結局はこうなる運命なのでした

 コロコロ、と鈴の鳴る音がする。
書物から眼を離して音のした方を見ると、君が縁側に座って猫をあやしていた。
猫の柔らかそうな腹に白い指を埋めて、愉快そうに君は笑っている。
声をあげるたびに、コロコロと鈴が鳴っている。
 ああ、鈴は君が鳴らしていたのか。
納得して、また書物に目を戻しながら私は君が鳴らす音に心地よさを覚えていた。
夕暮れが近づき、遠くから商店街の喧騒が聞こえる。
畳が橙色へと染まりいく中、私と君は言葉を必要とせず和やかに時を過ごしている。私が子どもの頃から望んでいた平穏が確かに、この部屋に流れていた。
 白い肌の君を見染めたのは、真っ暗な夜道でのことだった。
風呂敷包みをかかえて、行く当てもなくさ迷っていた君と人生に辟易し絶望していた私が出会った。
視線が交わった瞬間、お互いに同じ香りを感じ取ったのだと思う。
私が君の手を取るのに、理由も言葉もいらなかった。ごく自然に、私と君は肩を並べて、偶然やってきた列車に乗り込んで遠い街へと旅立った。
君がかかえていた風呂敷の中身など、私にはどうでもよかった。私は聞かなかったし、君も話さなかった。
また、君も何もかもに疲れ切っていた私に、その理由を聞く真似はせずにいてくれた。
かくして同じ生き物である私たちは、遠い、名前も知らない街に住処を見つけた。
 運良く、後継ぎのいない診療所を貰い受け、私は再び医師として働き、診療所と併設してある母屋に君と二人で生活することにした。
 毎朝、君が作る味噌汁の香りで私は目覚めて君と朝食を摂り、診察所で年よりたちの相手をして、昼に君が運んで来てくれる握り飯を食べ、最後の患者を見送ってから母屋へ帰り、君とゆっくりと夜空に星が輝くまでを過ごす。
一番星を見つけると、君ははしゃいで私を見た。コロコロと鈴の音がして、君が嬉しそうに笑っているのが灯りのない部屋の中でも分かる。
室内が明るいと星を見つけにくいので私たちは陽が暮れても、いつもなかなか灯りをつけない。
近所に住む老人達に理由を聞かれたので話すと「先生は浪漫者だ」と笑われてしまったが、私は彼女が喜ぶのならいくら笑い者にされても構わない。
絶望した人生に再び意味をくれた彼女のためなら全てを捧げても構わない。
 コロコロ、コロコロ。
鈴の音を聞きながら私は眼をつぶる。
診療所の休診日、私はいつも畳の上で座布団に頭を預けて寝てばかりいる。
そんな私の横で君は縫物をしたり、書物を読んだりして時を過ごしているが、時折思い出したように私を見ては鈴を震わせる。
綺麗な音だ、私は鈴の音がするたびに脳が痺れるような甘ったるい幸せを感じる。
 永遠に、私が再び絶望するその日までずっと聞いていたい。願いをこめて私は音に耳を澄ます。
どうか鳴り止みませんように。鳴り止むときは私が消えている時でありますように。
ささやかな願いをもう信じてはいない神仏に頼む私は滑稽だ。
それでも、もしも、もう一度だけ私に希望が与えられるなら、私はこの鈴の音を願わずにはいられないのだ。
 数年の月日が流れて、私が商店街で「先生」と呼ばれるのが常になった頃、鈴の音色がおかしな具合になった。
もうコロコロとは鳴らず、ゴロリガロリと妙に鈍い音を出すようになってしまった。
君は喉を押さえて苦しそうにするが、私と視線が合うと何もなかったように笑顔をつくる。白い肌がさらに白くなり、ついに血の気を失ってしまった。
皮肉なことに、血の気の失せた顔から吐き出されたのは君の最後の血液全てかと思われるような、大量の血だった。
私は医師だ。何の病気なのかすぐに分かった。
君は縋るような瞳で私を見た。何を言いたいのか分かっていたが、私は知らないふりをしたかった。
けれど、君は痩せてきた白い指で私の袖を掴む。
“風呂敷の中身を見てくださいな”
 添い遂げることが出来たのなら、一生風呂敷の中身は見ないつもりだったし、君も見せるつもりはなかっただろう。
だが、最期に君は私が自分の全てを知るのを望んだ。私は小さく頷き、小声で“君が消えたら”と付け足した。
満足そうに君は笑う。もう鈴の音は、微かにしか聞こえない。
きっと鈴は壊れてしまったのだ。
もう一度、鈴の音を聞きたい、コロコロと鳴る私の幸福の音を聞きたい。
気が狂いそうな焦がれに君は気がついたのだろうか。
自分の喉に手を当てて、私に微笑みかける。
“貴方のお好きなようにしてくださいまし”
 もう一番星は見えない。
何故なら私は君の喉を裂いたから。裂いて喉に鈴を吊るした。
青銅色の鈴を吊るすと、君の呼吸が鈴を鳴らした。
コロコロ、コロコロ、コロコロ。
 ねえ、聞こえたかい?
 私が診察台に横たわった君に声をかけると、君は微笑んでいた。
それは最期の鈴の音で、最期の君の息吹で、最期の君の微笑だった。
柔らかな笑みをたたえたまま、君は消えてしまっていた。
 鈴の音は聞こえない、血に塗れた眼では一番星は探せない。
私は君が床下に隠した風呂敷を取り出して、いつも君が座っていた縁側に置いた。
君の代わりにはならない汚れた風呂敷と見つめ合っていたが、私は君の言葉通りに風呂敷をひらいた。
中には白い頭蓋骨が納まっていた。君の肌みたいに白い骨。
私は無言で頭蓋骨と向き合ったが、何の感傷も浮かんでは来なかった。
 骨が何だというのだろう。
懐から君の喉に収まっていた鈴を取り出す。白い布にくるんだ喉の鈴は赤黒く変色し始めている。
本来君の中にあった鈴は切り取って私が肌身離さず持っていようと決めたのだ。
このぶよぶよとしたものから、軽やかで痺れるような優しくも幸福な音色が鳴っていたとは、本当に不思議なものだ。
君だけが鳴らすことのできる、優しい音だったのに。
 私はまた人生に辟易し、絶望した。神仏はやはり私などを見てはいなかった。
彼らに守護され愛されるには資格がいる、常々感じていたことは事実だった。資格のない私と君は、初めて出会った夜のように暗い道をさ迷う運命にある。
 それでも君が隣にいるのなら夜道であっても構わなかった。
共にお互いの過去を捨て去り、毎日を他愛のない話で笑いあえた、安らかな日々をくれた君となら地獄へと通じる道でも私は幸せな気持ちで歩いて行けただろうに。
現れたときと同じように、君は突然消えてしまった。
私の手の中には、君が遺していってくれた君の欠片だけがある。
“何人殺したのです?”
 鬼のような形相で詰め寄って来る友の喉に私は短刀を突き刺し、自宅に戻ると妻を同じ短刀で突き刺して捨てた。
飽き飽きしていた。くだらない話をする妻も、患者の命を救えない自分にも、私が新しい手術法の実験で使った患者の消息を訪ね回る友人にも。
 何かを得るには何かの犠牲が伴う。
友人は理解せず、私に贖罪を求めた。
 何もかも捨て去り、さ迷うに夜道を歩いていた私の元へ知らぬ誰かの頭を抱えた君が現れた。
 コロコロ、コロコロ、コロコロ。
鈴の音がする。
何やら外が騒がしい、誰かが叫んでいる。私は両手で君の欠片を包みながら、ただ頭蓋骨を見ている。
 コロコロ、コロコロ、コロコロ。
 手の中にある君の欠片は黒ずみ、この世のものでなくなろうとしている。
どんなに足掻こうとも、抵抗しようとも、私と君は幸せになれなかった。この頭蓋骨の持ち主も、私の友も、かつての妻も、みな一様に神仏と運に見放された者たちだったのだ。
 ああ、結局はこうなる運命でした。
 私は君の欠片に語りかけると、頭蓋骨を抱えて診療所へ向かった。


                      〈了〉


企画路地裏様:提出

作者:藤森 凛


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