なにいろの花束

ぬくもりに名前をつける

木枠で縁取られた柔らかい光が揺らいで、カランカランと鈍い音を立てた。サイフォンの立てる小さな水音と控えめなジャズをBGMに、グラスを磨いていた私はつられて顔を上げる。

「また来たんですか」
「常連にその言い草はないやろ」
「はいはい。いらっしゃいませ」

不満げというよりは挑発するように口端を上げた彼は、案内をするまでもなくスタスタと店内を歩いていった。そうしていつもと同じ窓から少し離れた席に座って、コーヒー、と気だるげに呟く。私が「はいはい」と返事をすると、いつもの三白眼でこちらを見てから、目を伏せて被っていたハンチング帽を脱いだ。顎のあたりで真っ直ぐに切りそろえられた金髪がきらきらと揺れた。
顔立ちは日本人のように見える。名前も確か日本人のようだったと思うのだけれども、あの綺麗な髪は染めているのではなく地毛なのだと彼は言うし、実際地毛にしか見えなかった。プリンになったところも見たことがないし、とぼんやり考えながら、私は淹れたてのコーヒーをカップに注いでいく。

「お待たせしました」

トレイにのせたコーヒーカップとお茶請けの小皿をテーブルに置くと、彼はおーきに、と私を見上げた。

「クッキーか」
「ええ」
「自分が作ったんか?」
「一応そうですけど」
「…………」
「何ですかその不審そうな目」
「ほんまに食えるんやろな」
「馬鹿にしないでくださいよ。食べられないものお客さんに出したりしません」
「まぁ…そらそやろな」
「食べられなかったやつはちゃんと裏に置いてあります」
「あるんかい」
「冗談ですよ」

首を竦めると、彼は「何やそれ」と笑った。
平日の夕方。まだ、日が赤くなる少し手前の、優しい色合いの頃。それくらいの時間に、彼はよく現れる。うちの店は古い外見のせいもあって、お客の年齢層も高めだから、賑わうのはお昼前からおやつくらいの時間までだ。夕方以降に来店する人は少ないので、彼はそんな閑散とした時間帯に来てくれる貴重なお客様だった。

「今日はじーさんはおらんのか」
「今日は病院。最近調子悪くって」
「あんなん殺しても死なんタイプのじーさんやんか」
「そんなおじいちゃんも、年には勝てないみたいですよ」

苦笑すると、そんなもんかねぇ、と言いながら、彼はコーヒーカップに口をつける。一口飲んで、「美味い」と零したので、私はお礼を返してからカウンターへ戻った。途中で止めていたグラス磨きを再開するのだ。

私の手元から時折響く微かな音と、サイフォンの水音と、密やかな音楽だけが店内に漂う。彼が発する音は、持ち上げたコーヒーカップを置くときの小さなものと、時折つく溜息だけで、私はその空間がとても好きだった。静かで、暖かで、満ち足りた空間。彼が特別なのかと訊ねられたら、それについては首を傾げざるを得ないのだけれど、こうして彼が来店している時間は確かに穏やかで特別だった。
そもそも彼が来る時間帯は来客が少ないから落ち着いた時間であるということと、けれども誰一人としてお客さんのいないお店はつまらないので、そういう意味で私は彼がいる空間を気に入っているのかもしれない。

「…何や」
「え?」
「じーっと見よるやろ。どないかしたんか」
「あ、いいえ。別に」
「…惚れたか?」
「はぁ?」
「そない嫌そうな顔しよったら流石の俺も傷つくやんか」

よよよ、と泣くふりをする彼に、ばかね、と呆れた顔で返す。彼はしばらくそうしてから、私の顔を見てまた笑った。


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