「それでここに来たってわけ?」

ウェーブのかかった長い黒髪をふわっと掻き上げて、シャルロッテが息を吐く。うん、と単純に頷くと、更にそのため息が深くなった。

この虚夜城に於いて、私の居場所はあまり多くない。私は誰かの従属官というわけでもないし、十刃なんて夢のまた夢な低級破面だ。超速再生だって出来ないし、他より戦闘に長けているというわけでもない。どこにでもいる普通の―――と言いたいけれど、破面としての平均値からすれば多分普通よりも下だと思う。
それでも私がこのお城の中に自分一人の部屋を持って、こうして何に縛られることなく自由に行ったり来たりできているのはギンのおかげだ。彼が私を庇護してくれるから、私はこの場所にそれなりに安全に存在することができる。

「ため息つくと幸せ逃げるってギンが言ってたよ」
「……その後すぐ吸い込めば戻ってくるわよ」
「そうなの!?」
「…………」

シャルロッテは変な風に顔を歪ませてから、もう一度小さく息をついて「お座りなさいな」と彼女の向かいの椅子を示した。

彼女の部屋は色々なものが置いてあって面白い。お城と同じ白い石を削って出来たようなテーブルと椅子のセットはその一つだ。よーく見ると表面に細かく模様が彫ってあるそれは、彼女の部屋の中で一番私が好きな物だった。触るとひんやりつるつるしていて、何の模様か分からないそこで迷路遊びをするのが何もすることのなくなった私の最後の暇つぶし方法だった。けれどもその使い方は持ち主の意に反しているようで、そうしていると彼女はよくそれについて文句を言ってくる。先のため息もその一つだ。

「そういえば、アンタがここに来るのは久しぶりね」
「そう?……そうかも」
「暫くは市丸がいたものね」
「そうなの。久しぶりに長く居てくれたのに。いっつも何も言わずにどっか行っちゃうんだもの」
「アンタがあんまり人間人間言うから相手するの疲れたんじゃなくて?」
「ええ!!」

恐ろしいことをつーんとした顔で言ってから、彼女は「冗談よ」と笑った。それに一瞬ほっとして、私は眉を寄せる。ギンは私が現世の話をねだる時に、「また?」と笑うことはあっても文句を言ったことはない。でも、もしかしたら他の皆が一様にそうなように、彼も私がその話ばかりすることに呆れているのかもしれない。だとしたらどうしよう。現世の話も人間の話も好きだけれど、ギンが離れていくことと比べられるはずもなかった。ギンがいなくなってしまったら、私の居場所なんてない。彼に嫌われたら生きていけないと思う。

その瞬間脳裏に過ぎった金色に、私はぱちぱちと瞬いた。何故今、あの金色を思い出したのだろう。

「なーに百面相してんのよ」
「だってシャルロッテが、ギンが疲れちゃったんじゃないかとか言うから」
「冗談だって言ったでしょ。そんなこと起きるならもうとっくにそうなってるわよ」
「…………」
「アンタ本当に市丸のこと好きねえ」
「うん、大好き」

言って私はえへへと笑った。それは私の心からの気持ちだった。
私はギンが大好きだ。一緒に居られたら嬉しいし、一緒に居られなかったら寂しい。他の誰よりも大好きだと思う。ギンの居ない時間は好きではなかった。だけどここでは、それを察してくれているのかいないのか、こうして構ってくれる優しい人達がいるので何とかなっている。

シャルロッテは私のことを呆れた表情で眺めてから―――この表情はチルッチもよく見せる―――つまらなさそうに口を尖らせた。

「でもその大好きは恋じゃなさそうね」
「コイ?」
「誰かを好きになって、朝も夜もなくなることよ」
「え!?それってテンペンチイじゃない!?」
「…………」

大声をあげた私にシャルロッテはとても不機嫌そうな顔になってから、再び呆れたように息を吐いた。一方の私は言ってから、そもそも虚圏には朝なんてないことに思い至っていた。虚圏には夜しかない。朝はなくなっても困らないけれど、夜がなくなってしまうことは想像できなかった。朝と夜がなくなったらどうなるのだろう。ギンが言っていた『昼』というものが来るのだろうか。先日覗き見た現世を思い出して、私は瞬いた。あの明るい世界がどういう時間だったのかは分からない。けれどももしあれが昼なのだとしたら、朝と夜がなくなって昼だけになるのも悪くないのかもしれない。

「アンタに話した私が馬鹿だったわ」

シャルロッテは首を竦めて溜息を吐いた。吸い込まないと逃げちゃうよ、と話しかけると、大きな手のひらが垂直に頭上に降ってきた。

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