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ギンが名前を呼んだ気がした。立ち止まったらきっと心も止まってしまうから、私は足を止めずにそのまま飛び出すようにしてシンジに斬りかかった。

「何で、泣いてんねん…ッ」

私が繰り出す短剣を刀で防ぎながら、彼は眉間に皺を寄せた。質問をする余裕があるというところについては特別何も思わない。どちらかといえば私の方が力が劣っているのだから、むしろわざわざ拮抗するように見せていることの方が気になる。大きく薙いだ切っ先を後ろ側に倒れ込むようにして躱した彼が少し間合いを取った。深追いはせず指先で短剣を弄びながら、私は首を傾けた。

「…知らない」
「……」
「帰刃するといつもそうなの。どうして涙が出るのかは知らない」

怪訝そうに目を細めて、彼は私を見る。肩で息をしているのは、私と戦う前に戦ったカナメのダメージが少し残っているからだろう。呼吸を落ち着かせる前に、私はぐんと距離を縮めた。そんな小手先の技が通用する相手ではないのだろうけれど、私には思いつく限り一生懸命戦うということしかできない。
一気に縮まった距離に彼は舌打ちをして刀を振りかぶる。それでいい。戦っていれば、何も考えなくて良いもの。私が怖いと思うものも全部、頭から追い出してしまえるもの。

「お前…ッ、あん時も、藍染の命やったんか?」

彼が降り下ろした刀を短剣で受け止める。重い斬撃だけれど少し後ろに押し切られた程度で踏み止まった。彼はどうやら私と会話する為に、受けられる程度の攻撃しかしてこないつもりらしかった。

「…ちがうよ」
「なら、なんで…ッくそ、おま、空気読めや!」
「戦いながら話すなんて、シンジの方が変」

余計なことを考えたくない私が振るう剣先が彼の頭上を抉って、彼は再び距離を取った。今度はそれをすぐに追いかけて、私は間近で彼に刃を突きつける。横から斬魄刀で払われて、避けるためにぐるんと後ろへ一回転しながら距離をあけたけれど、彼は先程の私と同じく深追いはせずその間合いのままこちらを睨んでいた。

―――最初に会った時と、同じ目だ。

唐突にそう思った。初めて現世を覗きに行ったときの、あの目。一瞬しか見なかったからその後思い出せなかったのに、目の前にするとこんなに鮮明に思い出せる。私は目を伏せた。色々考えるのは、良くない。ただでさえ私は集中力がないと言われているのに。

「藍染様の命令じゃ、なかったよ」

良くないと分かっているのに。ぽろぽろと涙のように言葉が零れて、私は短剣を握る指先に力を込める。
彼を前にすると、何もかも投げだしたくなりそうで怖かった。捨てられないものを、私はたくさん持っている。チルッチのこと、シャルロッテのこと。ギンのこと。お城の白い私の部屋。鈍色の姿見。優しい世界。あの場所を出て、私は生きていけない。なのに。

「…ほなら、何であんなとこに」
「現世を、見てみたくて」

人間を見てみたかった。穴のない、仮面を持たない生き物。私達とは違う、弱くて儚い生き物のすむ世界。憧れていた。一目で良いから見たいとずっと思っていた。たった一度。一度きりで、良かったのに。

「見てみたいだけやったら、最初の一回で十分やろが」

ブンと音を立てて斬魄刀を振るって、彼は私を見据えた。私は唇を引き結んで短剣を握り直す。ぐっと尾びれに力を籠めると、簡単に体が前に進んだ。私はきっと二本足の時より、この姿の時の方が足が速い。

―――どうして、なんて。

現世を覗くのは一度で良かった。ギンが青いと称した世界を、私は見に行ったのだ。黒腔に小さく開いた窓からとはいえ、最初から一度しか行かないつもりだったし、どんなにちょっとしか見られなかったとしてもそれで十分だと納得していた。はずだったのに。

振るおうとした短剣の動きが止まって、私は瞬きをした。急に手が上手く動かなくなったような感覚だった。瞬きをすると、同じように驚いた表情を浮かべた彼と目が合った。けれど既に私の短剣を弾くため動き始めていた彼の刀は止まらなかった。

地面に叩き落されて、砂埃が舞う。全身が痛んで、強かぶつけた背中にえずいて咳き込む。上から誰かが降りてくる足音がして、口元の血を拭った。けれどもすぐには動けなくて、割れた硬い灰色の地面に埋まったまま、私は細く息をする。

降りてきたのは当然のことながらシンジだった。彼は斬魄刀を片手にぶら下げて私の埋まった地面のすぐ横に立った。砂埃がまだ引かないので上空の様子は分からないけれど、ギンも藍染様も動く様子がなかった。この場には私と彼しかいない。

―――どうして、なんて。

私は付したまま、彼を見上げた。さらさらと風に揺れる金色の髪。視線が交わったときの鋭い目。理由なんてたった一つだった。とてもシンプルで、簡単なもの。

「…会いたかったの」

独り言のように呟いた私の声に、彼は眉を上げた。怪訝そうな顔だ。こんな顔ばかり見ている。

一度しか行くつもりのなかった現世に、もう一度行ってしまった理由。何度振り払おうとしても消せなかったもの。目を閉じると浮かんで、夢にまで出てきて、ダメだと分かっているのに忘れられなかった。あの、金色。朝も、昼も、夜も。目を開いていても、眠っていてもその色が離れない。

『誰かを好きになって、朝も夜もなくなることよ』

―――ああ、そうか。もしかしたら、私は。

「貴方にもう一度、会いたかったの」

あの日。
あの、小さく開けた黒腔の窓の向こうで、目が合ったあの瞬間に。
私はこの人に、恋をしてしまったのかもしれない。

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