三流作家、友を語る

 パソコンが焦れたように唸り声を上げて、私は眼を覚ました。
どうやら机に突っ伏して眠っていたらしく、頭がぼんやりとする。
顔を上げると、ここ何日かですっかり顔なじみになったワードの白い画面が目に飛び込んできた。
何も浮かばないので、とりあえず「あ」を大量に入力して画面が白黒になった所で全部消去した。
 何をしているのだ、私は。
遊んでいる暇などないのに。早く短編を仕上げてM女史へ送り「無事脱稿しました」とメールしなくてはならないのに。
焦りとは裏腹に頭の中は綺麗なぐらい真っ白だ。
 そもそも始まりが唐突だった。
珍しい名前がケイタイのディスプレイに表示されて私は勇んで電話に出た。
売れない作家、またの名を三流作家の私にとって有名な文芸雑誌の編集者たるM女史からの電話はまさに地獄に垂らされた蜘蛛の糸!
『お久しぶりです、Mです』
 一分の隙も見せない容姿とは裏腹の可愛らしい声だ。M女史の声はとても可愛らしく、最初聞いたときは目の前の美女から発せられたとは思えなかった。
そのギャップが彼女のマイナスになるのかといえば答えは、いいえである。
『実は××先生が急病になってしまって、原稿が間に合いそうにないのです』
 私の名にもうひとつ付け加えておこう、穴埋め作家だ。
『短編を一本お願いできますか?』
 受話器の向こうで艶やかに微笑むM女史が浮かぶ。もちろん、私に選択権はない。
売れない作家がせっかく飛び込んできた仕事を蹴るなんてありえないのだ。
「喜んで!」
 居酒屋みたいな返事をした私の姿は、間違っても自分で見たくない。
 かくして短編に取りかかったのだが、いっそ面白くなるほど進まない。
人間の想像力はここまで枯渇できたのかと、人体の新しい可能性に感動するほどである。
そもそも売れっ子の作家という方たちは、いくつものアイデアを持っている。それを長編、短編に振り分けて発揮する。
三流作家の私はアイデアが貧困でなかなか出てこない。そのためストックしているアイデアもすぐ尽きる。
いや、意地をかけて言わせてもらえばアイデアは大量にあるのだ。ノートに書きなぐった構想たちは出番を待っている。
ただ、それらをいざ料理するとなると私の腕では上手くさばけない。一流作家たちと決定的に違う点である。
 ああ、こんな愚痴を呟いている間にも時計の針は無情にも進んでいく。脂汗がにじみ出てくる。
このまま何も書けなければ私の代わりに、別の作家に声がかかるだろうが、穴埋めの穴埋めというややこしい形になる。
それだけは避けたい。何よりM女史の優しさに報いたかった。
 頭を文字通り抱えて唸っていると、ケイタイが点滅して私はひっ、と声を漏らした。
催促の電話かと怯えて眼をやると、メールであった。
誰からだろうと開いてみると『彼女』からだった。ちなみに彼氏彼女の彼女ではない。誤解されることが多いが、私は女性だ。
『彼女』は私と同時期に作家になった女性であり、いわゆる一流作家の仲間入りした眩しい存在だ。名前を呼ぶのは気恥ずかしく、あだ名をつけるのは失礼なので、私は『彼女』と呼んでいる。もちろん本人にお会いした時は名前を呼ぶ。
 いつぞやの出版社が開催した会でお会いして以来で、ネットを通じてでもお話するのは久しぶりである。
浮かれてメールの文面に眼を通す。
『原稿の調子はどうですか?私は今、ようやく一話書き終えたところです。たくさん書きたい話があるのに、身体がひとつというのは不便ですね』
 羨ましい話ではないか。私など身体がひとつでも余っているのに。
『締め切りの時間が近いので内心ドキドキしています。今書いているのは、●●さん(私のことだ)がお気入りの不夜城シリーズです』
 あれは面白い、他人に服従する悦びを不快でない筆さばきで書ききっており私は最新刊が出るたびに予約して購入している。
『お互い頑張りましょう』
 控えめな『彼女』らしい励ましに私は顔がほころぶ。
まるで私の窮状を知っているかのような優しい言葉に嬉しくなる。私がワードを開いたまま固まっているのを見ているかのような……。
 ふと冷静になって考えると違和感を覚えた。締め切りが近くて忙しい『彼女』が、原稿を書く手を休めてまで、わざわざ私にメールを送るというのがまずおかしいではないか。
常に開店休業状態にある私が原稿に取り組んでいるかどうか、知る術を『彼女』は持たないはずなのに。
ぼんやりとM女史の姿が脳裏に浮かんでくる。もしや。
「かんづめで、背後にMさんがいらっしゃいませんか」
 返信すると
『当たりです、今、Mさんに見張られていますよ』
 と、今にも吹き出してしまいそうな表情でメールを打っているだろう『彼女』の姿を連想させる返事が届いた。
 やはり私を喜ばせる策の影にM女史の姿あり、だ。恐らく、なかなか原稿を送って来ない私の態度で詰まっているのを看破し、同期の『彼女』に頼んで遠まわしの励ましを頼んだのではないだろうか。
参った。本当に敵わない相手だ。
私は頭を掻きながら白い画面を見つめる。ここまでしてもらって、恩を仇で返すなど出来るわけがない。
真面目に(今までも真剣ではあったが)取り組むかと深呼吸をしていると、またケイタイが光った。
 メールが届いており開いてみると
『完成しました。早速、次の作品に取りかかるつもりです。』
 売れっ子作家のスピード恐るべし。
『●●さんの短編、楽しみに待っています。』
 全身の血が凍ってしまったみたいに私の全身が強張る。大したものなんか書けない、期待に添うことなんか出来ないだろうから、いっそ私が短編に取り組んでいることすら忘れてほしくなる。
『辛いことも多いけれど、自分の作品を通じて色んな出会いがあるのは幸せなことですね。こうしてパソコンに向かっている時も、ひとりじゃないと思えるようになりました』
 毎日を忙しいスケジュールで神経をすり減るようにして頑張っている『彼女』の姿が、不思議なほど鮮明に浮かんできた。
そうだ、私は何を甘えていたのだろう。勝手に羨んで自分ばかり苦労しているみたいな顔をして『彼女』の頑張りを素通りしそうになっていた。
創作作業は基本的に孤独なものだ。自分と自分の脳に浮かんだ不定形のアイデアと一対一で取り組まなくてはならない。
自分との戦いであるが、時にはこうして誰かと創作の辛さと楽しみを話しあい、創作作業の一部分を共有してもいいのではないか。
私はメールを作成した。
『脱稿したらまたメールします。小説家の苦労と喜びについて語り合いましょう』
 ずっと殻に閉じこもって創作は孤独な作業と気どっていたが、一人では耐えられる痛みに限度があるし、喜びだって倍にはならない。
遠い背中を追いかけるのも悪くない。
『彼女』は遠い存在だけど、だからこそ追いかける楽しみが生まれる。
いつか私も『彼女』のように多くのアイデアをさばき、常に書きたい作品に追われる作家になるのだ。そのためにはまず書く、書いて書き続けるのだ。
 ふんっ、と鼻息を荒くして私は文字を入力し始めた。



 『彼女』とは一度しか会ったことはないし、メールで話した回数も少ない。未だに敬語で話しているが、確実に友だちと呼べる存在だ。
年をとった私は、ただたくさん会えるだけが、丁寧な話し方をしなくてすむことが、友だちの定義ではないのを知った。
きっと大人になった私たちの友だちの定義は『お互いに尊敬し合える』ことなのだろう。社会に出た人々が、同年代の友人ばかりとの交友ではなくなる理由はそこにあるのではないだろうか。
私は、その自由が今とても嬉しい。
「ともだちかあ」
 悪くない、私は短編の主題を決めた。



 数日後、M女史からお礼と作品に対する辛い評価を頂いた。
だが彼女の楽しそうな声は不機嫌でなく、ある程度ご満足していただけたようで私は胸を撫で下ろした。
 さて、私は今、ケイタイを見つめている。
『彼女』に励ましに対するお礼と何か気の利いた創作話を送りたいのだが、頭の中はなかなか洒落た文面を思いついてはくれない。
 私はため息をついた。こうなったら気どらず、私らしく(どこまでも臆病者で鈍感な)話すしかあるまい。
 緊張しながら私は送信ボタンを押した。





                 〈了〉


企画小説微糖様:『女友達』提出作品



作者:藤森 凛


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