私達の痛みにしよう



「え?冨岡さんが?」
「はい、これをナマエさんに渡すように頼まれました」

 庭で子猫に餌やりをしていた時、千寿朗がナマエを縁側から呼んだ。千寿朗から受け取ったのは薄桃色の小袋だ。甘く落ち着きのある優しい香り、藤の香り袋だろう。小袋の色や手触りからして以前無くしてしまったものとは別物のようだった。ナマエはこれを千寿朗に託してすぐに帰ったという冨岡を追いかけるように庭の裏口から外に出た。しかし見渡す道に人影はない。人通りのある通りまで走ってみたが、人が多くそれらしい姿は見当たらない。ナマエは諦めかけて息を吐き出した時、後ろから特有の透き通った声が聞こえた。

「何をしている」

 冨岡だった。秋の風のような精悍な顔つきをこうして街中で見ると一層凛々しく見えた。ナマエは握りしめていた香り袋を冨岡に見せるように手を開く。

「あの、これを頂いたのでお礼を言いたくて…」
「わざわざ追いかけてきたのか。礼には及ばない、俺が勝手に渡しただけだ」
「それでもお礼は言わせてください。ありがとうございます、冨岡さん」

 頭を下げて上げた時には冨岡は先程とはまた違った顔をしていた。眉を少し寄せて、何かを考えるような間を置いた後に冨岡は口を開いた。

「時間はあるか」
「え、はい。大丈夫です」
「なら付き合え」

 早々に背を向けて歩き出した冨岡の後を追ってナマエも歩き出す。自分より大きい背丈に広い背中、煉獄もそうだが冨岡から滲み出る空気は人と違うことを物語っている。背負っているものも違うのだろう。そんな空気に人は圧倒され、また冨岡の端正な顔立ちは人目を集める。少し離れて歩きたくなったが距離を空けると逆に失礼だろう。

 冨岡がナマエを連れてきたのは定食屋だった。そういえばお昼時だったことを思い出した。ナマエはすぐに戻ってこない事に千寿朗が心配しているかもしれないと思ったが冨岡に付き合えと言われてしまったのだから断れない、後で千寿朗には謝ろうと思っている隙に席には食事が運ばれてきた。注文をした覚えはないが冨岡が自分の分も頼んだのだろう。チラリと冨岡の食事に目をやると同じ鮭大根の定食だった。特に話すこともなく冨岡は黙々と食事を取る、それがナマエには珍しく感じた。いつも「うまい!うまい!」と口に物を含みながら声を出す杏寿朗の存在感が大きい、千寿朗とも他愛もない話をしながら食べている。ナマエも冨岡に合わせて何も話さず黙々と食べていたが、ふと冨岡の口元に浮かんでいた小さな笑みを見逃さなかった。

「鮭大根、好きなんですね」
「……何故そう思う」
「内緒」

 悪戯っぽく笑ったナマエに冨岡は顔を顰めていたが、嫌悪感は感じさせなかった。冨岡という男は多くは語らないが、ちゃんと感情表現をする人なのだ。冨岡は好きな鮭大根を自分に食べさせてやりたかったのかもしれないと思うと目の前の男が柄にもなく可愛げに見えた。食事を終えて懐から財布を出そうとしたが「いい」と冨岡の一言で一蹴される。そのあとは何処かに立ち寄るわけでもなく街中を歩いていたが不意にナマエは冨岡の裾を引っ張った。小物が売られている店の前で引き止めた冨岡を置いてナマエは「ちょっと待っていて下さい」と中に入っていったのだ。お礼を言いにきたのに逆に奢られてしまったことが忍びなかったナマエは売られていた小さな御守り袋を購入し、冨岡に渡した。現代のものより丸みがあってこぢんまりした物だが青い生地をベースとしたシンプルなデザインが冨岡らしいと思ったのだ。

「大したものじゃないですけど、香り袋をくれたのと…二度も助けていただいたお礼です。鬼殺隊の人は常に危険だから、それが冨岡さんを守ってくれるといいな」

 冨岡は暫く手の中にある小袋を見つめていたが「ありがとう」と小さく言って懐にそれを仕舞った。いらないと言われるかもしれないと少し思っていたせいかナマエは自然に頬を緩めていた。

「富岡さん、無愛想だけどすごく優しいんですね」
「……別に俺は優しくない」
「わざわざ香り袋をくれたんですよ。優しいですよ」
「それはお前が無くして煉獄に怒られていたからだ」
「…別に無くした事に杏寿朗君は怒ったわけじゃ…」

 確かにあの時の杏寿朗の態度は棘がありらしくなかった。この人はそれを気にしていたのかと思うとやはり優しい人なのだと思う。思えば最初の森でも自分を最後まで見捨てないでいてくれた。口数は少ないしいつも無表情に見えるが、鮭大根を食べていた時のように口元に見えた小さな笑みを見た時、胸がほっこりと温まったような気がした。冨岡の人間臭さがわかったような気がしたからだ。

「とにかく、冨岡さんの気持ちが嬉しかったんです」

 冨岡は呆気にとられたように目を見開いていたが、ふっとその表情が緩んだ。

「……不思議だな。お前が喜ぶならなんでもしてやりたいと思う」

 普段表情を変えないせいか、信じられないほど優しい顔つきにナマエは瞠目した。忘れようと胸の奥に仕舞い込んだ前回の冨岡との記憶が鮮明に甦り、顔に熱が集まっていくのが感じられる。一体どういうつもりで冨岡があんな行動を取ったのか、この発言でさえもナマエは勘違いしそうになり掴みかけていた目の前の男の人格がぼやけていってしまう。

「…お前は、似ている」

 ふと冨岡が呟いた言葉に集まっていた熱が霧散していく。似ているというのはきっと前に話してくれた亡き人の事だろう。それは冨岡にとってとても大事な人であったことは明らかだった。自分にそれを重ねているのだろうと頭の片隅では思っていた。

「髪の色も、目も、笑った顔も、優しさも。お前が笑っていると、俺は……」

 以前の自分を見ているようだった。祖父が死んで、たった一人海に投げ出され、捕まる所もなく、不安と恐怖で肺がいっぱいになったあの頃。ああ、きっとこの人は同じように冷たい場所で溺れている。今もなお、消えないその人を想い足掻き続けているのだと思えば急に胸の奥が痛くなった。地に足がついていないような感覚、居心地が悪い。

「やっぱりこれ、受け取れません。私はその人じゃない、から」

 冨岡の胸に香り袋を押し付けるように渡したくせに、声は随分と細かった気がする。悲しいのか、切ないのか、とにかく冨岡の想いを無下にしている気がしてならなかったのだ。しかし押し付けた手を冨岡が覆い、香り袋を再びナマエの手の中に戻した。その手もまた、祖父に似ている傷だらけの手だった。手を覆った冨岡の指がナマエの手の甲に触れる。

「それは、お前のために用意したんだ。お前は似ているが、違う。あいつは俺より強かったし、香り袋なんて必要ない。それに…流石にあいつに口付けしようとは思わない」
「もしかしてその方、男性ですか?」
「…言ってなかったか?」

 ナマエは盛大な勘違いをしていた事に気づき、冨岡に触れられていた手でバッと顔を覆う。冨岡は何とも決まりが悪そうな顔をしていたが「暗くなる前に送る」と前を歩き出した。鼓動が早くなって変に緊張したが、それは杏寿朗に感じるものとはまた違うものだ。道中はお互いどこか複雑そうな顔をしていたが、「悪かった」と冨岡は先に口を開いた。一体何に対してなのだろうかとナマエは考えていたが冨岡の背に「大丈夫ですよ」と自然に答えていた。あまりにも悲痛が滲んだ空虚な背中がひどく小さく見えた。痛みを抱えていると孤独を感じるものだ。世界から自分だけ切り離されているような感覚になる。

「あの、富岡さん。富岡さんが大切な人を失った痛みは富岡さんしか分からないかもしれないけど…痛みを感じているのは貴方だけじゃない。同じ痛みを持つ人は絶対にいる。こんな私でも大切な人を失った痛みはわかるんです。だから、貴方だけの痛みではなくて、私達の痛みにしよう。そしたら貴方の孤独感は少しは楽になるはずだから」

 冨岡の足が止まると、暫くその場で動かなかった。その背にもう一度問いかけようか迷ったが、冨岡は「とんだお人好しだな」と呟くように言ってから再び歩き出した。心なしか先程よりも冨岡の声色が軽くなった気がする。

(いつか、富岡さんがその人の事…痛みじゃなくて、懐かしさで名前を呼べる日が来るといいな)


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