君の肩で眠る夜



「黒蜜きなこあんみつと、フルーツあんみつ、悩むなぁ、どうしようかしら」

 最近若者に人気だという甘味屋の席に甘露寺とナマエはいた。ナマエがまだ煉獄家にやってきたばかりの頃、煉獄が気を利かせて同姓の甘露寺を紹介したのだ。甘露寺も柱の一人、頻繁に会えるような者ではないがナマエを心配して近くまで来れば煉獄家に顔を出すようにしていた。任務が思った以上に早く終わって非番を貰った甘露寺は「暇があればナマエを外に連れ出してほしい」と煉獄に言われていた事を思い出して実行に移した。

「じゃあ黒蜜きなこあんみつと、フルーツあんみつどっちもください」
「えっ?でもナマエちゃんは三色おはぎがいいって言ってなかった?」
「いいの、私もそっちが食べたくなったから一緒に食べよう」

(か、かっこいい!!)

 ナマエが甘露寺のために注文を変えた事は明らかである。しかし当たり前のように爽やかに微笑んだナマエに甘露寺は心の疼きを覚える。普通の女性にはここまで心ときめくことはないはずだったがナマエは扉を先に開けたり、甘露寺に席を先に座らせたり、甘露寺に媚びている訳ではなく平然とやるのだから尚更だ。ナマエの相槌の打ち方であったり、微笑みであったり女性の甘露寺であっても胸を打つものがる。それは安心感や頼りがいに似たどっしりとした基盤を得ている気がする。

「ナマエちゃん、ここの生活には慣れた?なにか不自由はしてない?」
「大丈夫、普通に生活できるようにしてもらえて申し訳ないくらいだよ。今日連れ出してくれたのもきっと煉獄さんにお願いされたんだよね?ごめんね、お休みの日に」

(煉獄さんが心配しているのも、わかる気がするわ)

 目の前の女が一倍優しい性分なのだと甘露寺にも分かる。それは声色や態度から示されるものだけではなく、行いから見えるものだった。ナマエは人が見落としがちなものに気がつくし、誰かのために行動しようと心がけている。ナマエが申し訳なさそうに眉尻を下げると甘露寺の胸にぐわりと感情が押し寄せた。気づけば「違うの!」と立ち上がっていた。


「煉獄さんに言われたのはきっかけで、私はナマエちゃんとお出かけしたかったの!!最初は緊張したけどそれはナマエちゃんの雰囲気が今まで感じたことのないものだったからで、ナマエちゃんは私の話よく聞いてくれて、お話も楽しくて、センスも良くてお洋服にも詳しくて…一緒に買い物してる時とか、こうしてお茶してるのも…まるで私が普通の女の子になれた気がして…」

 自分は何を言っているのだろうと気づけば甘露寺は語尾を濁らせた。顔に熱が集まっていくのがわかる。店内の客の視線が一点に集中しているのだ。だがどこか悔しかった、唇を噛んだ時、静まり返った空気を割るように「あははっ」とナマエが笑いを溢した。

「私、蜜璃ちゃんのことすごく好き。だって相手の事をすごく見てるでしょう?良いところをたくさん見つけてくれるでしょう?蜜璃ちゃんといると、私は自分を好きになれる。ありがとう」

 ナマエが目尻に笑い皺を作ってあどけなくもふにゃりと笑っている。彼女はこんな笑い方ができるのかと先程までの羞恥を忘れ、釣られて甘露寺も頬を緩めてしまった。可愛らしいというよりは可憐だという言葉の方が似合っていたナマエが無邪気に笑うと幾分か幼く見える。胸にほっこりとした熱を残すような笑顔だった。

(笑った顔、すっごく可愛い!!)

***


「っ…はぁ…っ!」

 夜がナマエに押し寄せ、溺れさせ速やかに奈落へと引き摺り込んでいく。信じがたく逃れ難い染み付いた記憶だ。瞼を閉じればまたそこに闇が浮かんでくるのが容易に分かる。虚無と化した氷のように黒き眼が嘲笑っているのだ。眠りたくなどない。

 暗闇の中、ナマエはのっそりと体を布団から起こす。喉の奥が熱くて、口の中がカラカラに乾いていた。誰も起こさないように忍足で台所へ行き水を飲んでまた静かに戻ろうとした時、何かが動く音がした。先程より目が慣れて何も見えないわけでは無い、余計に視界を閉ざしたくなる。風が戸を揺らす音や、冷気、五感が頼んでも無いのにフル回転し始めた。不意になにかが肩に触れる。「ひっ…!」黒く底光りした目と、あの腕の感覚が押し寄せた。悪寒が背筋を駆け上りその場に蹲って自身の手で体を力一杯抱く。強ばった全身の感覚で何感じられなくなるように。

「ナマエ、俺だ。驚かせてすまない」

 耳元で響いた声に、ナマエは固く閉じていた瞼をゆっくりと上げてみる。濡れた瞳には二日前任務に出たはずの煉獄が映っていた。同じように煉獄は膝を折ってナマエの顔を覗いて背中にそっと触れた。

「今帰ったんだが、君の後ろ姿が見えて…眠れないのか?」
「お、おかえりなさい……喉が渇いて水を貰いに来たんです」
「…そうか。今日はいい月夜だ、あの時みたいに月見でもしないか?」

 疲れているのだから一刻も早く寝たいだろうに。煉獄は答えを待たぬうちに暗闇の中ナマエの手を引いた。自分の手を包むゴツゴツとした大きな手に胸の奥に熱が灯っていくのがわかる。煉獄は縁側にナマエを座らせると自身もその隣に腰掛けた。煉獄の言った通り夜空には丸い月が浮かんでいる。あの時と同じ満月だ。しかし周りの星は眩く無数の光を灯している。この時代の空は現世より何倍も綺麗なのはあの森で最初に知った事だ。そして恐ろしくもあった。無数の星に覆われた自分が、たった一人取り残されたように感じるからだ。不意に自分の隣に置かれた煉獄の手に視線が映る。やはり祖父と同じ傷だらけの手をしていた。先程みたいに手を握ってはくれないだろうかと思う自分がいる。『甘えられたり頼られた方が殿方は喜ぶわ!』と甘露寺が言っていたのを間に受けたのだろうか。どうしてか今は心細くてならない。胸の中に穴が空き、そこから風が通るたびに体が震えるのだ。

「煉獄さん」
「ん?」
「手、握ってもいい?」

 ナマエが下を向いたままだったせいで、煉獄がどんな顔をしていたのか分からなかった。しかし自分の手を覆うように伸びてきた大きな手にナマエの中で穏やかな温もりが広がっていく。

 煉獄がそばに居るのは、頼れるお兄ちゃんが側にいるような感覚だった。父は早くに病死してしまったし、男の兄弟はいない。従兄弟は頼れるというより、頼られることが多かった。祖父が支えてくれたがナマエは自然に自立するようになっていた、そうでなければならなかった。甘えたり頼ったりするのが酷く苦手だと気付いたのは最近だ。しかしそれはきっと周りに迷惑をかける要因になるのだろう。こんな風に簡単に言葉にしてしまえばもっと楽になるのだろうか。この穏やかな温もりに触れていたいと思うのは、孤独からくるのだろうか。

「ナマエ?」

 煉獄の左肩にナマエが寄りかかったので煉獄は心臓の鼓動を早めた。しかし名前を呼んでも反応がない、視線を移してみれば黒く目を縁取った長いまつ毛と筋の通った鼻先が見えた。呼吸する度に肩を上下させるナマエはようやく深い眠りへ身を預けたように見えた。煉獄は覆った小さな手に指を絡めて握る。冷えていたはずがすっかり煉獄の熱で暖かくなっていた。


prevnext



back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -