目を閉じたまま



「ねぇギン」
「んー?」
「またゲンセの話、して」

ひんやりとしたテーブルに突っ伏して呟くと、少し離れた位置に座った彼が笑う気配がした。その音につられて、私は顔を横に倒す。擦れた額から熱が奪われていく感触に目を細めた私の視界に、横向きの彼の笑顔が映った。別に何のことはない、いつものギンの顔だ。

「ナマエはほんま現世が好きやね」
「死神が居なかったらソウルソサエティも好きよ」
「無茶苦茶言いよるなぁ」
「だってやっぱり、ころされるのは嫌だもの」
「そらそうや」

窓から差し込む月の光の中で控え目に輝く銀色を見ながら、脳裏に浮かんだのはほんの数日前に出会ったばかりの金色だった。もうぼんやりとして顔も思い出せないのに、その髪の色ばかりはっきりと覚えている。きらきらとお日さまの光を照り返して眩しかった。綺麗だ、と純粋にそう思った。
けれど彼には私が見えていた。人間の中にどれだけ私達を見ることの出来る者が存在するのか分からないけれど、初めて出会った人間が『見える』人間だったというよりは出会った相手がそもそも人間でなかったという可能性の方が高いように思えた。だとしたらあの金色は死神なのだろうか。それを思うと複雑な心持ちだった。

ギンはいつもと同じ笑顔で「ええよ、」と頷いてから、何の話が良いかと尋ねてきた。私は首を傾けて考えた。聞きたいことはたくさんあったけれど、たくさんありすぎて言葉にならなかった。ただ、私がこっそりと現世を覗きに行ってしまったことは内緒にしなければならないのだ。直接見なければ知り得なかった情報は伏せなければならない。慎重に考えながら、私は傾けた首を元に戻した。ふと見ると、ギンも同じように首を傾けながら私を見つめていた。

「いろ」
「色?」
「現世は、何色?」

ざっくりとした私の問に、「大雑把な質問やなぁ」とギンは笑った。そうして傾けた首を元に戻しながら少し考えるようにして、今度は反対側へ小さく首を傾げた。

「色言うてもなぁ」
「ここは殆ど藍色と白のどっちかでしょう?」
「あー、確かに」
「現世は?」
「昼か夜かにもよるけど、それやったら青色かなぁ」
「何の色?」
「空とか海とか」
「ウミ?」
「えろう広い水溜り」
「何それ」

水溜りくらいなら私も知っているけれど、その大きさなんてたかが知れている。けたけたと私が笑うと、「ほんまなんよ」とギンは不服そうに口を尖らせた。その仕草が本当に不満げだったので、私は「えー」と声を上げる。広い水溜りなんて想像も出来ない。

「他は?青だけ?」
「んー、そやなぁ。何色って絞るんは難しいわ」
「いろんな色がある?」
「ぎょうさんあるよ。花とか」
「ハナ?」
「ここん植物は皆枯れとるけど、向こうの植物は大体緑色」
「それがハナ?」
「んーん。緑色の木とか葉っぱの中に、もっとこう綺麗な花いうんが咲くんよ」
「ハナ……」
「ひらひらしててな、赤とか桃とか黄色とかいろんな色があんねん」
「なにそれ!絶対可愛い」
「せやね、大抵はまぁ可愛えもんが多いんちゃうかな」

ギンは両手首を合わせるようにして指をまぁるく開いた。「こんなん、」と言われて見たその形からひらひらとした可愛いものを想像することが上手くできずに眉根を寄せると、「実際見んと分からんね」と困ったように彼は笑った。伝わらなかったものを思いながら、私は唇で「ハナ、」と繰り返し呟く。ちゃんと覚えていよう。いつかきっと、本物を見るときのために。彼がした説明も、きっと本物を見たら納得がいくのかもしれない。

「いろんな色ってことは、ハナはたくさん種類があるの?」
「数えきれんくらいあるよ」
「名前は?名前もたくさんある?」
「別名とかも合わせたら、花の種類よりぎょうさんあるんちゃう?」
「じゃあ、ギンが好きな花は何?」

テーブルに身を乗り出して私が尋ねると、向こう側に座った彼がその動きを止めた。不意に沈黙した彼に、私は内心大きく動揺する。そんな反応を彼が見せたのはこれが初めてだった。首を傾げたり笑って誤魔化したりすることはあっても、押し黙ってしまうことは今まで一度も無かった。何か悪いことを聞いてしまったのだろうか。もしかしたら彼は花がものすごく嫌いだったのだろうか。

「好きな花なぁ」

おろおろし始めた私に気がついた彼が、変わらないトーンで話し始める。何事も無かったかのような繋ぎ方だったけれど、それが尚の事不自然で私は口を噤んだ。私が不審に感じていることを彼は分かっていたはずだけれど、それには少しも触れずに遠くを見るような表情で笑ってみせる。

―――何で、そんなかおをするの。

唐突に彼がどこかへ行ってしまうような気分になって、私は椅子から立ち上がった。テーブルの向こう側へ小走りに駆け寄る私を目で追いながら、彼はやっぱり笑っていた。
座ったままのギンの横に立つと、見上げた彼の細い目と視線が合う。けれど彼はいつも笑っているから、本当に目が合っているのかは実際のところ分からない。それでも構わなかった。目が合っていると思えれば、それで良かった。

「ナマエは白詰草とか似合いそやなぁ」
「シロツメクサ?」
「白いもさっとした花が咲くんよ」
「…もさっと」
「菊にちょお似とる」
「キク?」
「ボクが好きな花」

ギンはもういつもどおりに笑っていた。私はじっと彼の顔を見下ろしたけれど、彼があまりにもにこにこと笑うので途中でいらっとして頭突きした。額と額がぶつかってごちんと大きな音を立てる。「痛ー」と大して痛そうでもない悲鳴を上げて、ギンはおでこを抑えた。対する私は思いの外痛かったそれに涙目になりながら「ギンのばか」と呟いた。ギンは笑って答えなかった。

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