取調室(残酷描写含む)
にちゃ、にちゃ、と湿った音を立てながら男が淡々と話をしている。
腕をもいでから、足をもいだ。それから胴体をどう処理するか悩んだ。ドラマのように、簡単にトランクに収まらないから焦ってしまった。
「それで?」
吐き気を押さえながら、保坂は続きを促す。
刑事になってから十数年経つが、犯人が死体を処理していく様子を克明に語られるのは嫌なものだ。
生命を失った人間の体に対して、畏敬の念をろくに抱かず、ただの物体としか捉えていない無神経さが、保坂の精神を逆なでし、根源的な恐怖を与えてくる。
「それから、胴体をバラしました。
もうトランクに入らないなら切るしかないって思って。腹部が一番切断しやすいんじゃないかと思って、いや、医学の知識はないから完全に俺の勘なんですが。
でもほら、お腹って柔らかいじゃないですか。腰は骨がもう分かるし、お腹なら力さえあれば、ねえ」
言い訳がましい話は、どうだっていい。
医学の知識があろうがなかろうが、目の前にある胴体を切断しようと包丁を振り上げた事実には変わりないのだから。
保坂は吐き気を催しながら、男が女性の死体を切り刻んでいく様が眼前に浮かぶような感覚がした。
まな板に乗せられた魚のように、肌の白い女がフローリングの床に横たわっている。
目は閉じられ、長い睫毛が肌に陰影を作りだしていた。女の横に膝をついて、家の中で一番大ぶりな包丁を握りしめる。
額から汗が落ちていく。背中がびっしょり濡れている。
炎天下の下にいるよりも遥かに汗をかいているのが、床に落ちた水滴から分かった。
天井の蛍光灯がチカチカと点滅している。
「でね、私は女の手を握り締めたわけですよ。細くて長い、まるで映画女優みたいな手で、造り物みたいなんです。
これが先ほどまで生命を宿していたなんて信じられませんでした」
男の話が、少しずつ保坂の体内に染み込んでいく。
気がつけば、男の供述したように保坂が汗をかいていた。まるで、目の前に女の死体があり、これから彼が解体するみたいに。
また、にちゃ、にちゃ、と嫌な音がする。
口の中で何か噛んでいるのだろうか。男はやたらと口から音を鳴らしている。
「髪の長い女は厄介ですね。黒い髪が手に絡みつくんですよ。
髪の毛と肉体は、別の生き物かと本気で考えました。
やたらと指にくっついて邪魔して、ああ、私が汗をかいていたせいかもあるかもしれませんね」
力をこめて、女の肩に包丁を喰い込ませる。ぐちゃり、と押しつぶすようにして肉が切れた。
さらに力を込めようと体を傾かせると、血液が諸に顔にかかった。
血の噴水を不意打ちで喰らってしまい、否応なしに女の血を大量に飲んでしまう。
女の生命の名残が、喉から体内に入り込んでくる。男は天を仰ぎ、音を鳴らして飲み込んだ。
顔をぬぐって、さらに包丁に力を入れた。のんびりしている時間はない。
骨が当たって包丁がなかなか下へ進まなくなる。
苛立ちを感じて乱暴に腕を引きちぎろうと、切断部分に指を突っ込む。
「肉が生温かくてね、おかしな表現で申し訳ないんですがね。
何だか女の胎内にいるみたいな気持ちになりました。きっと血を頭からかぶって頭がどうかしたんでしょう」
切断面から複雑に重なり合う筋肉や脂肪が見える。
これらが、このグロテスクなものが、美しい女の正体なのだ。
吐きたいのをこらえて、一気に腕を引きちぎる。
女を忘れるために殺したのだから、確かにひとつずつ消さなくてはならない。記憶と共に女の肉体も忘れるのだ。
「一番時間がかかったのは首の切断です。首を落とすために屈みこんだんですが、今にも女の眼が開くんじゃないかって冷や冷やしました。
もし、女と眼が合ったら私は、正気ではいられなかったでしょうね」
額の汗を拭いながら首を切断した。ごろん、と音を立てて女の頭が転がった。
もう命があったときの女の表情を思い出せないぐらい、女の体はただの物体になっていた。
腕と足をもがれ、首まで無くなった女の体は未完成の人形のようだった。
これから部品がついて完成するのではないかと思うぐらい滑らかな腹部が、蛍光灯の光に反射して白く光っている。
指を、つうっ、と腹部に滑らせる。生きている間には絶対に為し得なかった行為に少なからず興奮を覚えた。
にちゃ、にちゃ。
「あのまま、永遠に残せておけたらって思いましたよ。
柔らかくてすべすべしていて、まだ生温かくて、男なら誰だって欲しくなる一品でした。あの女の体は芸術品ですよ」
保坂は顔をしかめる。
どんなに美しかろうとも死体は死体だ。まるで商品のような言い方をする男の嫌らしさが、たまらなく汚らわしくて耐えきれず舌打ちをした。
「死体の処理は初めてじゃなかったんですが、今回は手こずりました。
彼女のために他の人間でたくさん練習したのに、いざ本番となると緊張して上手にやれませんでしたよ」
トランクにつめるために、腹部を切断しようと包丁を振りかざしたが、しばらく一時停止されているみたいに動けなくなってしまった。
こんなに滑らかで気持ちの良い肉体を切り刻んで台無しにするのは惜しい。
死体を完璧に処理しなくてはならないのは分かっていたが、本能が女をこのままにしておきたいと喚きたてる。
散々、悩んだ挙句、男は女の腹部を残して他の部品は全てトランクにつめ込んだ。
腹部だけは青いビニールシートに包んで、無理やり冷凍庫へ押し込む。
腐るのを少しでも遅らせて、女の体の感触を楽しみたくなったのだ。
もはや、殺害の目的である彼女の忘却はどうでもよくなっていた。ただ快楽だけが脳みそを支配している。
にちゃ、にちゃ。
不愉快な音が部屋に溢れていく。
「あとは全部、ご存じでしょう。あなたが私を見つけた」
やや芝居がかった男の台詞に保坂は眉を上げる。
人を殺しておいて、このふてぶてしさは何なのだ、保坂は怒鳴りつけたい衝動に駆られて立ち上がろうとしたが、足首と手首に痛みを感じて座り込んだ。
にちゃ、にちゃ、とやかましい音が頭に響く。
殴るどころか、立ち上がることすら出来ないほど保坂は拘束されていた。
「何だ?俺は一体……」
周囲を見渡すと見慣れた取調室から、囚人の独房室に様変わりしている。
保坂は拘束具を着せられて床に転がっていた。もがいて拘束を解こうとするが虚しい抵抗に終わった。
にちゃ、にちゃ。にちゃ、にちゃ。
「出してくれ!俺は何もしてないだろう!」
半狂乱になって叫ぶが、何の音も返ってこない。保坂の額から汗が流れ落ちる。
一体何が起こったのか理解できない。ほんの一瞬前まで、刑事として取り調べしていたのに、今は囚人として独房に閉じ込められている。
「俺が何をしたっていうんだ!」
「嫌ですねえ、一緒に殺したじゃないですか。彼女を殺すために、何人も実験台にして殺しをしたでしょう」
先ほどまで取り調べしていた犯人の声が耳元で聞こえて、保坂は体をびくりと痙攣させた。
「私はあんた、あんたは私ですよ。女房が逃げ出そうとしているのが分かっていたから、殺そうと決めたんじゃあないですか」
にちゃにちゃと不愉快な音が耳元でする。
ゆっくりと視線を横へずらすと、口が耳元まで裂けた笑顔を浮かべた、自分の顔が見えた。
にちゃ、にちゃ、にちゃ、にちゃ、にちゃ。
意識が遠のいていく中で、保坂は妻に包丁を突き立てた感触を思い出していた。
肉が裂けていく音が聞こえる。
にちゃ、にちゃ、にちゃ、にちゃ、にちゃ。にちゃ、にちゃ、にちゃ、にちゃ、にちゃ……
〈了〉