かはひらこ
 窓辺に体をもたれさせ、物憂げにため息をつく美青年の姿は、とても絵になる。
煎餅をかじりながら、僕はカメ先輩を見つめた。
 ここは、写真同好会・別名妄想倶楽部という団体で、怪しげな写真ばかりを専門にしている変人たちの巣である。僕は写真に興味があったわけではなかったのだが、飛び級で高校に入学した天才少女・サンがこの同好会の会長を務めると知った瞬間から、退会する意志を無くした。
 サンは金髪が眩しい美少女で、性格はきついが、その美しさで全てが許される。僕はすっかり被写体としての彼女に夢中になり、毎日撮っている。誤解されそうだが、決して恋ではない。
 自分の話が長くなってしまった。今、考えるべきなのはカメ先輩だ。
 カメ先輩は植物を専門に撮影をしている。整った顔立ちに淡い栗毛の髪、白い肌、スラリとした長身の彼は女子に絶大な人気がある。
 しかし、カメ先輩は自分の全ての愛情を植物に捧げているので、人間とは付き合わない。カメ先輩曰く『花と付き合っている』そうだ。いつも静かに花を愛でているカメ先輩が、最近は窓辺で黄昏てばかりなのだ。気になるのだが、僕は後輩だし、一緒に過ごした期間も三ヶ月と短い。
 他の先輩に相談してみようかとも思ったのだが、『犬先輩』は筋肉と鉄道にしか興味のない人だし、猫先輩は比較的まともな人ではあるのだが、彼女はどこか掴みづらい人で何を考えているのか分からない。
 サンは問題外だ。唯我独尊天上天下な彼女の前では、カメ先輩の悩みなどごみのようなものだろう。
 やはり僕しかいないのか。
 相変わらず、変人しかいない妄想倶楽部にため息をつきつつ、僕はカメ先輩の横に並んでみた。
 窓からは一面の花畑が見える。旧校舎を根城にしている『花を愛してやまない会』の連中が学校から貸してもらった土地に花壇を作っているのだ。
 何故、カメ先輩がそちらの同好会に入らなかったのかといえば、同好会の女子達でのカメ先輩争奪戦の激しさに嫌気がさし、またカメ先輩は花の一瞬の美しさを写真に収めたいという気持ちがあったから写真同好会に入会したのだそうだ。
「カメ先輩、撮影しに行かないんですか?」
 物憂げな表情を僕にチラリと向けて、カメ先輩はため息をつく。
「……蝶」
「は?チョウ?」
 確かに花畑の上では、たくさんの蝶が舞っている。
「あ、もしかして蝶が苦手なんですか」
「うん、苦手だねえ。彼らは直情過ぎる」
 少し沈黙した。蝶とは虫ではなく、人の名前のことだったのか?
 カメ先輩は手を伸ばした。
「蝶は花の上に舞い降りる。僕には、その光景が恋人同士の優しい口づけに見えるんだ」
 普通ならば気持ち悪いと思う発言なのだが、カメ先輩のように大昔の詩人のような雰囲気をまとった美青年が言うと、とても深い言葉に聞こえる。
「僕はシロチョウ科の蝶が好きだな。中型の蝶で、成虫の羽は突起が少なくて、白や黄色が多いんだ。幻想的な色合いだよね。まあ、つまりはモンシロチョウやスジグロシロチョウ、キチョウ、モンキチョウのことなのだけど」
 全くついていけなかったが、カメ先輩が蝶について詳しいことだけは辛うじて分かった。
「彼らは卵、幼虫、蛹、成虫という完全変態を行って、空を舞う蝶になる。謂わば、それが生まれてくる道」
 細くて長いカメ先輩の指が花畑を飛ぶ蝶を差す。
「彼らは甘い、甘い蜜を求めてたくさんの花の中から一輪選んで降り立つ。そして花と見つめ合う。理屈は分からないけれどね、僕には蝶が花のもとへ帰ってきたように思えるんだよ」
「帰って、ですか?」
 僕は意味がよく分からず、首を傾げた。カメ先輩が微かに口元を上げる。
「おかしな話だけれどね。蝶は覚えている、生まれてきた道を通って、花が待つ帰り道を飛ぶんだ。だから、蝶は毎年孵化し、花は毎年開花する。帰り道を示す香りをふりまいて……」
 最後の言葉は消えるような小声だった。
 カメ先輩の横顔は切なそうで、今にも泣き出しそうにも見える。
 ふと、僕の中で閃くものがあった。もしかしてカメ先輩は、とても苦しい片思いをしているのではないだろうか。
 今、先輩が話した内容は、まるで花と蝶の悲恋物語だ。毎年出会っては分かれ行く、けれど毎年自分の元へまたたどり着いてくれるように香りを醸し出す花、毎年必死に生まれようとする蝶。
「帰り道があるのはいいね。行ったばかりじゃ悲しいから」
「あの、僕はよく分からないですけど……カメ先輩の帰り道もきっと見つかると思いますよ」
 はっとした表情になって、カメ先輩は驚くほど澄んだ瞳で僕を見た。しばらく呆然としていたが、ふっと微笑んだ。
「……祐介くんは鋭いなあ。何で分かってしまったんだろう」
 照れくさそうにカメ先輩は頭をかいた。彼がこんな風に自分の感情を表に出すことは珍しい。普段はみんなの意見を笑いながら聞いたり、静かに微笑んだりしているだけで、怒ったり困ったりしている顔は見たことがない。
「僕はね、ひとつの恋に行ったままで、帰り道が分からなくなってしまったんだ。また他の誰かに出逢うために生まれ変わりたいのに、ね」
「別に生まれ変わらなくてもいいじゃないですか。今、帰り道が分からなくなって立ち尽くしているカメ先輩を引き戻してくれるような恋を、彼女と出逢えばいいんですよ」
 僕は思ったままを正直に話した。面倒な理屈を捏ねるより、行動してしまった方が早いに決まっている。
「ふうん」
 カメ先輩は楽しげに何度も頷いて、やっと満面の笑顔になった。
 「僕はね、年上の女性に恋をしたんだけど彼女は別の男性と結婚していたんだよ。それきり僕の中で新しい蝶は生まれてこなかったんだけど、祐介くんの言葉を聞いたら勇気が湧いてきたよ」
 さらさらと美しい栗毛が風になびいている。これだけの美青年を振る女性がいるとは信じられない。
「帰り道はきっとあるさ」
 自分に言い聞かせるようにして、カメ先輩はカメラを握った。
「久しぶりに恋人に会ってくるよ」
 魅力的な笑みを浮かべて、カメ先輩は花壇へと向かっていく。当分の恋人は花だろうが、いつかカメ先輩も、ただひとつの香りを探し当ててその上へと舞い降りるのだろう。きっとそれは美しい光景に違いない。


 いつの間にか、サンが後ろにいた。長い黄金色の髪、雪のように白い肌、澄んだ深緑色の瞳、桃のようにつややかな唇。絶句してしまうほどに、今日も輝くように美しい。
 ドキリとした瞬間には、パチリとシャッターを押していた。写真を撮ってもサンは怒らないが、同好会以外の人間が撮ろうとすると動物並みの反射神経で拒絶する。
「あんた、カメが失恋した女性知っているの」
「え?」
「あいつ、初恋が園芸好きのおばさんだったのよ」



 もう一度言おう。
 ここは写真同好会。別名『妄想倶楽部』。
 変人どもの巣である。




<了>


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