なにいろの花束

もう少し傍ですれ違えたら

「『琥珀』のお嬢さんやんか」

聞き覚えのある関西弁に振り向くと、真っ直ぐな金色の髪を揺らしながら、軽く片手を上げる常連さんが居た。

「こんにちは。えぇと、」
「平子や。平子真子」
「平子さん」
「ん」

以前一度だけ聞いた名前が思い出せず首を傾けると、常連さんは親切にも名乗ってくれた。平子さん。そういえばそんな名前だったかもしれない。
『琥珀』というのはうちの店の名前だ。喫茶、琥珀。おばあちゃんがまだ生きてた頃、おじいちゃんが始めた店だった。名前の由来は知らないけれど、あの人のことだから適当にその時やってたテレビで見たとか、名付ける瞬間目についたとか、そんな程度のことだと思う。

「何してん」
「喉渇いたので適当に飲み物でもと思って」
「学校帰りか」
「惜しい。これから行くとこですよ」

ほぉ、と唸ってから、彼は目を細めて私を上から下まで見た。視線に撫でられて「何ですか」と眉を顰めると、彼はひらひらと片手を振りながら「大した事やあらへん」と言った。

「店の制服ばっか見とるから、普段着新鮮やなぁ思うただけや」
「やだ、エッチ」
「男は皆助平や」
「開き直んのやめてくださいよおじさん」
「俺はまだ若いわ阿呆」

うわー、と身を引くと、頭を小突かれた。それに思わず笑ってしまった私を見て、平子さんもいつものように口端をニィと上げる。

「それにするんか?」
「あ、はい」
「花の女子大生がコンビニ寄って買うもんが麦茶て…」
「麦茶美味しいじゃないですか。喉渇いたときに甘いものなんて飲んでらんねーですよ」

不意に手に持っていた麦茶のペットボトルに苦言を呈されて、私は口を尖らせた。季節は間もなく夏になろうとしている頃で、ちょっと外を歩けば額が汗ばむ程度の陽気だ。そんな中水分補給をするとなれば、麦茶か経口補水液の二択しかないだろうと思う。
お店に入るならもっと違うものにしますけど、とぶつぶつ呟いていると、彼は私の手の中からペットボトルを取り上げた。

「色気ないな」
「いいじゃないですか別に!飲み物に色気なんて求めないでくださいよ!」
「まぁええわ。ここで会ったが百年目やし一緒に買うたるわ」
「それ使い方おかし…え?」

ぽいっと彼が持っていたカゴの中に、私の麦茶が放り込まれる。え、え、と慌てて取り返そうとすると、平子さんは煩わしそうにしっしっと手を振って私からカゴを遠ざけた。

「ほかに欲しいもんあるか?」
「え、ないですけど、でも」
「そやったらレジ行くで。入り口んとこで待っとき」
「いや、でも買ってもらうなんてそんな」
「ペットボトル一本でやいやい言いなや」
「でも」

でも、と何度も言い淀む私に、彼は「あー、わかったわかった」と気だるそうに言う。

「いっつも美味いコーヒー淹れてもろてるお礼や」
「……」
「それやったらええやろ」

返答に困った私が首を傾けると、阿呆面しなや、と笑われた。

「たかが百円二百円の話で大仰やな自分」
「…百円を馬鹿にするものは百円に泣くんですよ」
「馬鹿にしとらんわ。丁重に扱っとるやろ」

あっという間にレジを済ませた平子さんを怪訝な表情で出迎えた私に、彼はわざとらしく溜息をついてみせる。
並んで自動ドアから外へ出ると、店の庇の下で立ち止まって、レジ袋をごそごそと漁った。買ったばかりの麦茶をほれ、と差し出されて、私はもごもごお礼を言う。

「…今度改めてお礼しますね」
「融通利かんな自分」
「だーって!友達とかならともかくお客さんにペットボトル買ってもらうなんて」
「今店の外やしコンビニ的にはお互いお客さんやろ」
「そうですけど!」

平子さんはニィと口端を上げて、私の頭をぽんぽんと撫でる。それから、またな、と言って背を向けた。ひらひらと手を振りながら去っていく姿を見送って、私は何とも言えない気分になったのだった。



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