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夏の真面目な嘘
 男はいつでもロマンを愛するものだ。冒険に求めるもよし、スポーツに求めるもよし、文学に求めるもよし、パチンコに求めるもよし、酒に求めるもよし。
 いいわけがない。この寮生活をしていると、ロマンというのは各も欲に塗れてしまうものなのか。文学青年である神無月は首を振る。このままではいけない。
 きっと見た目が爽やかで、あだ名が五月(つまりは皐月。何というロマンティックなあだ名!)なら僕の作品を理解してくれるに違い無い。
 かくして、神無月は出来たばかりの作品を持って、五月の部屋を目指したのである。



そいつが僕の部屋をノックしたのは、心地よい秋風に吹かれて僕が居眠りしていた時のことだった。
 煎餅布団を丸めた物体に頭を置いていた僕は、まだまだ夢の世界にいたので、ノックの音が現実なのかどうかすら分からない。
しかし、控えめにもう一度ノックをする音が聞こえたので、欠伸を噛み殺して返事をした。
 すると、綺麗に切り揃えた茶髪を揺らしながら神無月がおずおずと入ってきた。手には分厚いA4サイズの封筒を持っている。
「やあ、五月……今、暇かな」
 暇どころか居眠りをしていたので説明する必要はないだろう。僕は目をこすりながら、体を起こした。
しばらく片づけをしていない部屋は勉強机の周辺に教科書とノートが散乱し、布団が丸めて置いてあるせいで部屋のスペースは減り、とにかく汚い。正直、座る場所が欲しいなら自力で片付けてもらうしかない。事実、神無月は本やら雑誌やら空き瓶を片付けて、几帳面に膝を揃えて腰を下ろした。
「実は新作が一応出来たから、五月に読んで欲しくて、さ」
 俯きがちに呟くと、分厚い封筒から白い紙にプリントアウトされた小説を差し出してくる。受け取ると、ズシリとした重さが手首に痛い。
「別に読むのは構わないけど、僕は文学に詳しいわけじゃないぜ?誰か他に有意義な意見を言ってくれるような人はいないのか?」
「あのさ、五月。そんな人がこの寮の中にいると思うかい?ここの連中は酒さえあれば生きていける人種しか生息してないよ」
 うんざりした顔で神無月は零した。嫌いなのではなく、同じ様に小説家を目指す友や、文学を愛する同志がいないことを彼は嘆いているのである。酒が嫌いなわけではない。
「まあな」
 神無月の意見に頷きながら、僕は真新しい紙に鮮やかな黒が踊る原稿に目を落とした。
 『心の奥底で何かが変わり始める晩夏、八月三十一日。思わず笑みがこぼれる田舎ラブストーリー』と書いてある。何で日にちまで限定しているのだろうか。
 物語の場所は、鄙びた片田舎。自分の進路に疑問を抱く女の子が主人公らしい。こいつが書く物語は、いつも思春期の繊細な少年・少女が主人公だ。そろそろ、新しい境地に挑戦してほしい、というのが僕の偽らざる本音なのだが。
 さて、今回の主人公はどんな悩みを抱えて、複雑な恋心を展開するのやら。読み飽きた本を捲るような、うんざりした気持ちで僕は読み進めていく。
 少女の前に年齢不詳の男が現れ、甘い言葉を吐く。
『私は目の前の男を一目見て、不審の色を眉間に表した。
「何か御用ですか?」
「君、綺麗な顔しているね」
 恥ずかしいセリフを涼しげな顔で、年齢不詳の男はさらりと口にした。
初めて、異性にかけられた褒め言葉に、思わず私は全身から火が出たように暑くなった。今まで誰にも綺麗などと言われたことはない。
 私は意識して、目の前の男の顔を見つめ直す。日に焼けた肌と短く刈り込んだ髪、凛々しい眉、人懐こい瞳。不審人物には変わりないが、意識して見ると男は、とても顔だちが整っていた』
 僕は作中の少女のように、眉間に皺を寄せた。
「初対面でこんな事言うと、本当は逃げられるぜ」
「体験談かい?」
 神無月がにやにやして聞いてきたので、僕は事実を伝えた。
「正月のね」
 正月というのは、同じ寮に住む女好きの同級生である。特別、美男子というわけではないが、持ち前の性格の明るさと話術で女性にもてる。そしてよく振られる。
「しかし、この男は何を考えているのか僕には分からないなあ」
「読めば分かるって」
 しぶしぶ、僕は原稿に目を落とす。
『男は周囲の風景を、興味津々といった様子で眺めている。田舎が珍しいのだろうか。
「ここは空気が綺麗だね」
「田舎に来た人はそれぐらいしか褒め言葉が浮かばないようね」
 少しでも、この年齢不詳の怪しい男に見惚れていた自分が恥ずかしかったので、私はわざと痛烈に皮肉を言ってやった。
逆光で男の表情は見えなかったが、どうやら笑っているらしい。
「好きになれそうだ、この景色も、君も」
 ―好き?
 私はまた全身の血液が沸騰しそうになるぐらい熱くなった。好き、だなんてそんなに軽々しく人に言っていい言葉じゃない。
「か、軽々しく浮ついた言葉を口にしないでよ!出会ったばかりの見ず知らずの他人にそんな言葉を言うなんて最低だわ」
「好きになる予感が、いや、確信があるんだ」
 確かにこちらを見る男の顔には、微笑みがあった。』
 今度こそ、僕は露骨に顔をしかめた。
「おい、こいつ何歳だよ?現実だったら、警察呼ばれるぞ」
 辛辣な言葉を投げつけたのに、神無月はニヤリと笑っている。
「ふふっ、呼ばれなかったんだなあ、これが」
「いくら小説でも都合が良すぎるだろ」
 アホらしくなってきて、僕は原稿を床に置いて寝そべった。
「あのなあ、神無月。最近の女の子は警戒心が強いんだぞ。田舎の子だからって警戒心が薄いだろうとか思うのは偏見だぜ」
 いくら僕が文句を言っても、神無月の表情からは余裕が消えない。何故か自信満々に僕を見ている。
「実はね、これは実話を基にした小説なんだよ」
「はあ?誰の話だよ」
 驚いて、僕は体を起こした。
「ふふふ、伝説の『主先輩』の」
 そこまで言うと、神無月は口を閉じた。僕は背後にただならぬ気配を感じて、ゆっくりと振り返る。
 そこにおわすは、この寮の生きる伝説『主先輩』だった。
 日に焼けた肌と短く刈り込んだ髪、凛々しい眉、人懐こい瞳。長身で体格が良く、立っているだけで一種の威圧感を放っている。彼は一年留年しており、寮長と同学年だが年上である。
主先輩が生きる伝説となったのは、彼の性格によるものである。彼は口下手だが面倒見がよく、決して嘘をつかない。本人が言うには、嘘をつけないのだそうだ。
そのため、よく貧乏くじを引くのだが、真正直な主先輩に憧れる後輩は多い。だからこそ、皆、敬愛の思いを込めて彼を『主先輩』と呼ぶ。
「か、神無月!俺の話を小説にしたというのは本当か?」
 普段は穏やかな主先輩が耳まで真っ赤にして仁王立ちしている。怒りと恥ずかしさが混ざった顔というのは、こんな顔なのか、と僕は感心して先輩を見た。
 説明し忘れたが、神無月は本名とはまるで関係のないあだ名である。何故、彼が神無月というあだ名なのかといえば、神に見放されたが如くにツイてないのだ。とにかく何をしても、必ず痛い目に遭う。テスト範囲を間違えることは毎度のことだし、外を歩けば犬に噛まれるし、川に落ちるし、電車に乗れば痴漢の冤罪で捕まる。ある意味、主先輩以上の伝説を持つ男である。
「主先輩、こ、これには深い理由がありましてね、誰に聞いたのでしょうか……」
 既に逃げる体勢になっている神無月がおずおずと尋ねると、主先輩の顔がさらに赤くなった。
「か、彼女からだ。お前、彼女に取材しただろう」
「彼女?え、まさか主先輩、初対面の女の子を本当にナンパしたんですか?」
 僕はびっくりして素っ頓狂な声を上げてしまった。口下手な主先輩にそんな器用な真似が出来るはずがない。
「主先輩は嘘をつけないからね」
 神無月が嬉しそうに笑った。確かに嘘のつけない主先輩は、一目ぼれした少女に本当のことを言ったに違いない。僕は主先輩らしい話に思わず微笑んだ。
次の瞬間、主先輩に追いかけられて神無月は急いで廊下の彼方に姿を消した。
 甘い甘言ばかり吐く、エセ男に出会った『私』は、どうやら恋に落ちたらしい。
暑い、暑い夏の日に。
「ロマンティックじゃないか」
 独り言を呟いて、僕は丸めた布団に頭を置いて、寝転んだ姿勢のまま、窓の外を見た。
秋でもまだまだ日差しは強く、始まったばかりの恋を応援するかのように眩しく照っている。
 眠りに落ちながら、僕は主先輩が『私』に声をかけた顔を思い描いた。
 想像はあまりにもロマンティック過ぎて、僕は軽く笑った。
 

<了>


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