青い決意
信じられない未来なら無理に信じなくていい。
夏の厳しい日差しを首筋にうけながら彼は呟いた。
「無理に信じたって嘘になるじゃあないか」
彼の言うとおりだと僕も思う。最初から疑っている事柄に対して、無茶苦茶に理屈をつけて信じようとするのは苦痛以外の何物でもない。
分かっているのに、それでも僕は。
「行かなくてはいけないと親に言われたのだよ。僕だって勿論信じているわけではないさ」
僕らのような子どもには親の言うことが全てだ。逆らえば餓えて死ぬしかない。
「行くのかい」
「行くさ」
学生服の襟を窮屈そうに彼は摘んだ。
「君の行くところは遠いらしいね」
「ああ、遠いらしい」
多くは語りたくなかった。話せば話すほど、自分が慣れ親しんだ今の環境から離れていく気がして恐い。僕は臆病者だ。
彼は雲ひとつない空を見上げた。
「空も遠いね」
何を言いたいのか掴み損ねて僕は彼を振り返った。彼はいつもの通り無表情で僕を見ていた。瞳には、悲しみとも怒りともつかぬ色が浮かんでいる。
「やめたまえ、後悔するだけだぞ」
その落ち着き払った言葉に僕は心臓を鷲掴みにされたように凍りつく。冷静な彼の言葉は、迷っている僕の決断をさらに鈍らせた。
「僕らはまだ若やいじゃあないか」
泣きたいような気持ちになって僕はうつむく。
そうだ、僕はまだ若い。淡い恋しか知らず、教室で得る程度の知識しか持たず、社会とうものを想像でしか知りえない。何よりも青々しい強さを秘めた体は、まだ成長しきっていない。
「僕らはこれからなのだ」
氷のように胸を貫く言葉とは裏腹に、彼の口調には次第に熱がこもってくる。
学生服が太陽の光を吸い込んで、鼻につく臭いを漂わせている。
信じたくない未来が足音を消して自分の後ろに近づいている気配を感じて、目の前にいる彼を縋るように見つめた。
「君は行くなよ、遠くに。僕だけで十分だ」
彼の目に落胆と悲哀の色が浮かぶ。
「そうさ、僕はこんな未来など御免蒙りたいよ。だけれども、僕は男だ。行かなくてはならないのだよ」
「どうしても行くのかい」
「どうしてもさ」
僕は泣きたい気持ちを蹴りつけるようにして笑ってみた。
彼は笑みを浮かべることはせず、ただ黙って道の先に浮かぶ陽炎に視線を固定している。
「志願していくのは、君の希望かい」
親の顔が頭の中を過ぎったが、僕は縦に頷く。
「ねえ、約束してくれないかい。僕の代わりにこれを」
僕は懐から一冊の帳面を取り出して、彼に渡した。
「僕はね、もし平和な時代に生まれたら作家になるよ」
そう呟いて僕は彼に背を向けた。生まれながらに屈強な肉体を恨めしく思う気持ちもあったが、彼の前では言えなかった。
彼は生まれつき片足を引きずっていた。
「自分で夢を叶えたまえ!僕に押し付けるなど卑怯だぞ!」
彼の怒鳴り声が追いかけてきたが、僕は振り返らなかった。初めて聞いた彼の大声は震えていた。
友よ、許してくれるか。
遠い空の下に僕は行く。
君に勝手に夢想した未来を置いていく僕を許してくれるか。
信じている未来はひとつだけ。
この青い空の下に笑顔で暮らす我が国の人々の姿だ。
だから僕は行く。
<了>