新↑ 

暁に飛べ
 午前中に新調したばかりの服を着てデートに行った友人が、真夜中に寮に帰宅し、涙と鼻水だらけの顔で訪ねてきたというのに、僕の最初の一言は『何だよ』だった。
「彼女にフラれたんだよお、五月ぅ」
「何だよ」
 僕は猛烈に眠かった。三日徹夜でようやく課題のレポートを完成させ、布団に潜り込んでからまだ二時間ぐらいしか経っていないのだ。正直、夢の中に戻りたくて仕方がない。
「彼女さあ、他に好きな野郎が出来たっていうんだよ!俺、俺……」
 勘弁してくれ。僕は眠りたいのに。大体、こんな男むさい寮に住んでいる分際で、彼女がいたこと自体が奇跡だろう。失恋で泣けるだけでも、恵まれていると思うべきだ。
大抵の奴らの悩み事など、金欠・ふけ症・競馬負け続けの呪い・万年二日酔いといった悲しいものばかりである。
僕だって、彼女を作って楽しい青春を送りたい。ぼんやりとそんなことを考えていると、他の部屋から友人の嗚咽を聞きつけて寮生たちが集まってきた。
「どうした、正月。失恋したのか?」
 隣の部屋の住人で、寮生たちから三月と呼ばれている逞しい体格の男が泣きべそをかいている失恋したての友人、もとい正月に声をかけた。正月の本名は正というのだが、お調子者で何かと運が良いことから、賑やかで縁起の良い正月というあだ名をつけられた。
「三月、俺はもう駄目だ……彼女は俺の命だったんだよう」
「正月……元気を出せ」
 人が良い三月は気の毒そうな顔をして正月の肩を叩く。
「嘘付け!そうだとしたら、お前の命はもう三十はあるぞ!」
 三月の同情をよそに、別の寮生が呆れて突っ込んだ。全くもって同感である。正月は彼女がいない期間の方が少ないぐらい、よくモテる。振られることもまああるようだが。
「まあ、待て。俺に良い考えがあるぞ」
 寮生たちをモーゼの十戒のように分けて、寮長が現れた。寮長は成績優秀で、温厚な性格で、周囲から人望の厚い男である。そんな彼の出現に、寮生たちは正月を元気付ける希望を感じた。
「実はこの寮に代々伝わる縁起担ぎがある。よく効くから、正月、お前試してみるといい」
「え、縁起担ぎですか」
 僕は少々、拍子抜けして寮長を見たが、本人は大真面目な顔をしている。どうやら本気で言っているらしい。
「どんなことをするのですか?」
 ごつい手で頭をかきながら、三月が首を傾げる。正月は赤い目で、熱心に寮長を見ている。かなり期待をかけているようだ。
「お前ら、プールの高飛び台を知ってるよな。あそこから願い事を叫びながら飛ぶんだ」
 その時の寮の静けさは、記録的なものだった。あまりにも静かになったので、管理人のおばちゃんが慌てて様子を見に来たほどだった。
「え、だってプールの高飛び台って水泳同好会の連中でさえ近寄らない、老朽化しきったあれですよね」
 冷や汗を垂らしている正月の代わりに僕が尋ねると、寮長は当たり前だというように頷く。
「安心しろ。事故なんて起きないさ。俺が飛んだ時は、全治一ヶ月で済んだぞ」
 大事故だよ!!!寮生たちが内心でそう叫んでいることにも気づかず、寮長は正月の手を掴む。
「さ、行くぞ。正月」
「え?今からッスか?つうか、俺は高所恐怖症で―――」
 慌てて叫ぶ正月を引きずりながら、モーゼもとい寮長が歩いていく。僕は最初に話を聞いたという責任感から、急いで後に続く。すると、何故か三月もついてきた。
「お前も付き合う気か?」
「心配だし、乗りかかった船みたいなもんだからねえ」
 苦笑いで三月は答えた。
物好きな奴だと思ったが、俺たちの背後から物好きの集団が付いて来ていた。この寮のひとつの特徴は全員が好奇心の塊であることだろう。明日までが提出期限の課題があろうが、早朝のバイトがあろうが、目の前に面白そうなことがあると手を伸ばさずにいられないのだ。
その結果がどんなに散々たるものだろうとしても。だから、寮での飲み会の出席率はいつも百パーセントだ。
 プールに入るための扉は当然、鍵がかかっていたが、無法を信条としている我が寮生たちは当たり前のようにフェンスを乗り越えていく。
消毒液のような、ツンとした匂いが鼻をついて、思わず僕は顔をしかめた。
 プールを見渡すと、憐れな正月は寮長によって、3メートルはあるのではないかと思われるほど高い場所に立っている。
「む、無理ッスよ!ギシギシいってますって、これぇ!」
「正月、いつもの威勢はどうした!」
「飛ばなきゃ、男じゃないぞ!」
 寮生たちから野次が飛ぶ。他人事だから大口を叩きたい放題だ。
どうにも高飛び台からのダイブをしないと、帰れない雰囲気になっている。正月の顔はどんどん青ざめていく。
僕は見ていられなくなって。高飛び台の階段を駆け上がった。寮生たちから驚きの声が聞こえたが、そんなことはどうでもよかった。
 正月が僕の部屋に来た時、きちんと話を聞いてやれば彼はこんな場所に来なくて済んだのだ。
「正月!僕も飛ぶ!」
「何言ってんだよ、五月!し、正気か?ほら、すっごい軋んで」
「でも飛ばないと、ずっと変わらないしさ」
 いつの間にか後ろについて来ていた五月が笑顔で正月の肩を叩く。
「失恋した昨日から、新しい恋を見つける今日に飛ぼうぜ」
 我ながらくさいセリフだと思いながら、僕は率直な気持ちを言葉にした。
 普段は照れくさくて、まともに真面目な話をしない僕の意外な言葉に驚いたようで、三月と正月は顔を見合わせる。
「……よし!俺も男だ!一世一代のジャンプを見せてやるぜ!」
 勢い込んで正月が万歳をすると、下から歓声が飛んでくる。
「頑張れ、正月!」
「やったれ!」
 三月は穏やかに笑って「こんな経験は、きっと滅多にないね」柔軟体操をした。
 僕らは顔を見合わせて、高飛び台の先に立った。
「で、願い事はどうする?」
 正月の顔を見ながら聞くと、奴は不敵な笑みを見せた。
「それぞれが好きなことを叫ぼうぜ!」
「よし!」
「一人だけ後から飛んでくるとか無しだからな」
 注意をして、僕らは深く息を吸って。
 目で合図をして。
 朝日が差し込む水面に向かって、思いっきり飛んだ。
『――――!』
 三人が一斉に叫んだため、誰が何と言ったのか分からなかった。叫んだ直後には、水野中にいたせいで、記憶が飛んだということもあるが。
 寮生たちから拍手大喝采で、寮長がプールに飛び込んで助けに来てくれた。
「お前ら、良くやったな!」
「これで、俺らの運上がりますかね」 
 新品の服で濡れ鼠になった正月が笑って、寮長を見る。
「ああ、もう上がってるぞ。正月、もうお前、失恋のことなんかどうでもいいだろ?」
 僕と三月は、正月を横目で見た。まだ傷が塞がるには時間が必要なのではないか、と内心ひやひやした。
「失恋はあの高飛び台に置いてきたッスよ!」
 わはは、といつものように正月が笑った。晴れやかな普段の笑顔に、僕も三月も寮長も寮生たちも安心して、一緒に笑う。
 濡れたまま、寮へ帰る道で、僕は三月に聞いた。
「お前は何を願ったんだ?」
「俺?多分同じことだと思うけどなあ」
「え?」
 三月が楽しそうに言った。
「俺たち、多分同じ事を言ったんじゃないかな。試しに五月が言ったことを教えてよ」
 ……同じこと?
「言ったことなんが、落ちた時のショックで忘れたよ。ちぇ、つまんねえなあ」
 僕は照れくさくなって、そっぽを向いて先に歩き出した。言えるわけがない。
『こいつらの運があがりますように』なんて願ったこと。
 朝日に照らされた寮生たちの群れが、心地よい僕の大切な居場所として、眩しく瞳に映る。
三日徹夜した疲れも忘れて、僕は勢い良くその集団の中に入って行った。


 余談ではあるが、後日、無断でプールを使用した罰として、寮生たち全員がプール掃除をさせられたのだった。


<了>




Oxygen shortage/酸欠様:作品参加
「とべ!」


作者:URI改め藤森 凛


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