新↑ 

おつかれさま。
 廊下に寮生の名前が書かれた紙が張り出されている。
紙の前で、寮生が悲喜こもごもの悲鳴を上げていた。
大学から戻ってきたばかりの、僕と三月は顔を見合わせた。
「何だろ?」
「さあ、部屋の抜き打ち検査があったとか?」
 寮長の気まぐれ抜き打ち部屋検査は寮生たちから恐れられている。もしも、実家からの仕送りが来たばかりだった場合、いくらか物資を持っていかれるからだ。
「僕は仕送りまだだから、余裕だけどな」
「へっへぇ、五月は甘いなあ。まだまだ寮生活の恐ろしさを知らないねえ」
 いつの間にか背後に立っていた正月が勝ち誇った顔で、にやにやとしている。
「どういうことだよ」
 むっとして、僕は急いで紙を見た。そこには寮長のみみずのような字で『大掃除割り当て表』と書かれている。
「なっ?僕はトイレかよ!何であんなくっさい場所の割り当てなんかに……」
「これは成績順に楽な場所を割り当てられてるんや。五月、お前試験で点数悪かったんやろ」
 ドケチで有名な霜月が、これまたにやついた顔で話しかけてきた。
「お前はどうなんだよ」
「僕は秀才やからねえ。まあ、見てみ」
 得意満面の笑みの先には、霜月が玄関掃除に割り当てられているのが見えた。
正月もちゃっかり良い点数を取っていたようで同じ場所に名前がある。
「いいなあ、玄関かあ。僕はどこだろう」
 野太い声でのんびりと三月が呟くと、正月が悲しげに首を振った。
「我が寮のお約束でさあ、五月と三月はコンビって決まっているわけよ」
 三月は便所掃除だった。
「あれ、でも三月は点数良かったよな」
 僕が不思議に思って首を傾げると、寮長が深く頷きながら言った。
「中ってところだったんが、五月と三月はコンビという寮則があるからな」
『ねぇよ!』と突っ込みたかったが、文句を言ってこれ以上面倒な場所の掃除に行きたくなかったので、僕は黙った。
「おい、三月。便所掃除なんて嫌だろ。お前は点数が良かったんだから、抗議しろよ」
 僕がつつくと、五月は笑って首を振る。
「いいよ、別に嫌じゃないしさ。みんなで掃除するのは楽しそうだしね」
「みんな、ねえ」
 便所掃除割り当て表には、僕と五月の他に不運なことで有名な神無月の名前があった。
ちなみに正月は食堂掃除だった。本人は楽だと喜んでいたが、一緒の割り当てが寮の伝説である主先輩だと分かると沈黙した。
嘘のつけない主先輩はまじめで、掃除に絶対手抜きをしない。僕には、今から疲れ切った正月の顔が想像できて、少しだけ愉快な気持ちになった。
 大掃除当日。
朝の7時から正月は主先輩に連行されていった。その物音を聞きながら、寮生たちは自分たちの幸運をしみじみ噛みしめた。
 とはいっても、便所掃除が楽しいわけではない。
「ああ、くっせぇ。こんな思いするならまじめに勉強すれば良かったぜ」
 便所ブラシで便器をこすりながらボヤきながら、僕は一生懸命床を磨く三月を見た。
腕の筋肉に血管が浮かび上がるほど力を込めてブラシをかけている。
「三月は熱心だな。成績はまあまあ良かったんだろ?割に合わねえとか思わないのかよ
「うぅん、俺は寮生みんなで掃除しているってのが面白いから別に嫌じゃないな」
「面白い?」
「だってこんな体験、今しか出来ないだろ。卒業して社会に出たら、こんな愉快な掃除は出来ないって」
「愉快か……」
 僕は窓から、玄関にいる寮生たちを見た。
箒でごみを掃きながら、お互いの邪魔をしあって笑っている。食堂からは主先輩と後輩たちの掛け声が聞こえてくる。他の便所からは、くさい!という絶叫が響いてくる。
どんな掃除をしているのか、地響きみたいな音がするし、どこかでバケツが転がる音がする。
こんな騒がしい大掃除の光景は、滅多に見られるものではないだろう。
「確かに愉快かもな」
 初めて寮に来た時は、こんなに騒がしい寮生活に馴染めるか心配だったが、今ではこの生活を当たり前に思っている自分がいる。
男くさくて、遠慮がなくて、好き勝手やりながらも互いを兄弟のように感じていて。
「よし、さっさと終わらせるか!」
「おお、五月に火がついた!」
 三月が楽しそうな声を上げてブラシを振り上げる。
 文句を言いつつ、こんな騒々しいBGMを聞きながら便所掃除をするなんてきっともう体験することはないだろう。
その一瞬の体験が、僕の中の寂しさを刺激した。
僕は初めて、この寮からいつか自分が卒業する日が来るのだということを実感した。
ここに来た時の不安を忘れるぐらい、僕は寮に馴染んでいたのだ。
 僕の気持ちを知ってか知らずか、三月は『蛍の光』を口ずさんでいる。
「何で『蛍の光』なんだよ」
「ん?だって一年の終わりだから、終わりらしい歌にしようと思ってさ」
「便所で辛気臭い歌を歌うなよ」
 僕はロックバンドの歌を口ずさみながら便器を磨き始める。それに習って、やや調子はずれの三月の歌声が重なった。
音痴だな、僕は笑った。
 神に見放されたかの如くツイていない神無月は、熱を出して掃除を欠席していた。
幸運というよりは、こんなうるさい中寝ていなければならないのは苦痛だろう。
 掃除が終わり、全員でそばを食べる事になった頃に現れた神無月は青い顔をしていた。
「ゴキブリが僕の枕もとを走っていったんだ……」
 今年最後も、やはり不運だったようだ。
 僕は腰を伸ばしながら三月を見た。
「完璧な掃除をしたよな、俺たち」
「力入れたからね!他の場所に負けない自信があるなあ」
後ろからいきなり肩を抱かれて、僕と三月は飛び上がった。
「うむ!綺麗な便所だったぞ!感動した!」
 寮長が満面の笑みで僕らを見る。
 急に照れくさくなって、僕は鼻の頭を掻いた。
「来年はいい成績を取ってのし上がってくるんだぞ!」
「のし上がるって……そういうシステムなんスか」
 呆れながらも、来年はもっといい場所を狙おうと僕は決めた。
 そばを啜りながら、寮生たちは大声で今日の成果を互いに自慢し合う。
もちろん、僕と三月も大いに自慢する。汚すなよ、と警告もしたが。
 青い顔していた神無月も、そばを食べたら回復したらしく笑い話をしている。
主先輩にしごかれた正月は体力を消耗したのだろう、一生懸命そばを食べてエネルギー補給に必死だ。
霜月は小遣い帳なる寮生への取り立て表を見つめてご満悦である。一体、どれぐらい取り立てたのかは想像したくない。
 寮長はすっかりご機嫌で笑いっぱなしで、主先輩も無事に一年が終わることに安堵しているのか、表情が柔らかい。
朝から掃除をして、皆疲れているはずなのに夕食後は飲み会を開催することになった。
多分、明日は寮中が静まり返るぐらいに二日酔いの者が続出するだろう。ここの寮生たちは加減知らずの猛者ばかりなのだ。
飲み会をすると、翌日騒がしい寮が墓場のようになる。そんなことですら、僕らにとっては愉快なお約束だ。
 愉快な今を感じながら、僕はほろ酔い気分で呟いた。

「おつかれさま」
 来年もまた。


<了>


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