明日

 明日、泣けたならいいのにな。
雨垂れを見ながら、君は笑う。頬の青痣が痛々しくて、つい視線がいってしまう。
どうしたの、なんてくだらない質問はしない。
誰にどんな経緯でやられたのかは知らないが、誰かに傷つけられたから頬に痣があるに決まっているのだから。
「今は泣けないんだ」
 ざあざあ降りの雨が排水溝に呑まれていく。
「だって、誰も泣かないだもん。それなのに、僕が泣いたらおかしいでしょ」
 そうね、なんて答えられるはずもなく私は黙って足元の水たまりを見つめる。
全ての悲しみに他人面して降り続き、渦を巻いている雨水が苦しいぐらい私たちを取り囲んでいた。
「みんな、平気だよって顔して何でもないよって笑うから。僕はみんなに合わせて笑うしかないんだ。僕が泣いて、全然平気じゃないよ、みんなは辛いはずだろうって叫んだら、みんなの我慢を無視することになる。そんな酷い真似できないよ」
 また君は笑う。
駄目よ、そんなに笑っては。感情を殺し続けちゃいけない。
でも私は何も言えずに唇を噛んでいる。
「今日は駄目でも、明日は泣けるかもしれない」
 雨はまだ止まない。君の体を溶かしてしまいそうなほどに雨滴がしたたり、景色を滲ませていく。
そう、明日は今日とは違う日になる。君が涙をこらえてなくていい日に、きっとなる。
「傷ってさあ、誰かにつけられたと思いこむから痛いんだ。僕の傷は誰かにつけられたんじゃなくて、僕がどうしようもなく弱いから傷が出来たんだ。誰の助けにもなれないぐらい弱いから傷が生まれるんだ」
 強くなりたいよ、大切な人たちを守りたいよ、君はうつむいた。涙はこぼれないけれど、胸がしめつけられるほど悲しい気持ちが伝わってくる。
「ねえ、非力なのは罪かな」
 私は顔をあげて君を正面から見つめる。身長は伸びたけれど、青白い顔をした持病持ちの君は決して強くはないだろう。
しかし、それはあくまでも外見だけのことだ。
君の内部から溢れる未来ある若さと、強靭な意志は強さだ。君の望む強さなのだ。
今はまだ怯えて自分の強さを認めることはできないけれど、いつかきっと君は自分の道を強さと優しさを道連れに歩いていく。
 私は君の手を、そっと握った。
「明日、私と一緒に泣きましょう。ひとりの涙は重いけれど、ふたりの涙は辛い感情を浄化するわ」
 今、世界を押し流そうとする荒々しい雨はきっと一人きりだから声を上げて泣いているに違いない。
誰かが、雨に手を差し出したのなら雨は涙の意味を知るだろう。
 涙は誰かのために流すもので、自分のために流す涙はあまりにも苦く辛く虚しいものだ。
自分のための涙も、ひとりで流す涙もあってはいけない。
喜び以外の涙は誰かと共有して、初めてあたたかさを持つ。
「明日なら……泣いていいのかな」
 君が憂いを帯びた瞳で私の方に顔を向けた。
ほら、本当の君は笑ってなんかいたくなかった。うんざりとした顔で、何もかもに絶望した瞳をしていたいのに。
無理なんかしなくていい。この軒下は私と君だけの世界なのだから、誰の迷惑にもならない。
「いいの。涙は流すためにあるのだから。君の涙を私が見届ける、だから君は私の涙を見届けて。行方を見てもらえない涙はどこへも行けずにさ迷うことになるから。そうしたら、いつまでも悲しいままだもの」
 雨水で濡れたスニーカーの先で、水たまりを蹴って君は笑った。
驚くほど朗らかな笑顔だった。
「僕は明日、泣いていいんだ。嬉しいな、僕はひとりで涙を我慢しなくてすむんだ」
 明日、何もかもは変えられなくてもほんの一瞬でも君が自分を解放するのを、私は手伝える。
私はそれが嬉しい。
 きっと明日は晴れるだろう。
晴れ渡った空の下で、痣のある君と陰気な私が声を上げて泣いている。
悲しみを吹き飛ばすように、この世に生を受けた時と同じように声を上げるのだ。

 生まれた瞬間も私たちは泣いていた。悲しみと死が待ち受ける世界に生み落とされた怯えから声を上げて涙を流した。

 ああ、それでも君の笑顔はあまりにも優しい。
生まれた意味を知るのは誰かの手を握ったとき、誰かの笑顔を見たときだ。
 いま、明日泣く君が笑っている。


                 〈了〉








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