『ここ以外にも現世言うて人間の住んでる世界と、尸魂界言うて現世で死んだ魂魄や死神の住む世界があるんよ』
『人間って何?』
『人間知らんの?キミ達も昔はそうやったと思うんやけど』
『私人間だったの?』
『ちゃうん?』


私達が元々人間だったとするなら、何故私達は人間を食べるのだろう。
私の穴は、いつ空いたのかしら。穴のあった場所には、何があったのかしら。


『人間は死ぬと魂魄になるんよ』
『うん』
『で、魂魄は普通死神の導きで尸魂界に来ると』
『うん』
『そん時死神が来んくて因果の鎖が無くなってまうと、鎖が食い破って穴が空くんよ』
『……死神のサジカゲン?』
『たまーに難しい言葉知っとるなぁ』


轟々という響きの中で、私は出口を探していた。黒腔へはどこからでも入れるし、どこへでも出られると昔チルッチが教えてくれたことがあった。けれども、どこへも出たことのない私はどこへ出れば良いのかというのが分からなかった。どこへでも行ってみたいというのは、つまりどこへ出ても同じということだ。

耳を澄ますと微かに誰かの声がする気がした。うろうろしているうちに、その声は場所によって大きさも数も変わるのだということに気がついた。出来たら、人がたくさんいるところが良い。色んな人を見てみたい。彼らから私が見えないのだとしても。

「ここ、にしよっかな」

足を止めたのは一際ざわざわと声が聞こえるところだった。何を言っているのか聞き取れないほどの声が溢れていて賑やかそうだ。私は息を吸って、吐いて、もう一度大きく吸い込んだ。そして、息を少しだけ止めて目を閉じる。

藍染サマにバレてはいけない。私のすることは決まりによって禁じられていることで、つまり悪いことだ。本来ならば許可をもらわなければならないところを、無視して外に出るのだから。カナメもきっと怒るだろう。ひょっとしたら、ギンも怒るだろうか。それを想像すると藍染サマに怒られることよりも悲しい気持ちになった。

『人間に会ってみたい』
『んー、今はあかんなぁ』
『どうして?』
『すごいもん見せてびっくりさせたい人がおるとするやろ?誰かが自分より先にその人に、そのすごいもんをちらっと見せてしもたらどう思う?』
『ずるい!』
『せやろ?』

せやからあかん、とギンは笑った。はぐらかされたように思ったけれど、難しい話をされて理解出来ないよりずっと良い気がして頷くしかなかった。もしかしたら藍染サマにとって、私達は見せびらかしたい存在なのかもしれない。そんな価値があるだなんて思えなくても、私にとって人間が珍しいように、私達以外に私達は珍しい存在なのかもしれなかった。ああ、何だか頭がごちゃごちゃになりそう。

見つかったら、罰せられる。それだけならまだ良いけれど、ギンに嫌われることだけは嫌だと思った。ダメだと言われたことを実行するのには当然罪悪感があって、今ならまだ戻れるよ、なんて声が頭のどこからか聞こえたりもする。でも、どうしても現世と人間を見てみたかった。何故か分からない程に、私は焦がれていた。だから出来るだけこっそりと出かけなければならない。そのためのタイムリミットであり、外套だ。

ここからは私の腕次第。少し前から霊圧を押さえるという練習を、ギンと一緒にしていた。最初は難しかったそれも、今では大分上手にできるようになったと思う。少なくとも、ギンから慰め以外の言葉を貰えるようにはなっていた。最後に練習した日には、集中さえしていれば問題ないとまで言ってもらえた。

フードを被り直して、パタパタと身支度の最終チェックを行う。仮面も穴も隠れている。問題ない。

「……っいざ!」

黒腔の流れの中に手のひらを翳す。ぐ、と指先に力を篭めると、鏡の前と同じように空間が引っかかる感触があった。ほんの一瞬、開けるべきかどうか迷って手を止めたけれど、すぐに首を振る。もしも何かおかしなことだったり危ないことが起こったら、全力で逃げればいい。どこからでも黒腔の扉は開けられる。難しいことなんてない。私が気をつけるべきなのは、虚夜宮の人達にバレないようにすることだけ。

息を止めて、そうっと手を下げた。空間に少しずつ穴が空いて、そこから光が差し込む。思わず反対の手で目を庇った。眩しい、とギンの言った言葉を思い出した。しぱしぱと小刻みに瞬いているうちに、段々と目が慣れてくる。心臓の音がどくどくと響いていて、さっきまであんなに聞こえていた遠い喧騒すらも聞こえない。少しずつ少しずつ。空間を割いて作った穴の向こう側は、虚圏とは違う明るい青の空が広がっていた。

「……!」

僅かな隙間から見えたそれがあんまり綺麗で、私は止めていた息を吸うことも忘れてパッと手を下げた。その動きのままに勢いよく穴が広がって、憧れていた現世の風景が目に飛び込んでくる。

「え、」
「あ?」

―――その前に。

私とは逆さまに立つ知らない誰かと、目が合ってしまった。

prev next