまるで死顔のようだったが息はしている。

「その女を、俺に……そうすれば、もっと、強く…」

 下から這い出るような哀れな声に富岡は不快げに眉を顰め睨んだ。消えゆく鬼の背には斧が横から叩きつけられるように刺さっている。それは骨を打ち砕くほど深かい。痩せた棒切れのような腕でどこからこんな力が出せたのかと思ったが、それよりも稀血であることに富岡は同情した。先程は気づかなかったが見慣れない洋装をしている、富岡はじっと女を見つめて考え込んでいたが息を吐き出してそのまま小屋から出て行った。それから下山するまで少し時間がかかったが、蝶屋敷に渡った女がどうなったのか富岡は知らない。

***

「富岡さんが助けた女性の方、すぐそこの病室にいらっしゃいますよ」

 一週間後、蝶屋敷を訪れていた富岡に胡蝶は塗り薬と幾つかの瓶を手渡す。思いがけぬ言葉に眉間に皺を寄せたが感情を悟られないように情感のない声で「それがどうした」と薬を受け取りながら言った。

「あら?だってお見舞いにいらしたんでしょう?富岡さんがわざわざ手持ちの薬を切らしたくらいでここに来るなんてありえませんから」
「…そんなんじゃない」

 胡蝶の狡猾な部分が踵に噛み付いた。憎たらしいほどにっこり微笑んだ胡蝶に背を向けすぐに部屋を出て行った。暫く廊下を歩いたが不意にぴたりと足を止めて背を返す。そういえばあの女の首はどうなったか、掠れた声や、衰弱した体は元通りになったのか、何やら思考が押し寄せた。その場で何分か考え込んでいたが胡蝶が指さした病室へとやっと足を進めた。少し、様子が見れればいいと思っていたが病室の扉は開いたままになっていた。6人部屋のようで6つベットが並んでいるが、手前は布団が綺麗に整えられている。光が差し込んだ窓の方へ視線を向ければ特徴的な髪が見えた。金髪の先を赤く染めた同じ柱の煉獄であった。当然、胡蝶は煉獄と鉢合わせると分かっていたのだ。煉獄は窓際のベットの上で横たわっている女の傍に立ってはいるが、女は瞳を閉じたまま動かない。眠ったままだった。

 あの女が泣いて煉獄を呼んでくれと言ったことを富岡は忘れるはずがない。決まりが悪そうな顔で一歩後ろに下がろうとした時、煉獄が富岡の名を呼んだ。初めから気づいていたのだろう。病室の前から動かない富岡に近づいた煉獄は力強く目を見開いた。

「君に礼を言いたかった!ナマエを助けてくれたこと、感謝する。彼女は俺の命の恩人だ。無事で本当に良かった」

 命の、恩人。富岡は心の中で腑に落ちないものを感じながらもその言葉を繰り返す。

「ずっと眠っているのか」
「いや、今朝飲んだ薬のせいで眠っていると胡蝶が言っていた。君の連絡を受けてから俺も急いだのだが遠方にいたためここに来るのが少々時間がかかった。俺もまだナマエと話せていない、彼女が起きるまでここにいるつもりだ」

 「富岡、君も一緒に待つか?」と煉獄が問いかけた。女との記憶が蒸せ返るように浮かぶ。錆兎と同じ目からボロボロと大きな雫が落ちて、鼻先を真っ赤に染めて唇を噛み、それでも止まらない涙を必死に堪える姿が頭に焼き付いている。それをこの男は今更になって駆け付けたのかと腹の底が冷たくなるのを覚え富岡は煉獄から視線を逸らした。

「稀血の中でも特殊だ、気をつけろ」

 そのまま富岡は廊下を歩き出したが後ろから芯のある声が響く。「彼女を二度と危険な目には合わせない。俺が守りきってみせる」と煉獄が誓った声だ。胸の奥にむず痒さを覚えた時には口が動いていた。

「…子供を助けるために鬼に立ち向かった。その女はそれほど弱くない」

 富岡の中で居心地の悪いものが毛糸玉のように感情を絡めていく。あの女の何を知ってるというのか。この憤りは、どこからくるのか。わからないままだ。知らぬほうがいい。


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