A fortunate misfortune.
 右腕が折れた。
いきなり衝撃的な告白をしたが、骨折した理由は劇的ではない。
自転車通学の僕は道端に落ちていた石にタイヤを乗りあげて転倒し、落ち方が悪く骨を折ってしまったのだ。
受け身をとればよかったのに、と兄の直介に言われたときは己の状況判断の甘さと運動神経の悪さを嘆いた。
 まあ、とにかく腕の一本が使えなくても学業には差し触りがないだろうと、模範的学生の僕は白い布で腕を吊りながら登校し、放課後には同好会にも顔を出した。
 僕が所属している同好会は『写真同好会』といい、別名『妄想倶楽部』だの『変人同好会』だの好きなように呼ばれている変人たちの巣窟である。
 ガラリと扉を開けると、犬先輩が机に突っ伏していた。
「何しているんですか。新手の遊びですか」
 特に何の心配もせず、会議用の長いテーブルを二つ並べて作業台兼食べ物置き場兼荷物置き場に鞄を投げた。
「おお、弟君か」
 角刈り頭に逞しい筋肉質の肉体をした大男が顔面を紅潮させて、息も絶え絶えに僕に向けて手を上げてみせた。彼は犬というあだ名があり、筋肉と鉄道を専門に撮影している。
「あの犬先輩、顔がすごい赤いんですけど」
「何かなあ、朝から身体が死ぬほど熱くてなあ……おかしいよな、もう夏は終わったのに」
 馬鹿は風邪をひかないというのは嘘だったか。ひどい考えをちらつかせながら、僕はとりあえず犬先輩の額を触ってみた。
「あつっ!」
 僕の悲鳴と同時に、大きな胸を揺らして美女が部屋に入って来た。
「猫先輩、大変ですよ!犬先輩がすごい熱で」
「そうなんです!だから今日はお休みした方がいいって私は言ったのですが……ああ!祐ちゃん、右腕をどうしたのですか!」
 今日一番、心配そうな顔をしてくれた猫先輩に僕は感涙をおさえた。クラスの連中は揃いもそろってつつこうとしたり、ギプスにサインを書くのが夢だったとか言って追いかけたり、誰も本気で心配してはくれなかった。
猫先輩は茶色の巻き髪に派手な色の鞄、派手なネイルをした今時の女子高生なのだが、中身は清楚可憐で心優しい淑女なのである。大きな胸が彼女の特徴なのだが、それは胸にしまっておく。
「いやあ、自転車から落ちてしまいまして」
「自転車って怖いものなんですね」
 ちょっと方向がずれてはいるものの、僕を真剣に心配して猫先輩は白い布でつり下げた腕にそっと手をあててくれた。
アーモンド状の大きな瞳が潤み、じっと僕を見つめてくると俄かに胸が高鳴って来る。
耐えきれなくなって僕は慌てて犬先輩を指差して
「あ、あの、犬先輩をそろそろどうにかしないとマズイかなっと」
「そうでした!犬くん、しっかりしてください!」
 しかし、これだけ鍛え上げた筋肉をもつ男を倒す風邪菌はどれだけ強力なのだろうか。
「まさかインフルエンザじゃないですよね……」
 犬先輩はえへっと笑ってみせたが、まるで可愛くなかった。むしろ腹がたった。
この大男をどうやって運ぼうかと考えていると、カメ先輩が水やりから戻って来た。写真同好会なのに水やりをしているのは、カメ先輩が植物、特に花を専門に撮影しているからである。
日本人離れしたギリシャ彫刻のように整った顔立ちに淡い栗毛が揺れる、同好会一の美青年がカメ先輩だ。彼は同性から見ても美しいと素直に思える容姿なのだが、花を自分の恋人といって憚らない。それでもカメ先輩を慕う女子生徒が多いというのだから驚きだ。
「あれ?腕をどうしたんだい?家庭内トラブルかい」
「恐ろしいことをサラッと言わないでください!自転車から落ちたんです」
「それだって大きい声で言える話しじゃないでしょ。ドジね」
 毒舌と共に現れたのは長い黄金色の髪を二つに結い、雪のように白い肌、桜の花を重ねたような桃色の唇の美少女だった。
「サン、少しは僕に同情する気はないのか」
「ないわね」
 ばっさりと一刀両断されたが、いつものことなので僕は小さくため息をつくだけにした。言い返しても口ではサンには勝てない。
サンは飛び級で高校入学したので同学年とはいえ年下なのだが、頭脳の差は如何ともしがたく僕は口でサンに勝った試しがない。
「ええと、カメくん。犬くんを何とか病院へ連れて行きたいのですが力を貸してもらえませんか?」
「もちろん」
 紳士然とした態度でカメ先輩は犬先輩に肩を貸した。僕の力も必要かと思ったのだが、片腕が使えないのではお荷物だと遅まきながら気が付いた。
それにカメ先輩は筋肉が無駄についている重そうな犬先輩の身体を抱えているのに平然としているではないか。
「もしかしてカメ先輩って力持ちなんじゃ?」
「園芸は力が要るからね。肥料運びとか土を掘り起こしたりするしね」
 涼しい顔をしてカメ先輩は答えると、犬先輩を引きずるようにして退出していった。そのあとを三人分の鞄をもって猫先輩が追いかけようとしたが、出口で立ち止まると鞄の中から箱を取り出してサンへ渡した。
「これ、本当は今日の活動中にみんなで食べようと思っていたのですが無理になってしまったので……。サンちゃんと祐ちゃんの二人で食べてくれると嬉しいです」
 頬を染めて言われたのでは犬食いをするはめになっても食べようと思ってしまうではないか。巨乳の美女は甘酸っぱい感情を残して去っていった。
ピンクの紙箱に入っていたのは、ふわふわのシフォンケーキだった。
「おお、美味しそう!食べようぜ、サン」
「意地汚いわよ、カメラ」
 僕はカメラという何とも安直なあだ名を与えられている。ちなみに専門は。
シフォンケーキを切り分けるサンはいつもより、少し大人びて見える。
「うう、カメラを構えることが出来れば。この瞬間のサンを撮るのに」
 サンと初めて出会った瞬間から僕は彼女を撮影し続けている。専門はサンということになる。
「あきらめなさい。その腕じゃコンパクトカメラでも構えるのは不可能よ」
 机の上には使い捨てのコンパクトカメラが積んである。何故、そんな時代遅れのものが必要かといえば逃げる時に重いカメラが邪魔になる場合があるのと、デジカメのデータを消して相手を油断させ、使い捨てカメラの方を守るためなのだそうだ。
いかに怪しげな活動をしているのかが分かる理由である。
「いや待てよ、こうやって片手でも」
 必死に無事な左腕を動かして、僕は使い捨てカメラでサンを撮影した。
「ちょっと、眩しいじゃない!」
「その目がつり上がった顔も激写!」
「カメラ!あんたからはカメラを没収よ」
 サンは怒りながらも切り分けたケーキを僕の方へ持ってきてくれた。
「ありがとう、サン」
「ふん」
 金髪の美少女は鼻を鳴らして、部屋の上座にわざわざ座ってケーキを食べ始める。ただケーキを食しているだけでも絵になるのがサンのすごい所だ。
さて、僕もありがたくケーキをいただこうと……ちなみに僕は右利きである。
「た、食べにくいっ」
「あんた昼ごはんはどうしたわけ?」
「片手で食べられる調理パンを食べた」
 あとはクラスメイトたちに面白半分に口につっこまれた、各家庭のおかずたち。
「う、これはなかなか難易度が高い……、フォークが刺さらないし!」
 右腕が使えないのをこれほど残念に感じた瞬間はない。猫先輩お手製のケーキを食べられないなんて!
「サン、何とかしてくれ……」
「はあ?どうするのよ」
「ううん、そこは何とか」
「馬鹿じゃない」
 確かに解決方法が浮かばない僕は馬鹿だろう。こうなったら犬食いするしかない、と覚悟を決めた瞬間、僕の目の前からサンがケーキを引っ込めた。
「あ、サン!それはひど」
「ほら、食べたいんでしょ!」
 僕の言葉を遮って、サンがフォークに刺さったケーキを差し出してくれた。
「サン……」
「いいから早く食べなさいよ!」
 耳まで赤い彼女を撮影出来ないのが本当に残念で仕方ない。
僕はケーキを口に頬張った。
「うん、甘くておいしい」
「そう、良かったわね」
 赤い顔したままのサンをもう少し見ていたかったので
「サン、もう一回お願い」
「甘えないでよね!いい、今回だけよ。次に骨折したときは手を貸さないんだからね」
 文句を言いながらもサンは僕にケーキを食べさせてくれた。ケーキは甘くて、ひどく胸につまるような感じがした。
間近に見えたサンの睫毛が長くて、それに今更のように気が付いたせいかもしれない。



 後日、写真同好会のメンバーは全員インフルエンザに倒れた。
僕はサンにケーキを食べさせてもらった甘美な思い出に浸りながら高熱にうなされたのだった。




              〈了〉





『幸運な不運』


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