コガモノシッポ

 君もサボタージュなの?
 随分、古風な言い回しだなと呆れながら振り返ると、栗色の髪と小鴨色のセーラーの襟を風にはためかせながら、彼女が立っていた。
彼女は華やかな顔立ちに豊かな肢体、性格は穏やかで優しく、周囲から一目置かれている存在だった。
俺はといえば、いつもクラスから意図的にはぐれている不良もどきだったので、彼女の名前ぐらいしか知らないし、話したことなど一度もない。
面と向かって言葉を交わす日が来るなど、まるで予想外だった。
「悪いけど、俺、誰とも話したくなくて屋上に来たから」
 遠まわしに会話するつもりがないのを示すと、彼女は微笑んだ。
魅力的な微笑は確かに人を惹きつける力があるが、俺はあえて無視する。関わり合いになれば、自分の平穏な日常が壊れる気がしたのだ。
「私もよ、誰とも話したくなくて此処へ来たの」
 不思議な笑顔を浮かべて、彼女は俺の横へ歩いてきた。話したくないと言いながらも、俺の存在を煙たく感じているわけではないらしく彼女の横顔は穏やかだった。
シャンプーの香りだろうか、甘い匂いがふわりと俺の鼻をくすぐる。
隣に立つ彼女は校内で友だちたちに囲まれて輝いている時のオーラはなかった。
まるで消えてしまう前の線香花火みたいに、やたらと物悲しい雰囲気が漂っている。
それが何を意味するのか分かっていたら、俺は立ち去らなかったかもしれない。今となっては何を考えても意味などないが。
 俺は言葉をかけずに彼女を屋上において教室へ戻った。
まだ騒がしい昼休みに教室にいるのは嫌なのだが、何も話さずただ空を眺めている彼女と二人きりよりはマシだった。
読みかけの本でも読むか、と鞄に手を伸ばした瞬間だった。机の左側に鞄をかけていた俺は、ちょうど窓の方に身体を向けていた。
だからこそ目が合った。
 小鴨のような緑のタイが尻尾みたいになびきながら空へ舞っていくのが最初に思いだした部分だった気がする。
でもそれは最後の部分だ。
 最初に見たのは、微笑とも引き攣れとも分からない表情をした彼女が逆さまになって地面へ向かっていく映像だった。
非現実的過ぎて俺は悲鳴すら上げられなかった。ただ栗色の髪と小鴨色のセーラー服が綺麗だなと思っただけで、あとはクラスの女子があげた悲鳴で全てが混乱して、正常な思考が出来るようになった頃には地面へと落ちた彼女が然るべき場所へと運ばれてからだった。彼女が落ちて行く瞬間にたいする記憶は大分失われていた。
 俺は覚えていないのだが、たいして仲良くはない級友があとから話してくれた。
彼女が落ちていったとき、俺は窓を開けて手を伸ばしたらしい。
普段は冷たくみえるけど、本当の君は素晴らしい心の持ち主だねと潤んだ瞳で級友は、俺の救助行動を褒めてきたが、見当違いも甚だしかった。
 小鴨色のタイが尻尾みたいに伸びて宙に舞っているのを、俺は何故か掴もうとした。掴みたい、この手で掴みたいと俺は手を伸ばしたのだ。彼女に惚れてなどいなかったし、助けようとも思わなかった。
ただ、空から落ちてくる小鴨の尻尾を欲しいと願っていた。



 あれから十数年の時が流れて、他高生から「宇宙人」と呼ばれていた緑色の学生服を脱いで俺は社会人になった。
卒業アルバムにいない彼女を思い出したのは、ほんの偶然に過ぎない。
母校が廃校になるという記事を地方新聞で読み、ようやく彼女を思い出した。
取り壊しが決まった母校の跡地には、次に大型ショッピングモールが建設されるそうだ。
俺は彼女が身体を放り出した、かつての屋上に来ていた。
あの日、彼女は誰とも話したくなくて屋上へ来たのにどうして俺に声をかけたのだろう。止めてほしかったのだろうか。
本当は死にたくないと、心の奥底で考えていたのだろうか。
 彼女のことなどほとんど知らないけれど、何となく彼女は俺と話をしていても死んでいたような気がする。
彼女が俺に話しかけたのは
『一緒に堕ちよう』
 そう囁きかけるためだった。
明るい光の中で生き生きとしているように見えた彼女が本当は、クラスで浮いている俺よりも死にたがっていた。
結局、親友と呼べるような友だちが出来ないまま、俺は卒業した。推測だが友だちが他のクラスや学年にもいた彼女にも親友と呼べるような友だちはいなかったのだろう。
『一緒に堕ちよう』
 そんなふうに声をかける相手はいなかったのだ。
 俺は彼女が俺に誘いかけた小鴨の尻尾をつかみ損ねたまま、死ぬ理由もなかったから何となく生きてきた。
今だってこの屋上に来ているのに意味なんかない。
もしあるとすれば、小鴨の尻尾を今日なら掴めそうな予感がしたから。
 彼女が落ちなければ、彼女が話しかけてこなければ、あの日小鴨の尻尾を空へ舞わせたのは俺だった。学ランの裾がなびいて尻尾みたいに見えただろう。
 尻尾は俺を嘲笑うように手からスルリと逃げてしまった。
 俺は柵を越えて屋上のギリギリに立つ。
窓から眺めた小鴨の尻尾は空をきらきらと舞っていったのだ。俺も綺麗な小鴨の尻尾を流せるかな。
首に巻いた小鴨色のネクタイをもう一度締め直す。
『一緒に堕ちよう』
 そうだな、時間が過ぎてしまったけど。決めていたことだ。
 俺は目を閉じて身体を投げ出した。


 あの日、彼女が俺に渡そうと宙へ放り出した小鴨の尻尾を掴んだ気がした。



                〈了〉



・teal green(色の名称)
・teal(小鴨)
・tail(尻尾)


企画『手帖』様:提出作品
『ガッコウエレジィ(テールグリーン)』

作者:藤森 凛


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